あらかじめ 備える
戦国時代、現在の広島県安芸高田市の小領主を継いだ毛利元就(1497~1571年)は、一代で九州北部から山陽、そして山陰と、中国地方のほぼ全域へ支配を拡大し、西国の覇者と謳われました。
知将の誉れ高く、3人の息子へ宛てて毛利家存続のため結束して努めるよう諭した書状は、後に有名な「三矢の訓」の伝説となったといわれますが、こと健康に関しても、動乱の世を慎重にして細心に生き抜いたという元就の人柄を偲ばせる逸話が残っています。
一つは節酒で、元就は父親の弘元を38歳、兄の興元を24歳という若さで亡くし、その原因が、いずれも酒の飲み過ぎであったことから、生涯酒を慎んだと伝えられています。そして子や孫に対して、飲酒の量や飲み方を細かく指示した手紙をしたためており、これは遺訓として毛利家に受け継がれたといいます。
また一つは、当代評判の名医で、後に医学校をつくり、養生法を広めた曲直瀬道三を招聘し、家臣に医術の教示を受けさせたことが知られています。曲直瀬は、師と仰いだ田代三喜が明(中国)に留学し持ち帰った最新の漢方医学を学び、実証的な診察と治療で、庶民から将軍までが頼りにしたといいます。出陣中に倒れた元就は曲直瀬に救われ、彼と親交を深めるようになったといわれています。
曲直瀬は「予養生予防乱(あらかじめ養生し、あらかじめ乱を防ぐこと)」が大事であると元就に献言し、元就が亡くなると、跡を継いだ孫の輝元へ、病にかからないための心得を歌に詠み込んだ『養生誹諧』を贈りました。その教えは毛利家がその後の浮き沈みを乗り越える礎になったと伝えられています。
生涯200回以上の戦に知略を尽くして臨んだ戦国大名・元就にとって、あらかじめ備えることが、まずは安心できる第一歩だったに違いありません。
これまでの医療は治療を軸にした臨床医学が中心でした。しかし近年、生活習慣病が社会問題となった日本では、疾病予防や健康寿命の伸長、心身の健康増進を目的にした予防医学の存在感が増しています。こうした予防医学の発展に大きく貢献しているのが、腸内細菌研究であることは間違いありません。
ここ約15年で小誌が初めて腸について掲載したのは、201号(2010年5月刊行)の特集記事「腸と免疫システム」でした。「腸管」の機能に焦点をあてた内容となっていて、そのときはまだ、腸内細菌は脇役的存在でした。
腸内細菌に初めて着目したのが、それから3年後、今から10年前の2013年9月刊行の221号の特集記事「腸内細菌と栄養の意外な関係」です。各テーマは、「健康・寿命を左右するヒト腸内フローラ」「食事エネルギーのコントロールに関与する腸内細菌」「太った人と痩せた人 体重変動は腸内フローラが関与?」「世界も注目! アジアの食と腸内フローラ」と、腸内フローラ(腸内細菌叢)の機能を一通り取り上げていますが、腸内細菌研究が緒についたばかりだったこともあり、内容は初期段階の研究紹介にとどまっています。
その後、次世代シーケンサーの登場により、ゲノム解析をはじめとする分析技術が格段に向上しました。腸内細菌研究は飛躍的に発展し、具体的な機序が次々と解明されていきます。
今では、遺伝的要素が強いとされてきた体型や体質などにも、腸内細菌が関与していることが分かってきました。また、腸内細菌の代謝物であるポストバイオティクスや、腸内細菌同士の共生関係の研究なども進んでいます(巻頭インタビュー)。
健康を左右する腸内細菌の影響力は遺伝子にも匹敵する——注目度は増すばかりです。