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ヘルシスト 263号

2020年9月10日発行
隔月刊


自然がくりかえすリフレイン

〈自然がくりかえすリフレイン —— 夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ —— のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです〉(訳:上遠恵子)

いまから60年近く前、化学薬品の乱用が人類や生態系にもたらす恐ろしさを描いて全米を揺るがした一冊、『沈黙の春』の作者であるレイチェル・カーソン(1907~1964年)は、海洋生物学を学び、長くアメリカ・魚類野生生物局に公務員として勤務したこともあるノンフィクション作家でした。

時代は東西冷戦の最中。太平洋では核実験が行われ、世界各地の高度経済成長とともに、公害が顕在化していました。のちに枯れ葉剤の禍根を残すベトナム戦争も始まっていたのです。

海や、そこに暮らす海洋生物の不思議を紹介する作品で評価を得ながら、やがて自然界に対する人間の傍若無人ぶりが、レイチェルの心を捉えていきます。『沈黙の春』は、農薬の空中散布による実害を訴えた友人の手紙を契機とし、現実から目を背けられなくなったレイチェルが、病を押して取り組んだ著作でした。それは自然との共生、持続可能な社会という概念に我々の目を開かせ、今では環境保護のバイブルとなっています。

レイチェルは母親の影響で、幼い頃から自然に親しんだといいます。終生、自然は生命への畏敬の念を抱かせる心躍る対象であり、それを守ることは、彼女にとって義務であり、生きる支えでもありました。冒頭の言葉は、晩年、彼女が未来を託す子どもたちの育て方について記したものです。人が豊かに生きるために欠かせない感受性は、自然の中でこそ育まれると。そして彼らが驚きや感動に包まれているとき、その傍らには、一緒に頷いてくれる大人がいることが大事なのだと。


私たちはこれまで、ともすると自然を踏み台にして経済を優先させ、豊かさを追求してきました。その結果、地球温暖化という深刻な事態を抱えることになったのは確かです。しかし現在は、この問題を解決していかなければ持続可能な社会の実現は極めて厳しくなるだろうという懸念が、広く認識されつつあります。多かれ少なかれ、自然とかかわらなければ生きていけない人類にとって、どのように自然と共生していくかが問われる時代になってきました。私たちは今まさに、重要なターニングポイントに立っているのではないでしょうか。

そのような時代にあって、視点を少し変えてみれば、私たちと生命とのかかわりもまた、重要な転換期を迎えているようです。すべての遺伝子情報であるゲノムの解析が可能になり、さらに、DNAの塩基配列を切ったりつなげたりして遺伝子を改変し、生物の特徴を変える、「ゲノム編集」という概念が確立されつつあります。すでに農産物や医療など、さまざまな分野へ普及していて、編集技術もより進化しているといいます。ちなみに、遺伝子組み換えも「ゲノム編集」ということになります。

しかし、科学の進歩によって、簡便でより安全な手法が手に入る反面、容易に遺伝子を改変できてしまうというリスクは増大します。生命に直接関与するだけに、「ゲノム編集」の扱いには最大の注意が必要ということは言うまでもありません。

生命という自然の営みにどこまで踏み込むのか —— 生命倫理の、社会を巻き込んでの突っ込んだ議論が何より大切です。急速に進化する科学技術に社会の認識や理解が追いつき、社会に認められて初めて、「自然との共生」は真の意味で現実となるはずです。

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