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ヘルシスト 276号

2022年11月10日発行
隔月刊


頭のゴミ出し

外山滋比古(1923〜2020年)は、東京教育大学、お茶の水女子大学、昭和女子大学で教鞭を執りながら、専門の英文学はもとより思考法や日本語論など、数多くの著作を残しました。

ベストセラーとなった『思考の整理学』をはじめ、広く思考と知識に関心を抱く人たちへ向けた論考は、著者が亡くなった今も版を重ねています。

例えば、その提唱していたことの一つに、忘却の効用があります。頭をよくはたらかせるには、忘れることが極めて大切だ、というのです。懸命に記憶して知識を増やすことが人間を賢くする、とされてきた知識偏重に異を唱え、むしろうまく忘れて、新しいことを考えるのが未来をひらくように思われる、と。空き容量が少なくなってきて、うまくはたらかないコンピュータではありませんが、不要だったり有害なものを取り除く「頭のゴミ出し」は、まさに心の健康のもと、というわけです。

自らそれを実践し、散歩を日課に気分転換を心がけ、仕事は朝食前に、レム睡眠後のスッキリした頭で済ませるのを習慣として、90歳を超えて旺盛に執筆を続けたのですから、説得力は大きいといえるでしょう。

外山のまなざしは常に新しいことに向けられていて、晩年、夫人が骨折をして家事を一手に引き受けることになったときも、手を動かすエクササイズになると捉え、炊事をするのは健康のために良いはずと、いそいそと取り組んで、発見や工夫、考察などをつづっています。

さまざまな実体験を基に語られる率直で歯切れの良いメッセージは、ハッと気づかされることがあるのはもちろんですが、「楽しく考え、気持ちよく生きよ」と説く、励ましの声が随所から聞こえてくるようで、読んでいるとなんだか元気になってきます。その温かさも、人気の秘密かもしれません。


日常生活の「ゴミ」もすぐに捨てればすっきりして、物事も効率よく進めることができるのはわかってはいるのですが、ついためてしまい、忸怩たる思いをすることはよくあります。「頭」に限らず、「ゴミ出し」はとても大切な行動様式であることは確かです。

生物の細胞には、不要になったり、遺伝子が傷ついたりしたとき自発的に死んで排除されるアポトーシスというシステムが組み込まれています。つまり生物には、自らが死ぬことでがん化を防ぎ、生体を維持させる仕組みが備わっているのです。老化や寿命もまた、生命を次につなぐための広義のアポトーシスといえるのではないでしょうか。

さて、近年のAIの発達に裏打ちされたロボット技術は驚異的な進化を遂げていて、生きた細胞の皮膚をまとう、人間と見分けがつかないヒューマノイド(人間に似せたロボット)の登場も近い将来実現するかもしれないといいます(「細胞と遺伝子」参照)。

SF映画『ブレードランナー』(1982年公開)には、レプリカントと呼ばれる高い知能を有するヒューマノイドが登場します。4年という寿命が設定されたレプリカントは、人間同様自我を持つゆえ、あまりに短い寿命を恐れて人間社会に紛れ込み、脅威を感じた人間の追及から逃れて延命を画策するのですが……。

レプリカントの生と死は、人間とどう異なるのか——『ブレードランナー』が描く「未来世界」は、2019年です。自然界の生物の死は、生命を将来へつなぐシステムですが、人工的に与えられたヒューマノイドの死に未来はありません。しかし高い知能を得たロボットが、もし映画のように自我を持つことになったら、生命の定義はいったいどうなるのでしょうか。AIやクローンの登場を考慮すると、次世代に向けた新たな生命倫理の必要性を実感します。

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