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ヘルシスト 278号

2023年3月10日発行
隔月刊


新たなるタンパク資源

熊谷守一(1880〜1977年)といえば、明治、大正、昭和を生き、独特な存在感を示した画家として知られています。

守一は、初代岐阜市長や衆議院議員を務めた事業家を父に持ち、子ども時代を裕福に過ごしましたが、東京美術学校(現在の東京藝術大学)在学中にその父を亡くして以降は、もともと世間の評価といったものへの欲がないうえに寡作で、まったく絵が描けなくなった時期もあり、60歳近くになるまで大変貧しい生活を送りました。5人の子どものうち3人を病で亡くす悲運にも見舞われますが、それでも自分の絵の世界と向き合い続ける守一を物心両面で支えたのは、画家や音楽家の友人たちだったと伝えられています。

彼らの厚意を素直に受け取り、その助言にもひもとかれて、やがて守一の簡潔な筆使いの迫力ある油彩、日本画、書の魅力を世間が知るところとなると、信奉者やコレクターが続々と現れ、一転、忙しい晩年を送ることになりました。

絵が売れるようになっても、白髪頭に長いひげ、どこへ行くにもカルサンというモンペのような仕事着を身に着けた貧乏時代と変わらない生活ぶりで、そういう人柄もまた人々の心を捉えるのか、没後40年以上を過ぎても展覧会が開かれ、関連書籍が出版されるなど、その人気は衰えを知りません。

守一は長生きのコツを、無理をせぬことと語っています。それは肉体的にはもちろん、精神的にも自分を繕わず、ありのままを受け入れて生きようとした守一の姿勢を伝えています。かつて絵筆がとれない時期があったことなど嘘のように、亡くなる前年の96歳のときにも、守一は力強い作品を残しています。


熊谷守一の常識にとらわれない生き方が今でも多くの人に共感される一方で、私たちの暮らしは、時代の変化とともに大きく変わりつつあります。一つの要因が、地球温暖化に伴う気候の変動です。地球規模の気候変動によって発生する異常気象は各地に災害をもたらし、農業や漁業、畜産業に大きなダメージを与えています。気候変動に起因する影響は今後も増大していき、その結果、私たちはいずれ、これまでの生活様式を変えざるを得なくなるだろうといわれています。

特に食を取り巻く環境は、転換点を迎えるのかもしれません。人口の増加、途上国・新興国の発展によって食肉の需要が増え、2030年にはタンパク質の供給量が世界的に不足する事態に陥ると予測されています。食料不足になったら、牛肉を増産するなど農産物の生産量を増やすというのが従来の主要な対処法でした。ところが、例えば牛肉の生産は大量の飼料と水を消費するなど環境への負荷が大きく、さらに牛のげっぷに含まれるメタンは温暖化促進の要因の一つとされています。牛肉の生産を増やすという手段は、将来を見据えた選択肢とはいえないのです。

世界的なタンパク質不足というかつてない環境を背景に、新しい概念の代替タンパク質の供給源、いわゆるタンパク資源の研究開発が今、盛んに行われるようになってきました。培養肉、代替肉、代替乳・卵製品、昆虫食、藻類などその種類は多様で、中でも肉の細胞を培養して作る培養肉の開発が進んでおり、近い将来、安全基準をクリアして販売が可能になったときには、市場は一気に広がるだろうとされています。昨年、アメリカ食品医薬品局(FDA)は動物細胞から作った培養肉を認可し、世界に先駆けて培養鶏肉の製造販売を始めたシンガポールでは、アメリカの企業が培養肉生産センターの建設に着工しました。

私たち日本人はかつて牛肉の食文化を持たなかったのですが、今では、すきやきやステーキをおいしく食べています。環境の変化に沿って食文化が変わるのは必然ともいえます。培養肉や代替肉、昆虫食が一般に受け入れられ、ふつうに食べる日が、そう遠くないうちにやって来るかもしれません。

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