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ヘルシスト 272号

2022年3月10日発行
隔月刊


命を大切に

武者小路実篤(1885~1976年)というと、野菜や果物の絵に「君は君我は我也されど仲よき」などの言葉を添えた書画がまず頭に浮かぶ人も多いかもしれません。それもむべなるかな、実篤が絵筆をとった書画は少なく見積もっても5万4750枚を数えるといわれています。

親しかった中川一政画伯が「この人は小説を書いたが小説家と言ふ言葉で縛られない哲学者思想家乃至宗教家と云ってもそぐはないそんな言葉に縛られないところを此人は歩いた」とめた通り、明治、大正、昭和と名を馳せた実篤の活躍は多岐にわたりました。

23歳で作品集『荒野』を出版してから90歳で亡くなる直前まで、飾らない言葉でつづった『お目出たき人』『友情』『愛と死』などの小説、詩、戯曲、随筆、評論はおよそ7000篇。「白樺」をはじめ創刊に関わった雑誌は十指に余ります。古今東西の美術に親しみ、また農業中心の労働をしながら自己を磨き、お互いを生かし合う理想社会を提唱して「新しき村」を創設。その存続に力を尽くしました。

子爵家に生まれながら2歳で父を亡くしており、華族の子弟に小説が書けるはずはないと冷笑もされ、プロレタリア文学全盛時には原稿依頼が絶えて失業状態に陥ったり、第二次世界大戦後は数年間公職追放となったりという経験をする中でも、さまざまに工夫して、創作や活動をやめることはありませんでした。

実篤は自己を肯定し、個性を尊重する姿勢を貫いた人です。「自分に託された一つの命を、自由に正直に生かす」ことを終生大事にしました。代表作の一つである『先生』の中で真理先生が、「今の人はあたりまえのことを知らなすぎる」と憤りますが、実篤が晩年、若い人のためにと言葉を求められ、「命を大切に」と書いたという逸話は心に響きます。


本誌はこれまで「栄養」に関する特集を幾度かしていますが、「子ども」に焦点をあてたテーマは今回が初めてです。日本は「子どもの栄養」についての研究が少ないといわれています。その背景には、日本には極端に痩せている、あるいは太っているという子どもの割合が少ないという日本特有の状況があるかもしれないと、巻頭インタビューで石川みどり国立保健医療科学院上席主任研究官が語っています。これはすなわち、日本の優れた給食プログラムの恩恵であることは確かでしょう

一方、生涯を乳幼児期、学童・思春期、成人期、妊娠期、高齢期、というように各ライフステージに分け、それぞれに特徴的な栄養の問題や課題に対し適切に取り組む重要性が指摘されるようになってきました。特に子ども時代の栄養不良は、その後に続くライフステージに影響を及ぼすことがわかっています。

特に注意しなければならないのが、妊婦の「痩せ」の問題です。栄養が不十分な母親から生まれてくる赤ちゃんが低出生体重児になる恐れがありますし、さらに発育不十分な胎児が成人期になったとき、肥満や循環器疾患、2型糖尿病など生活習慣病になるリスクが高まることも疫学研究などから示唆されています。また胎児はおなかの中で味を感じていて、すでに食べ物の好みを形成している可能性があるとも考えられています。つまり妊娠期の母親の栄養環境は、人の生涯=ライフコースを通じて、ひいては世代を超えて健康を大きく左右するのです。

武者小路実篤は、「自分に託された一つの命を、自由に正直に生かす」を終生大事にし、90歳のライフコースを全うしました。母から託された食環境や味覚を各ライフステージへまっとうに受け継いでいった賜物と言う他ありません。改めて「食べることは生きること」であり、妊娠期を含めたそれぞれのライフステージにおける栄養の大切さを実感します。

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