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ヘルシスト 269号

2021年9月10日発行
隔月刊


5000万歩を支えたもの

伊能忠敬(1745~1818年)は、今から約200年前の江戸時代後期に日本国中を測量し、実測による、初めての科学的な日本地図を作った人として知られています。そして忠敬といえば、その偉業が隠居後になされたことも忘れてはなりません。

忠敬が暮らしたでは、裕福な商人は隠居すると江戸に出て、好きなことをして暮らすのが習わしだったといいます。忠敬も49歳で家督を譲ると、江戸で幕府の天文方である高橋至時に弟子入りして、天文・暦学を学び始めたのです。

そして蝦夷地測量へ、第一歩を踏み出したのが55歳のとき。個人事業として幕府の許しを得る形で始まった測量は、やがて幕府の測量隊へと昇格し、足掛け17年で10回、延べ3754日間に及び行われました。第9次測量の伊豆七島を除いて全測量に従事した忠敬の旅行距離は、3万5000㎞に達したといわれています。忠敬の歩幅は69㎝であったということですから、歩数にすれば、およそ5000万歩を歩いたのです。

興味と情熱を持って臨んだとはいえ、歳を重ねてからの度々の長旅において、忠敬の体調を支えたものは何だったのでしょう。伊能忠敬研究会代表を務めた渡辺一郎の編著『伊能忠敬測量隊』の中に、徳山毛利家の『測量方御用意記』に残る、忠敬の食事の好みに触れているくだりがあります。それによれば、酒や魚は好まず(鯛類の焼き物は別)、好物は、「かぶら、大根、人参、せり、鳥、卵、長いも、蓮根、くわい、豆腐、菜、菜類、椎茸、鰹節、但し鰹節は煮出し、その汁で炊物にして、花鰹を上にかけるのがよい」とのこと。古くから滋養があるとされたものが多く、忠敬が食事に気を配っていたことがうかがえます。

一歩一歩の歩測によって、やがて日本地図ができあがったように、一日一日の食事の積み重ねが、各々の一生の体調を整えていくのだと改めて思います。


よく歩き、食事に気を配る―伊能忠敬の5000万歩を支えた日常は、いつの時代も、私たちの身体と健康を守る基本的な生活様式です。今は、栄養に関わるさまざまな研究が進み、健康の維持や促進に役立つ機能を備える食品も手に入るようになりました。なかでも最近よく見かけるのが、「ペプチド」という表示。ペプチドはどのような物質なのでしょうか。

ペプチドはタンパク質と同じように2つ以上のアミノ酸が結合した分子ですが、酵素として働くタンパク質に対して、主にホルモンの機能を有します。この作用を利用した薬は古くから開発されていて、代表的な例として、インスリンの分泌を促す糖尿病の治療薬や、最近では、ペプチドの化学構造を模倣して有効性を強化するペプチドミメティクスという方法で、抗HIV薬(抗エイズ薬)などが作られています。

そもそもペプチドは、体内でのタンパク質生成過程で産生され、血糖や血圧、神経伝達などを調節するさまざま作用を持つことが知られています。最近の研究で、生理的に機能しないとされてきた産生段階で出てくる端切れのような「断片ペプチド」の中にも、自然免疫の中心的役割を担う「好中球」を活性させるペプチドが存在していることが明らかになりました。

一方、食べ物として摂取するペプチドは、「栄養・味覚・生体調節」という食品の機能に働くことができ、また、タンパク質やアミノ酸と比べると吸収率も高いことが明らかになってきました。そのため、血圧降作用を有するペプチドを含有した飲料など、数多くの特定保健用食品や機能性表示食品が開発・販売されています。

ペプチドの多彩な機能は「ものづくり」の分野でも注目されていて、実用化に向けた研究が進んでいます。ペプチドで合成された金粒子を使ってがん細胞を特異的に熱して死滅させる光温熱療法や、再生医療に用いる細胞の培養界面の形成、ウイルスや爆発物を検知するセンサーなど、活用範囲はバラエティに富みます。

ペプチドの世界はさらに広がります。

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