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ヘルシスト 273号

2022年5月10日発行
隔月刊


お湯で治す

今ではあまり耳にしなくなりましたが、医療技術が十分でなかった時代、温泉地に滞在し、入浴したり飲泉することによって傷や病気を治したり、回復を促す「湯治」は盛んに行われていました。

さかのぼること戦国時代の甲斐の名将・武田信玄(1521~1573年)は、自らも温泉好きだった上に、温泉をうまく使った人物と伝えられています。文字通り戦乱に明け暮れた時代、合戦は頻繁に行われ、時に数千人から一万人を超える負傷者を出しながら、すぐまた次の戦へ出陣しなければなりませんでした。いきおい、傷を負った兵士を早く回復させることは、常々兵力に頭を悩ませていた戦国武将にとって重要な課題だったのです。

そこで信玄は、古くから刀傷や骨折などに効能があるといわれた武田家御用達の温泉や温泉に加えて、新たに川浦温泉の開発を命じ、その他に今も「信玄の隠し湯」と伝わる多くの温泉を、将兵の治療や保養に用いました。兵士たちはこの温泉で傷を癒やし、やがて武田軍は戦国時代最強の軍団として名を馳せることになるのです。

お湯に浸かると、体が温まって、細胞の一つひとつに、血液が行き渡るような気がします。これからの季節はシャワーで済ます人も多いと思いますが、時にはお湯にゆっくり浸かることをお勧めします。


人が自然との関わりの中で身につけてきた生活の手段は、試行錯誤の結果であり、なぜそうなるのかという確たる機序は不明のままでした。しかし科学の進歩によって、経験の積み重ねから得られた「生きる知恵」のメカニズムが明らかになってきています。

例えば温泉には病気を治し、傷を癒やし、体調を整える作用があることは古くから知られていて、「湯治」は今も昔と変わらず治療や療養として行われていますが、成分が分析され、効果・効能が科学的に証明されるようになったのは近代になってからです。体を温めるだけでも良い効果をもたらしてくれるということも、わかってきました。体に備わっているヒートショックプロテインというタンパク質が温熱刺激を受け活性化し、細胞のダメージを修復するのです。武田信玄が兵士の傷を治す目的で「信玄の隠し湯」を積極的に活用した兵法は、科学的にも的を射た戦術だったと、あらためて感心せざるを得ません。

さて、ウイルスもまた、科学の進歩によってその姿を現しつつあります。遺伝子とそれを囲むタンパク質の殻しか持たないウイルスは宿主の中でしか存在できず、自力では増殖できないため、培養によって分離することができません。そのため、存在は認識されていたものの確かな正体を突き止めることは極めて困難でした。21世紀に入り、遺伝子を網羅的に解析する次世代シーケンサーが開発され、ウイルス学は飛躍的に進歩したのです。ウイルスの多様な生態が浮かび上がってきました。

新型コロナウイルス感染症は、ウイルス=病原体というイメージを強くしましたが、実は、病原菌に感染して死滅させるバクテリオファージと呼ばれるウイルスは感染症治療に利用されるなど、病原体とは正反対の役割を果たしています。ウイルスは私たちの体にも常在していて、腸内細菌のように、生命活動や進化にも深く関与していることが明らかになっています。ウイルスは感染症をもたらす脅威である一方、生物にとって欠かせない存在でもあるのです。

1876年、ロベルト・コッホは初めて菌の培養に成功して病原細菌の概念を確立しました。この研究から生まれた「コッホの原則」は微生物学の指針として現在も機能していますが、ウイルス学の進歩とともにそろそろ限界に達しているようです。「コッホの原則」から約150年、ウイルスを含めた病気の原因となる微生物を定義する新たな指標が求められています。

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