暮らしの科学 第54回 毎日しっかり歩いて脳から元気になろう!

文/茂木登志子  イラストレーション/山崎瑶実

運動の秋である。体を動かして、気持ちも体も健やかにしたい。いつでも、どこでも、誰にでも手軽に始められる運動といえば、“歩くこと”ではないだろうか。今回は、歩くことで脳から元気になる科学的な方法を探求した。

〈今月のアドバイザー〉加藤俊徳(かとう・としのり)。脳科学者、脳内科医。加藤プラチナクリニック院長。「脳の学校」代表。昭和大学客員教授。1995〜2001年までアメリカ・ミネソタ大学の放射線科でアルツハイマー病やMRI脳画像の研究に従事。帰国後、脳内科医として、薬だけに頼らずに脳から体の不調を治す処方を行っている。『最強のウォーキング脳』(時事通信社)など脳に関する著書や監修書多数。

取り立てて目的もなくのんびりと歩きながら景色や外の空気を楽しむ散歩、会話できる程度の速さでサッサッと歩く有酸素運動あるいは下肢の筋肉トレーニングとしてのウォーキング。手軽な運動としての“歩くこと”だが、人によってそのイメージは異なっているかもしれない。

今回、ここで取り上げるのは、脳科学者としても知られる医師の加藤俊徳さんが提唱する、“健脳ウォーキング”だ。つまり“脳を元気にするという目的を持って歩くこと”である。

運動不足は筋肉だけでなく脳も衰える

頭の中にある脳と足で歩くことにどういう関係があるのか。加藤さんは次のように説明してくれた。

「皆さんは運動しなくなると筋肉が衰えると思っていませんか? 実は、衰えるのは筋肉だけではありません。脳にはさまざまな機能があります。運動をしなくなると、そうした脳の機能は、運動をつかさどる部分以外にも不具合が生じてくるのです」

さらに、脳の不調はさまざまな体の不調にもつながるという。

「私はそれを“運動負債”と呼んでいます。そして、脳科学の視点から、健康増進法として歩くことを推奨し、体の不調を訴える患者さんの治療にも取り入れています」

脳と足の関係、運動不足が招く脳機能の不具合と体の不調の関係について、もう少し詳しく聞いてみることにしよう。

脳には1000億個を超える神経細胞が存在し、同じような働きをする細胞同士が集まって脳細胞集団を構成している。

「その集団拠点となっている所を、私は住所のように“脳番地”という概念で表現しています」(図1)

図1 8系統の脳番地の位置脳には1000億個を超える神経細胞があり、同じような働きを行う細胞同士が集まっている。この集まりを住所の番地に見立てると約120の脳番地に分けられる。加藤さんはこれらの脳番地を整理して、似たような働きをする代表的な8つの系統にまとめた。それがこの図だ。

100年くらい前に、脳は異なる神経細胞でできていることがわかった。そして、加藤さんは全部で約120ある脳番地を、機能別に次のような8つの系統に分けている。

●運動系 (体を動かす)
●思考系 (考えたり、判断したりする)
●感情系 (喜怒哀楽を感じたり、表現したりする)
●伝達系 (話す、伝えるなど、意思疎通を行う)
●理解系 (物事や言葉などを理解し、情報として役立てる)
●聴覚系 (耳で聞く)
●視覚系 (目で見る)
●記憶系 (覚えたり、思い出したりする)

これら8系統の脳番地は左右の脳にほぼ均等にまたがっているが、思考系と伝達系、感情系は前頭葉に分布し、前頭葉の後方に位置する脳の場所には理解系、聴覚系、視覚系、記憶系、感情系が分布している。感情系は分散している。そして、運動系はちょうど頭のてっぺんあたりから左右に橋を渡すような形で分布している。

運動系脳番地はすべての脳番地と関わっている

「これらは完全に独立しているわけではなく、互いにネットワークを構築しています。とりわけ運動系脳番地はすべての領域と関わりがあります」

なぜか?

「私たちが歩くときには、ただ単に足を動かしているだけではないからです」

歩きだすには足に力を入れなくてはならない。その指令を出すのは思考系脳番地だ。どこに行くか、曲がるか真っすぐに進むか、障害物があればどのように避けるか。歩くというのは、考えたり判断したりという連続だ。外にいれば自分がどこを歩いているのかという認知も欠かせない。それには情報の収集や理解も必要だ。

「歩くということは、単なる動作ではなく、新たな刺激を得ることです。そしてその刺激で脳は成長が促されます」

赤ちゃんは、運動系脳番地や感情系脳番地の血流が多い状態で生まれるが、まだ各脳番地へのネットワークは発達していない。だが、年齢を重ねていくと、血流増加のエリアが広がる。それに伴ってネットワークも発達し、脳全体が使われるようになる。これが脳の成長だ。

「赤ちゃんだけではありません。大人になっても、いくつ年を重ねても、新たな刺激を与え続ければ脳は成長します」

カナダの脳神経外科医ワイルダー・ペンフィールド博士は、脳に電気刺激を与える実験を行い、電気刺激の反応が体のどの部位に起こるのかを脳地図に示した。それぞれの身体部位が脳地図に占める割合は、その部位をつかさどる脳の面積に比例していることはよく知られている。手、手指、顔、口、足などは面積が大きいことから、それだけ脳のつながりが大きいともいえるだろう。さらに加藤さんは足が対応する脳の位置にも注目した(図2)。

図2 足に対応する脳の位置ペンフィールド博士は電気刺激による脳の反応を、体を動かす分野の一次運動野と、体から情報を受け取る体性感覚野に分けた。足が対応する部分はいずれも脳のてっぺんに位置している。

「脳のてっぺんに足があります。つまり、脳のてっぺんを刺激すると、足が動いて歩きます。歩くことで得た情報や刺激はネットワークを経由して再び脳のてっぺんに伝えられます。その刺激で、また足が動いて。ですから、歩けば歩くほど、脳が活性化されていくというわけなのです」

歩けば歩くほど、脳が活性化されていく。ということは、逆に言えば、歩かなければ歩かないほど、脳の元気や健やかさが失われていくということだ。

運動不足が健康を損ねる原因となることはよく知られている。だが、加藤さんは、運動不足が蓄積することで運動系脳番地以外の脳の不調が起こる状態を“運動負債”と命名し、問題提起している。

加藤さん独特の運動負債という考え方は、“運動貯金銀行の預け入れと引き出し”と考えてみればわかりやすいだろう。自分の適量を毎日歩いていればプラスマイナスゼロ。歩く量が少ない日があっても、それを補えるほどたくさん歩く日があれば、残高は黒字を維持できる。だが、適量を維持できない日が続いていくと、いつしか残高はゼロになり赤字に転落。マイナス残高の蓄積が運動負債であり、体の不調という負債となって現れるというわけだ。

原因がはっきりわからないけれど、なんとなく体調が悪いといった状態のことを“不定愁訴”という。脳内科医として多くの患者さんを診察してきた加藤さんは、そうした不定愁訴を訴える患者さんの不調の原因を探っていくと、運動負債に起因しているというケースを多く診てきた。また、MRI脳画像診断の専門医でもある加藤さんは、脳のMRI脳画像を撮影すると一目瞭然だという。

「よく歩くなど運動をしていると脳番地のネットワークが発達しており、太く確認できます。運動負債がかさんでいるとネットワークが衰え、細くなっていることが多いです」

健脳歩行の方法

さまざまな運動種目があるけれど、加藤さんは誰にでもできる簡単で効果的な方法として歩くことを推奨している。歩くことによって運動系脳番地にスイッチを入れ、つながっている他の脳番地のネットワークを太くして活性化しようというわけだ。

歩き始めるためには何かコツがあるのだろうか?

「簡単です。歩く目的を持つことです。目的を持って歩いてください」

なぜ、目的を持って歩くのだろうか?

「体を動かすということは、基本的に、自分で『動かしたい』と思わなければできません。しかし、その一方で、歩行は最も基本的な移動の手段でもあります。特に歩こうと意識しなくても、例えば冷蔵庫にあるリンゴを取り出して食べようと思えば、キッチンまで歩いて行って冷蔵庫を開けるでしょう。こんなふうに何か目的があると、それに応じて脳が指令を出し、歩いて移動します」

加藤さんは、次のような目的の例をいくつも挙げてくれた。

〈犬の散歩/買い物/友達に会う/ダイエット/気分転換(気晴らし)/リハビリテーション/家事/暗記力強化(しりとり)〉

「暗記力強化のしりとりは実際に私がやっています。私は息子をパートナーにして毎日歩いているのですが、出てきた単語をすべて暗記しながらしりとりを進めていきます。若者のしなやかな脳は単語がいくつ出てきてもたちどころに暗記してしまいますが、私は暗記して思い出しながら口に出すまで時間がかかります。でも、運動系、聴覚系、思考系、記憶系、伝達系など、脳番地のネットワークをフルに活用しているので、脳から体を元気にするには最高です」

一日に必要な歩行量はどのくらいだろうか?

「患者さんには、時間としては1時間くらい、歩数なら5000歩くらい、距離としては3〜4㎞という目安を伝えています」

加藤さん自身はこれまでの実践経験から1カ月(約30日)に必要な量は90㎞で、これを下回ると調子が悪くなるということがわかっているという。

「1日当たり4㎞以上歩くようにして、運動貯金を増やしています。着実に貯金できると毎月30㎞くらい残高が増えます」

運動貯金銀行の残高に余裕があると、1カ月に60㎞しか歩けなかったとしても、赤字にはならないから安心だ。

「持病のある人は主治医に相談して、一人ひとりの体調に応じて適切な量(時間・歩数・距離)を見つけるといいでしょう」(図3)

生活スタイル プラスαの目的 時間 歩数 距離
ほとんどがデスクワーク(1日8時間) 知的生産性を高める 80分 6500歩 5㎞
デスクワーク多め(初心者におすすめ) 脳の健康状態を維持する 60分 5000歩 4㎞
デスクワークと立ち仕事が4時間ずつ ストレスを軽減する 40分 3500歩 3㎞

図3 1日に必要な歩行量の目安加藤さんが教えてくれた歩行量の目安だ。1日8時間デスクワークを行う場合と、デスクワークの方が多めの場合、デスクワークと立ち仕事が4時間ずつという想定だ。歩数や距離を計測する歩数計や、そうした機能を持つスマートフォンのアプリケーションを利用すると便利だ。

その際にはスマートフォンに搭載された歩数や歩行距離を記録する機能を使うと便利だ。また、紙でもデジタルでもいいので、運動貯金通帳を作るといい。歩行の有無、目的、歩数や距離、時間、当日の心身の状態などを記録しておくのだ。健やかさを実感できる目安がつかめる。また、運動負債が生じた場合には、解消するための参考資料となるはずだ。

歩く前のチェックリスト

さて、最後にぜひ読者の皆さんにこれを試していただきたい。

〈次に列記した項目のうち、自分の心身の状態で当てはまると思うものをチェックしてください〉

  • 集中力が低下している
  • イライラすることが多い
  • 怒りっぽくなっている、なかなか怒りをコントロール できないと感じることが多い
  • やる気が出ない(仕事・勉強・趣味・家事その他)
  • 忘れ物が多い
  • 記憶力の低下を実感する
  • 疲れが取れない
  • 依存症かもしれない(ゲーム・スマートフォン・酒・たばこ・スナック菓子など、始めるとやめられない)
  • よく眠れない(寝つきが悪い・眠りが浅い・何度も目が覚める)
  • 心の病がある。またはその疑いがある

〈一つでも当てはまる項目があれば、その原因は運動負債かもしれない〉

運動負債を解消し、健やかな脳と元気な体を取り戻すために、今日から歩こう!

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ヘルシスト 276号

2022年11月10日発行
隔月刊

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