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ヘルシスト 281号

2023年9月10日発行
隔月刊


たおれてのち、はじまる

鶴見和子(1918~2006年)は、日本を代表するオピニオンリーダーとして活躍した社会学者の一人で、柳田國男や南方熊楠の研究から独自の比較社会学を築きました。鶴見が唱えた、地球上のそれぞれの地域や社会が固有の文化に根差し、多様な発展の仕方があるのをよしとする「内発的発展論」は、今日さらに重要性を増していると感じます。

鶴見は、水俣病問題、国際関係や自然保護に関するものなど多岐にわたる著作を残しましたが、1995年、77歳で脳出血を患って後は、病の経験から得た考察を伝えることが多くなりました。病気になり、左半身まひという障害が残ったことで、健康なときに見えなかったものが見え、感じるようになったことを、鶴見は、価値の転換が起こったのだと言います。これはもう一つの文化を手に入れたということで、この立場からものを考え日本を見直していけたら、と記しています。

病で倒れてから亡くなるまで10年余り、鶴見は自宅に帰ることなく施設で過ごしました。自らに課したのは、朝食の用意や小物の洗濯など、身の回りのできることは自分で整えること。そして、毎日歩く訓練をすること。倒れて1年は車椅子を使わざるを得なかったのですが、杖をついて見守られながら歩けるようになり、これは、子どもの頃、体が弱いという理由で習い始め、続けていた日本舞踊のおかげもあったのではないかと言っています。

また倒れた直後、50年以上封印していた短歌があふれ出るという体験をしたこともあり、それぞれの人が身に付けた文化や、技能、経験といった自分でも気が付かない埋蔵資源の活用を呼びかけました。

「病や老いで静かな時間が与えられたときに、自分が持って生まれた力を掘り起こして、何か新しいものを創造して残せないものか」

マイナスからプラスに転じて新しい人生を切り拓くことをモットーとした鶴見の言葉は、超高齢社会を生きる私たちへの宿題だと思います。


「マイナスからプラスに転じる」とまではいかなくても、例えばスポーツなどで、できないと思い込んでいたことができるようになるのは、とてもうれしいことです。「運動神経がないのでスポーツは苦手」、と言うひとは少なからずいますが、そもそも運動神経は、脳から送られた筋肉を動かすための電気信号を伝える末梢神経の一つで、誰もがもっている生体機能です。電気信号の伝導速度に遺伝的な要素はなく、個人差はありません(巻頭インタビュー参照)。

神経回路は多様な運動経験によってつくられ、そのつど小脳に記憶されていきます。その蓄積数が多ければ多いほど神経回路は発達し、必要なときに必要な神経回路を簡単に引き出すことができるようになります。その結果、より素早く思い通りに体を動かせるようになるのです。

じつは3歳から8歳までが脳が活性化して神経細胞が最も発達する年代で、その時期にさまざまな経験をすることで新しい神経回路がどんどん蓄積するようになるといいます。では、歳をとってからでは遅いのでしょうか―。深代千之日本女子体育大学学長は巻頭インタビューの中で、子ども時代に体を動かす環境に乏しかったとしても、「大人になってからでは手遅れ」ということは決してなく、確かに体重増加や筋肉量の減少で、必要とする運動の回数が増えて練習に時間はかかるものの、あきらめずに続けていけば必ず上達する、と言います。

トップアスリートの華麗なテクニックやパフォーマンスもまた、地道に積み重ねた練習の賜物です。いくつになっても、「自分が持って生まれた力を掘り起こして」、できないと思い込んでいたことができるようになるのは、まったく不可能ではないのです。

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