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ヘルシスト 261号

2020年5月10日発行
隔月刊


をこらえてすくなくし、をおそれてふせぐ

江戸時代前期の本草学者にして儒学者・貝原益軒(1630~1714年)は、享年85という長寿に恵まれ、98部247巻に及ぶ著作を残しました。中でも有名な『養生訓』は、幼時から体の弱かった益軒が、自ら学び実践して得た養生の心得を伝えようと83歳にして筆をとったもので、江戸時代を通してベストセラーとなり、現代語訳となって今も読み継がれています。

全8巻からなるこの大著には、心身の健康を保つため、適度な飲食をし、好色や眠りを貪ることや多弁を慎み、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情を程よく調えるようにするなど、いわゆる内から生ずる欲望(内欲)を抑え、体を動かすことも忘れず、風・寒・暑・湿の外部からくる邪気を恐れて防ぐようにと、つまびらかに記されています。

戦から解放された江戸時代とはいえ、富士山は噴火し、地震は起こり、天然痘や麻疹はしか、インフルエンザやコレラなどの流行病と、人々は度々試練に見舞われました。

医療が乏しかった時代、人々の命をつないだのは、基本的でこまやかな日々の摂生の積み重ねだったに違いありません。『養生訓』の中で、表現を変えたり重複しながら繰り返し語られている心得からは、益軒が後世の人々に向けた祈りと励ましが、ひしひしと伝わってきます。


今号では、「地球温暖化」と「新型コロナウイルス」という現在進行中の二つの深刻なテーマを取り上げています(ちなみに各記事は、4月16日までの情報をもとにつくられています)。

文明の発展が深く関わっているとされる気候変動と、世界を襲っている「新型コロナウイルス」という疫病─現代社会にとってかつて経験したことのない大きな災厄は、最新の科学とテクノロジーをもってしても完全に克服することは極めて困難です。そのような状況だからこそ、貝原益軒が300年以上前に著した『養生訓』は心に響きます。命を守り健康に生きるために語り継がれてきた養生の心得は、いつの時代でも通用する、普遍的で根源的な手段に他なりません。

そもそも、人間は集団でなければ暮らしていけない社会性の生き物といいます。無人島にでも住まない限り、集団と個人という関係性は必ず生じます。例えば20人の集団と比較して、1000人の集団では個の存在感はかなり薄れます。そのため自分だけは大丈夫、一人の行動なんてどうってことないと軽く考えてしまうかもしれません。理屈で分かっていても、個の行動の重要性になかなか実感が湧かないのが、正直なところです。

しかし一人の欲望が社会全体のリスクとなり、そのリスクは結果的にその人に還流してきます。気づいたときにはすでに感染者になっている─。そのような事態に陥らないためにも、「内欲」を抑えて健康に留意し、他人を気づかう行動が大切になってきます。

状況は刻々と変化しています。ワクチンや治療薬の開発には時間がかかり、今号が出る5月中旬時点でどのような状況になっているのか─いずれにしろ、災厄から身を守る最もシンプルで有効的な手段は、江戸時代と変わりはないのです。

同じことは地球温暖化にもいえます。今は「新型コロナウイルス」が喫緊の課題ですが、こちらのほうがより深刻かもしれません。どのようなシナリオに収まるにしろ、感染症はいずれ落ち着くはずです。一方、加速度的に悪化する地球温暖化は待ったなしです。貝原益軒の心得を胸に刻み、どのような行動をとるべきか、考えたいと思います。

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