暮らしの科学 第47回 品種改良で見る梨の歴史と科学

文/茂木登志子  イラストレーション/山崎瑶実

梨が出回る季節になった。近年は品種も増えて、購入時に迷うこともしばしば。そこでおいしい梨の見分け方を学ぼうと専門家に解説を仰いだ。すると、思いがけず、どんな環境でもおいしい梨を作るための、品種改良の長い歴史があることを知った。

〈今月のアドバイザー〉竹村圭弘(たけむら・よしひろ)。鳥取大学農学部生命環境農学科生命環境農学講座准教授。博士(農学)。香川大学農学部卒業後、鳥取大学大学院で修士・博士課程を修める。同大講師を経て2021年4月から現職。気候変動などに対応した梨の育種に取り組んでいる。

秋の味覚として親しまれている梨。サクッとかじり、シャリシャリと果肉をかめば、みずみずしい甘さが口中に広がる。この独特の食感と味わいが、暑さに疲れた心身を癒やしてくれるようだ。

こうした梨のおいしさは古くから知られ、好まれていたようだ。静岡県の登呂遺跡で炭化した梨の種が出土していることから、弥生時代後期(1~2世紀)にはすでに梨を食べていたと見られる。早くから栽培も行われていたようだ。梨に関連した文献として最も古いのが『日本書紀』で、持統天皇(7世紀)が飢饉のときに人を救う救荒作物として栽培を奨励する記述が見られる。

「江戸時代には盛んに品種改良が行われていて、品種もたくさんあったといわれています。国内各地でそれぞれの地域に合った品種が栽培されていて、産地やその周辺で食べられていたのでしょう」

梨とその品種改良について解説してくれるのは、鳥取大学農学部准教授、竹村圭弘さんだ。大学院時代から継続して、梨の未来を見据えた品種改良などの研究に取り組んでいる。

「梨の歴史の中で、いちばん革命的だったのが、明治に入って『二十世紀』が登場したことでしょう」

何が革命的だったのか?

「味わいです!」

間髪をいれずに即答すると、竹村さんは次のようにその理由を教えてくれた。

「皮の色で大別すると、梨は赤梨と青梨に分けられます。それまで梨といえば茶褐色の赤梨で、どの品種も、歯触りがざらざらした硬い果肉でした。ところが、二十世紀は皮が淡緑色の青梨です。しかも、肉質が柔らかくてみずみずしい。そこで、これを基本に近代日本の梨の品種改良が行われていったのです。今、我々が食べているほとんどの梨に、二十世紀の遺伝子が入っていると言っても過言でありません」

幸水、豊水、、二十世紀。これが梨の主要品種だが、この4種だけで梨の栽培面積のおよそ8割を占めている。そして、幸水は二十世紀の孫に当たり、近年の研究から豊水は幸水の子、つまり二十世紀のひ孫に当たるということがわかった。

梨の品種(写真提供:鳥取県園芸試験場)

品種改良の長い道

生産者や消費者が望む新しい特性を持った品種を開発することを、品種改良という。二十世紀は果実の品質は良いが、黒斑病にかかりやすいという弱点がある。そこで、病気に強くて食味も良い梨を作るという目的で、交雑育種法による品種改良が行われた。

交雑育種法というのは、品種改良の目的に応じて既存の品種から両親を選び出し、その子どもたちの中から最適な品種を選び、クローンを増やしていくのだ。こうして誕生したのが幸水や豊水だ。青梨の二十世紀に赤梨系の子孫がいるのは、病気に強い赤梨を交配したからだ。

「桃栗三年、柿八年」ということわざがある。食べられる実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないということから、何事も成果をあげるまでには長年かかるという意味を持つ。梨の場合は最低でも実がなるまで5年はかかると竹村さんは言う。実を収穫できるようになるまでのサイクルが長いため、梨の品種改良には長い歳月を要するのだ。

「目的に合わせて両親を選び、春の開花期に受粉させ、秋に実を収穫して種を取り出します。翌春、その種をまくのですが、実をならせる木に育つまで数年かかります。例えば病気に強い品種を作るのが目的なら、その間に、木が病気に強いかどうかを調べます。そして果実ができるようになったら、食味が良いかどうかの判断も大事です」

良い結果が得られなければ、親の組み合わせを変えて、また種からが得られるまでの過程を繰り返す。地道な努力と検証の末に、改良の目的に最適な木が得られたら、そのクローンを作る。なぜ実から取った種を使わないのだろうか?

「私たちは皆それぞれ両親に似ていますが、同じではありません。梨をはじめとする果樹の場合、同じ品種というのは木の性質も実の食味などの特徴も全く同じもの、ということなのです」

そのため台木に枝を接いだ接ぎ木苗などで、新しい同じ品種を増やしていくというわけだ。ちなみに主要品種の幸水は、戦争中の1941年に交配し、戦後の1947年に初結実した。1949年以後に地方適応および特性検定試験などを行い、経済品種として十分な特性を持つことが確認され、1959年に幸水と命名されて世に出た。1954年に交配した豊水がその名を得て世に出たのは1972年だ。

地球温暖化と梨

竹村さんが取り組んでいる品種改良のテーマは、地球温暖化に耐える栽培品種だ。気候変動と梨にどのような関係があるのだろうか?

「実の収穫後、葉が落ちると、次の年に実をつけるための準備が始まります。梨は寒い冬の間は自発的に眠り、一定の低温状態を積み重ねることで、春になるとうまく冬眠を解除するという仕組みになっています」

梨の1年バラ科に属す梨の花は、白い5枚花弁で、開花中に人工授粉する。早生の幸水から、中生、晩生と出回る品種が変わっていく。

竹村さんによると、休眠には2つのタイプがあるという。一つは他発休眠で、例えば気温の寒暖などで休眠のスイッチが入ったり解除されたりするタイプだ。もう一つが、梨に見られる自発休眠で、植物自身が活動停止する。

「花が咲かないと実がなりません。ですから、梨にとっていちばん大事なのは、適切な時期に花を咲かせるということ。冬にあったかい日があって間違って花を咲かせてしまうと受粉の準備ができていないし、開花の後にまた冬の寒い日が来て休眠したりすると、実を結ぶことができません。環境に左右されて花が咲かないように抑制しているのが、梨の自発休眠です」

自発休眠は生存するために必要なメカニズムなのだが、眠ったまま春になっても目を覚まさないという、発芽不良の状況が多発するようになった。以前は九州などの南の産地で起こっていたが、近年は関東でも生じている。梨の自発休眠解除には一定量の低温が必要なのだという。

「冬に一定の寒さを経てこそ桜の花が開花する、という話を聞いたことがあるでしょう。休眠解除には低温が必要ですが、梨は他の樹木よりもっと多くの低温が必要なのです」

品種によって低温要求量は異なる。例えば、豊水は低温要求量が少ないが、二十世紀やは多いという具合だ。いずれにしても、既存の品種は、温暖化が進むと低温要求量が満たされなくなる。そこで低温の必要量が少なくなる品種の育種を目指しているのだ。

「私は鳥取生まれで、おいしい梨を食べて育ちました。そのおいしい梨が食べられなくなるかもしれないというのは衝撃的でした。大学院に入ってから低温要求量の少ない品種の開発というテーマに取り組み始め、15年くらい続けています。ようやく“ゴールの一歩手前”くらいの品種ができました」

梨の花粉

おいしい梨が実るのは年に一度だ。その栽培過程で重要なのが開花。花は実をつけるために咲くのだ。この開花が早くなっているのだという。

「早い産地だと3月下旬から開花しますが、最近は関東でもその時期に咲き始めることが多くなりました」

特に今年は異例の“記録的な早さ”で、どの産地も早かったという。3月の下旬、遅いところでも4月中には開花した

「これもまた温暖化の影響で、春先の気温が高いことがいちばん大きな要因と考えられています」

梨の開花期間はおよそ5日。この間に、人工授粉という必須作業が行われる。なぜ人の手が必要なのか。

「梨には違う品種の花粉をつけないと果実がつかない“自家不和合性”という性質があるからです」

自家不和合性は、生物として生きていくうえではとても大事なメカニズムなのだと、竹村さんは言う。

「自分たちの花粉だけで結実してしまうと、遺伝的に近いもの同士が交配してしまうので、さまざまな環境に対して弱くなってしまうからです」

しかし、栽培作業としては、自分で受粉してくれるほうが楽だ。授粉作業は開花している間しかできない。梨の開花期間は3~5日と短いうえに、適切なタイミング、すなわち“雨が降っていない”“温度が高い(温度が高くないと花粉管を伸ばして花粉を受け入れない)”という条件のもとで行わなくてはならない。なおかつ鳥取県の場合、傾斜地での梨栽培が多く、作業の負担も増す。

「温暖化の影響で開花がどんどん早まっている一方で、春先にはどうしても寒い日があります。そこで、そういう寒いときでも受粉する花粉を持つ梨の品種はないかとプロジェクトをつくって探してきました」

鳥取大学農学部にある梨の遺伝資源銀行では、新品種の開発のため、貴重な梨を遺伝資源として保存している。

「その中から有望な品種を見つけて、これから実用段階に向かうところです」

花粉に焦点を当てた品種の開発に取り組むのには、もう一つ理由がある。竹村さんによると、鳥取県の梨栽培農家は、授粉用の梨を持っていることが多い。だが、他県では、授粉用の木を持たないところも多く、近年は中国産の花粉を輸入しているケースが増えているそうだ。

「梨生産者のおよそ3割が、そうした海外からの輸入花粉に依存していると聞いています。何らかの事情により輸入が停止になると、梨生産者は人工授粉ができなくなってしまいます。開花しても受粉できなければ果実はできません。そこで国産の花粉を安定供給できるようにしようと、我々のプロジェクトでは、これを解決すべき課題として取り組んでいます」

梨は知っていても、品種までは詳しくない。店頭に説明書きがあると読んではみるが、それはどんな味わいなのかを知りたいからだ。しかし、竹村さんから梨の品種改良にまつわる話を聞くうちに、新しい品種が登場する背景にはさまざまな事情があることを知った。気軽に購入した梨も、なんだか格別な味に感じる。たくさんの人の努力によって生まれた梨のおいしさをしみじみと味わいながら、竹村さんの研究成果が梨の新品種として世に出るのを待つことにしよう。

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ヘルシスト 269号

2021年9月10日発行
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