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ヘルシスト 280号

2023年7月10日発行
隔月刊


森鷗外の「饅頭茶漬け」

「舞姫」や「」などの作品で知られる森鷗外(1862~1922年)は、明治から大正期の、日本が近代化を迫られる中で、医学と文学を中心に大きな足跡を残しました。

鷗外は、東京大学医学部を卒業して軍医となり、軍の衛生制度の調査・研究のために派遣されたドイツで、5年にわたりロベルト・コッホ等に師事して衛生学を学び、陸軍軍医学校長、軍医総監、医務局長を歴任。陸軍を退官後は帝室博物館総長、帝国美術院院長を務めました。それらの公務と並行して、終生多彩な活動を展開します。翻訳、文学評論の分野を開き、大学で美学を教え、文芸誌「スバル」等の創刊に参加して、幸田露伴や石川啄木、永井荷風などと広く交友。樋口一葉を見いだし、与謝野晶子も支援しました。

兵食の質と量を栄養学の観点からまとめた『日本兵食論大意』を発表したり、土地、下水、埋葬、上水、都会、家屋、空気、気象、衣服、栄養の10章からなる衛生学の啓発書『衛生学大意』を講述したり、家庭向けに栄養素の効能や食養生、食品の栄養価や見分け方、献立の調整要項と調理法などを収録した『家庭実益食養大全』の校閲をしたりと、人が健康を保ち、文化的に暮らすための提言を続けたことも忘れてはなりません。

鷗外自身が日々の暮らしで実践していたのは、生ものに注意すること。森家では生水は飲まず、暑いときでも麦茶か炭酸飲料と決まっていて、果物もみかんとりんご以外は火を通して供されました。当時と今では、衛生面の環境を比べることはできませんが、どの時代においても、口に入れるものは状態を確かめて、注意や工夫をすることが必要であると改めて感じます。

さて、寝る時間があったのかと思うほど多忙な鷗外は大の甘党でした。好物だった饅頭をご飯にのせた「饅頭茶漬け」や焼き芋は、鷗外にひとときの安らぎを与えたに違いありません。


明治39(1906)年12月に刊行された『家庭実益食養大全』は、第一節「栄養通則」、第二節「食品通則」、第三節「調理通則」、宴会の作法つまり食事マナーを教示した「附録」からなる464ページの大著です。

今も十分に通用する内容で、例えば「調理通則」の最終項にあてられている「各種食品分析表」には、さまざまな食品についての成分分析が掲載されていて、その項目は、「水分」「蛋白質」「脂肪」「含水炭素(炭水化物)」「繊維」「無機質類」「灰分」「無窒素物(消化される糖質)」と、分類の様式こそ若干異なるものの、文部科学省の「日本食品標準成分表」とほぼ同じです。当時の市民はこの本を通じて初めて、栄養に関する確かな知識を得ることができ、食と健康について科学的に考えるきっかけをつかんだ―と言えるのではないでしょうか。

その後の120年間で、産業や文化の発展、気候変動、社会の変容とともに暮らしは劇的に変化し、平均寿命もぐんと延びました。一方、私たちの体と健康は年齢や環境、生活様式に大きく影響されるようになり、同時に食と栄養の捉え方も、個々の体や健康の状態に沿って多様化しています。

戦後間もない日本における最大の関心事はエネルギーの確保でした。生活習慣病が問題とされるようになった現在は、摂取エネルギーの抑制が重要なテーマになっています。最近の食品は、「糖質カット」「糖質ゼロ」ブームです。しかし糖質は生命の根源的な分子であり、生体の機能バランスを保つ重要な栄養素です。健康な人がむやみに糖質を制限すれば、体に深刻な悪影響を及ぼす恐れがあります。栄養の基本的な考え方は、今も昔も変わりません。甘党で「饅頭茶漬け」なる食べ物を好んだという森鴎外は、この「食事情」をどうみるでしょうか。

長い間、小誌のアドバイザーを務めてくださった青木清上智大学名誉教授が5月、逝去されました。科学全般に幅広い興味と知識をお持ちで、私たちを確かな見識をもって導いてくださいました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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