「細胞と遺伝子」第2回ウイルス

イラストレーション/北澤平祐

河合香織(かわい・かおり)

1974年生まれ、ノンフィクション作家。2019年『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』(文藝春秋)で、第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第18回新潮ドキュメント賞を受賞。現在、東京大学大学院で生命倫理を学ぶ。

「薬がない、ワクチンがない。今回はゼロからのスタート」。人類は、未知のウイルスとどのように闘い、共存を模索していけばよいのだろうか。2020年代の「細胞」研究と「遺伝子」研究の相克を、さまざまな観点から追う連載。第2回は、世界的大流行となった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の正体について、ウイルス学の世界的権威である東京大学医科学研究所感染症国際研究センター長の河岡義裕教授に聞いた。
※インタビューは2020年3月23日に行われました。

東京大学医科学研究所感染症国際研究センター長

河岡義裕(かわおか・よしひろ)

蠍座。北海道大学大学院獣医学研究科修士課程修了。獣医学博士。米国ウイスコンシン大学獣医学部教授ならびに東京大学医科学研究所感染症国際研究センター長。野口英世記念医学賞、ロベルト・コッホ賞、紫綬褒章。米国科学アカデミー外国人会員。著書に『新型インフルエンザ 本当の姿』 (集英社)、監修に『猛威を振るう「ウイルス・感染症」にどう立ち向かうのか』(ミネルヴァ書房)、共訳に『インフルエンザ・ハンター ウイルスの秘密解明への100年』(岩波書店)など。

100年に一度といわれるウイルスが世界中で猛威を振るっている最中、貪欲に求めたのは情報だった。刻一刻と変わる状況に心がついていけず、ウイルスの正体もはっきりせず、果たして生き残ることができるかという命の心配もあり、もはや何が不安であるかさえ判然としない。数十分ごとにニュースをチェックしても、そこで受け取る情報は不安を拭ってはくれない。真の専門家に会いたいと思った。もちろん未知のウイルスであるがゆえに、まだ分からないこともあるだろう。それでも長年培われた冷静な知見こそが人を救ってくれるのではないかと感じた。

東京大学医科学研究所の河岡義裕教授はウイルスの研究者であり、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーである。これまでインフルエンザウイルスを人工的に作る技術を世界で初めて成し遂げ、エボラワクチンも開発した。

まず尋ねたかったのは、今までに数多くのウイルスがあったのに、新型コロナウイルスはなぜこれほどまでに世界を揺るがすものになったのかということだった。ウイルス自体、何か生存戦略に優れているものを持っているのか。

ウイルスに戦略などない

河岡教授は、その質問は「ウイルスに幻想を抱いている」と言う。

「我々はインフルエンザを長年研究してきましたが、それに比べるとこのウイルスはものすごく安定しています。一番最初に別の動物から人に入ってきたときには変異があったのでしょうが、これほどまで人に流行すると、よく増えるようになっているし、伝播もする。今後少しずつ変化することもあるでしょうが、現段階では大きな変化はありません」

変化が少ないということは、ウイルスが変化しなくても生き残れるからではないかと考えていたが、河岡教授はそれを否定する。

「ウイルスを擬人化してはいけません。ウイルスは何も考えていない。ある特定の条件でウイルスが生き残っていくというだけのことです。ランダムに変化して、一番いいものだけ残っている。たまたまいい具合に変化したものが我々の目に見えているのです」

つまり、生存戦略はないということなのだろうか。

「戦略なんてゼロ。ウイルスには戦略なんてないんですよ」

ウイルスは細菌と違って、それ自体では生きることができない。だからこそ、宿主と共存できるように生存戦略を立てていると私は思っていた。だが、そうではなかった。すべては偶然だったのだ。

ただ、ウイルス自体に思惑はないとしても、今回のウイルスが実は人工的に作られたものではないかといった説を唱える人もいる。

「ありえないです。ウイルスを操作して元のものよりも強毒なものを作るのは非常に難しい、というかほぼ無理です」

だが、河岡教授はウイルスを人工的に作る技術「リバース・ジェネティクス法」を世界で初めて開発したまさにその人である。

「我々も元のウイルスよりも強いウイルスは作っていません。弱くするのは簡単ですし、同じものはいくらでも作れる。ですが、元のウイルスよりも強いウイルスを作るのは非常に難しい。もちろん、まともな科学者はそんなことを、しようとも思いません」

それは前述したように「散々選ばれて一番いい状態のものが残っているから」だという。

「ウイルスはそれ自体がバランス良くできています。それをいじると良くはなりません。『良く』というのはこの場合はよく増えるという意味です」

重症化に関与する遺伝子

一方、細菌であれば操作して強毒化することは可能であるという。

「細菌は比較的許容性があるので、そういう毒素を組み込ませることができます」

細菌とウイルスはどこが異なるのだろう。

「多くのウイルスは細菌に比べてキャパシティが小さく、毒を入れる余地がもうほとんどないんです」

「ネットでは新型コロナウイルスも自分が作ったことになっている」と河岡教授は笑う。嫌がらせのメールも届くが、それらはFBIに転送している。90歳の母親がiPadを使えるようになり、息子の名前を検索したらそのような中傷を見つけてしまった。

「怒っていましたよ。うちのかわいい息子になんてことをって(笑)」

では、どうしてこのようなウイルスが発生したのだろうか。

「もともとコウモリのウイルスだと思うんですけど、それが人にどういう過程で伝播したかはまだ分かっていません。例えばエボラウイルスはほとんど変化を繰り返さずにコウモリから人に伝播します。たまたま人がエボラウイルスに感受性が高くて病気になりやすいんですね。一方、インフルエンザは違っていて、鳥インフルエンザウイルスが人で流行しようと思うと変化が必要となります。今回の新型コロナウイルスについては、コウモリにいたウイルスが直接人に伝播したのか、媒介する動物がいたのか、あるいは何か途中で変化が必要だったのかはまだ分かっていません」

河岡教授は新型コロナウイルスに感染してから1カ月後の血液を集め、どのような抗体ができているかについて研究をしている。感染に対する抗体ができるのは1週間後からで、1カ月後になるといい抗体ができるからだという。

「臨床の先生は患者さんで手一杯でご協力いただくのは難しい場合もありますが、徐々に患者さんの検体が集まってきています。患者さんの検体からコロナウイルスに対する抗体を作り、その抗体を患者さんに注射することで治療に使うことができます」

通常、抗体ができると同じウイルスの場合は2回目は感染しない。だから、早めに感染して免疫をつければ良い、集団感染をすべきだと考える人もいる。

「確かにそういう作戦もあります。ですが、そうすると非常に多くの重症化する人を救えなくなる。医療が崩壊し、本来ならば助かる人を助けられなくなります。若い人でも重症化する人が一部いるので、そういう人も救えなくなる。人の命は地球より重いと考える日本ではこの戦略は無理です。犠牲者が出てもテロリストを殺すというメンタリティは日本では理解が得にくい。だからこそ、人ができるだけ死なない方向で戦略を立てなければいけません」

重症化するかどうかには遺伝子が関与しているのだろうか。

「遺伝子の場合もあります。インフルエンザで重症化する遺伝子を見つけた研究者もいますし、我々が最近研究しているのは易感染性です。インフルエンザに1年で3回かかったお子さんがいて、よくよく聞いてみると他の感染症にもかかりやすいけれど、重症化せずに治るという。だから、重症化するのとかかりやすいのは別物なんです。それで、我々はそのお子さんとご両親の遺伝子をすべてシークエンスして、重要そうなものを絞り込んでいった。易感染性に関与すると推定される遺伝子のうちの一つは、呼吸器の細胞の表面の繊毛の機能が悪くなる遺伝子でした。これは大きな発見で、ウイルスを繊毛で排除できなくなるから感染しやすいことが分かったんです。だけど感染しても免疫はちゃんとしているから、重症化はしない。これから新型コロナウイルスでも重症化や易感染性に関与する遺伝子が見つかってくると思います」

だが新型コロナウイルスの場合、ウイルス陰性になった患者がもう一度陽性になる例も報告されている。

「再燃ということはありうると思います。動物でもコロナウイルスにかかると、インフルエンザみたいに簡単には消えていかない。ずっとウイルスを排出し続けることもあるし、一旦消えてもまた現れることもある。ですので、新型コロナウイルスで起きていることは不思議なことではない」

だが、再感染についてはまだよく分からないという。

「これから動物実験で試そうと思っています。抗体ができたにもかかわらずウイルスが消えていかない人もいるので、それはどういうことか調べる必要がある」

ただし、このウイルスは通常のマウスでは増殖しないので、特別なマウスが必要となる。

「ウイルスが細胞に入っていくとき、細胞の表面の受容体を認識しますが、このウイルスがくっつく分子がマウスにはありません。ですので、人が感染するときの分子をマウスに組み込んだトランスジェニックマウスを使って実験します。ただ非常に供給量が少なくて、手に入るのに少し時間がかかりそうです。さらにそこから増やして実験ができるようになるには3カ月くらいかかります」

抗体ができれば感染拡大は収束に向かうのだろうか。

「無理ですね。なぜかというと、抗体治療はものすごく高額なんですよ。重症患者にしか使えない。その間に既存の薬でこのウイルスに効くものが見つかってくると思います」

ワクチン開発の鍵を握るメッセンジャーRNA

待たれるのはワクチンだ。河岡教授は企業と協同で新型コロナウイルスのワクチンの開発に着手している。

「この新型コロナウイルスの感染を防御するのに関与しているタンパク質があります。それを作るためのメッセンジャーRNAをワクチンにする。つまり、このメッセンジャーRNAを体の中に入れてやると、細胞の中に入ったメッセンジャーRNAから標的となるタンパク質ができて、それに対する抗体が感染を予防するということです」

新型コロナウイルスは幾度か流行を繰り返すことになるかもしれないが、ワクチンが開発されればコントロールできるものになっていくだろうと河岡教授は話す。ただし、年単位の時間は必要となる見通しだ。

当初、新型コロナウイルスはインフルエンザウイルスと比較されて語られることがあった。河岡教授によるとそれらの2つはウイルスの構造が大きく違うだけではなく、状況も大きく異なるという。

「2009年にパンデミックを起こした新型インフルエンザと新型コロナウイルスの大きな違いは、我々に免疫がまったくないということです。インフルエンザは新型といっても人類にそれなりに免疫があったし、治療薬もあった。だからそれほど恐れることはなかった」

一方、ワクチンがなく治療法もはっきりしないことが新型コロナウイルスに対する恐怖の原因だ。そして我々が抱える不安の最も大きなものは感染することへの恐れであろう。河岡教授はそういった不安は感じないのだろうか。

「このウイルスは人が運ぶものですから、とにかく人に会わなければいいのです。ペストが流行したとき、人々は地方に逃げましたが、あれはネズミが媒介していたから。新型コロナウイルスは人が運ぶものですから、家に閉じこもっていればいいのです。一方、実験でウイルスを扱うことに恐怖は感じません。ちゃんと防御をすれば絶対にうつらないことが分かっているからです。我々はスペイン風邪も鳥インフルエンザもエボラウイルスも扱いますが、完璧に防御をすれば怖いことはありません」

新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真。ウイルスを感染させたサルの腎細胞(Vero細胞)を1万倍に拡大。細胞の中の空砲にウイルス(黒い粒)が放出されていることがわかる。(写真提供:今井正樹・氏江美智子)

地球にとって有用なウイルスもある

多くの人命を奪うという悪い面がクローズアップされているウイルスだが、河岡教授はウイルスの別の側面にも注目し、「ネオウイルス学」というプロジェクトも主宰している。

「前からずっと興味があったのですが、人にも動物にも病気を起こさないウイルスがあるのです。そういうウイルスをベクター(媒介物)に使えるのではないかと思っていました。それに何かを組み込んで、例えば遺伝子治療などにも使うことができるのではないかと考えています。ウイルス学というのは、植物、動物、人で病気を引き起こしているウイルスを調べ、なぜ起こしているのか、どうやれば防げるかという研究を行って発展してきました。ですがそれは氷山の一角で、その氷山の下には病気を起こさないウイルスがたくさんいます。それらのウイルスの地球環境における存在意義を明らかにするのが、ネオウイルス学なんです」

病気を引き起こすウイルスは一部でしかなく、地球にとって有用なウイルスもあるのだ。

「あるウイルスに感染していることで、人ががんになりにくいというものもあります。植物では、普通だったら乾燥で死んでしまうものが、ウイルスに感染しているがゆえに生き残れるという、ウイルスと宿主の関係が成り立っているものもある。あるいはウイルスが増えることで藻を殺し赤潮が消えるという研究もあります。ウイルスの新しい地平を探っていきたい」

新型コロナウイルスの流行は天災のように思っていたが、河岡教授はそうではないと言う。

「これは防ぐことができたものではないかと思います。なぜなら中国の武漢で感染が起きて、それを世界は見ていたからです。ここまで拡大しないように早めに対策を行うこともできた。なぜやらなかったのか。自分たちは大丈夫だろうという根拠のない安心感があったのではないでしょうか。けれども冷静に考えればそんなわけはないのです。ウイルス自体には戦略などなく、人と闘おうとはしていない。真に人が闘わなければならないものは何でしょうか」

ネオウイルス学は「共進化、共生、多様性」という言葉を掲げている。我々の社会で必要とされていることは、ウイルスとの関係を読み解く手がかりにもなるのかもしれない。

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ヘルシスト 261号

2020年5月10日発行
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