特集 「ハチ刺され」傾向と対策 「巣を守る」毒針攻撃のスイッチを入れない工夫

文/渡辺由子

ハチは天敵である哺乳類から巣を守るため、刺すことを武器に攻撃してくる。もちろん人も敵と見なされれば攻撃される。要注意なのが、スズメバチ。刺されると、最悪、死に至ることもあり危険なハチとして知られている。一方、植物を食害する昆虫を捕食するなど、生態系において重要な役割も果たしている。研究が進み、どうしたら刺されるリスクを減らせるかもわかってきた。うまく付き合っていく工夫が大切だ。

玉川大学学術研究所所長/同大農学部・同大大学院農学研究科教授

小野正人(おの・まさと)

1983年、玉川大学農学部卒業。同大大学院農学研究科修了(農学博士)後、同大農学部教授、同大農学部部長/大学院農学研究科科長などを歴任し、現職。日本学術会議農学委員会応用昆虫学分科会委員長、日本応用動物昆虫学会会長(代表理事)、日本昆虫科学連合副代表、こどもの国協会評議員。英国の科学誌「ネイチャー」に『ニホンミツバチの対オオスズメバチ熱殺蜂球』(1995年)と『オオスズメバチの複数成分系警報フェロモン』(2003年)を世界で初めて発表するなど、社会性ハチ類を対象に研究を展開。

玉川大学学術研究所所長の小野正人農学部・大学院農学研究科教授は、幼い頃にスズメバチに刺されたことが、ハチの生態に興味を抱くきっかけになったという。その後も調査中にさまざまなハチに刺されたことがあるそうだが、幸いにもハチ毒アレルギーに悩まされることなく、研究を続けている。

人を刺す可能性のあるハチは約20種

「ハチは、ハチとアリから構成される目とも呼ばれるグループに属し、昆虫全体の中でも大きな割合を占め、その種数は世界で約12万種(日本では約4300種)に上るといわれています。スズメバチのように刺す針を持つグループとハバチのように針を持たないグループがいます。その中で日本の都市部にも生息し、人を刺す可能性のあるハチは、20種くらいでしょうか。それらは、花の蜜や花粉などを餌とする草食系のミツバチやマルハナバチと、昆虫などを餌としている肉食系のアシナガバチやスズメバチに分けられます。いずれも『社会性ハチ類』の仲間です。1匹の女王バチとその娘たち(ワーカー=働きバチ)と息子たち(他の巣の女王バチと交尾して精子を渡すだけ)からなる大家族(コロニー)を生存の単位としています。春から秋にかけて巣を拠点に生活し、女王バチの子どもたちが増えるに従い、巣も大きくなります。毎年、夏の終わりごろから秋にかけて、各地でスズメバチによるが報告されているのも、営巣活動が最盛期を迎え、巣内の幼虫やを狙う天敵からの攻撃も頻繁に受けるために働きバチの警戒が高まっているからです」(図1)

図1 針により防衛する社会性ハチ類日本の都市近郊に生息し、ヒトを刺す可能性のある社会性ハチ類は主に4つのグループに分類できる。巣を狙う天敵や餌場を身を挺して守るために刺すことがあるので、巣を刺激したり餌場に近づいたりしないよう注意。

社会性ハチ類に加えて、単独で生活するハキリバチ、ジガバチ、ベッコウバチなども知られているが、本項では、都市部で遭遇する機会が多く、毎年刺害による死亡事故が発生しているスズメバチの生態を中心に取り上げて解説したい。

「ヒトをはじめ哺乳類を刺す(血液を吸う)昆虫は、蚊やブユ、アブなど多数あり、これらは産卵に必要なたんぱく質源を血液から得るためです。卵巣を発達させ産卵するにはたんぱく質が必要なので、血液を吸わなければ子孫をつなぐことはできません。一方、社会性ハチ類がヒトを刺すのは口で栄養を摂取するためではなく、巣を守るための防衛手段として腹部の刺針で毒を注入するのです。また、刺針はもともと産卵管の一部が武器として進化したもので、オスにはそもそも針がなく刺すことができません。働きバチはメスであるにもかかわらずオスとつがうこともなく、1カ月程度の短い寿命の中で、巣づくり、幼虫の世話、餌集めに従事し、巣の防衛隊の一員として働きます。ヒトを刺すのは、自分を守るためではなく、同じ遺伝子のコピーを高い確率で共有する血縁者を守るための自己犠牲的、利他的行動だといえます。私たちの身体を構成する単位は細胞ですが、その数は約60兆個とも約37兆個ともいわれています。家族が生存の単位である社会性ハチ類にとって、コロニーを構成する一匹ずつの蜂は、私たちの身体に当てはめれば細胞一つひとつに相当していると思われ、たくさんの働きバチと女王バチとオスバチが力を合わせたコロニー全体で一つの生き物『超個体』と見なすことができます。私たちの身体には優れた防御機能があり、体外からの病原体の侵入に対しさまざまな免疫細胞が、常に監視し、闘ってくれているので病気やケガに負けずにいられます。ハチのコロニー内では、働きバチが免疫細胞のような役割を担い、巣を狙う多様な敵から、身をして守っているわけです」

ヒトが社会性ハチ類の巣を刺激したりしない限り、わざわざ刺しに来ることはないのだそうだ。1匹で飛んでいるハチは、餌や巣の材料集めをしており、襲われることはまずないが、オオスズメバチは樹液の分泌する餌場を集団で守るために、刺すことがあるので、そのような場所には近づかなければよい。

ハチにとって哺乳類は天敵

一方、社会性のハチ類にとって、哺乳類は捕食者、天敵である。

「珍味の『蜂の子』は、おもにスズメバチの蛹や幼虫で、周囲に海のない山間部で生活していた人々にとっては貴重なたんぱく質源です。大昔から、たんぱく質源を得ることは、人類が生きるうえで必須ですが、イノシシやシカなどの動物を捕まえるのは簡単なことではありません。大きなスズメバチの巣は、蛹や幼虫がびっしりと詰まった格好の栄養源です。煙ですなどして巣を丸ごと捕獲できれば、家族の3、4日分のたんぱく質源になります。もし、社会性ハチ類が毒と針という武器を持たず丸腰であったなら、歴史の中で食い尽くされていたとしてもおかしくありません。今なお滅びずにいるのは、毒液を注入、噴射する針という武器を進化の過程で獲得してきたからだと考えています」

蜂の子など昆虫を食べる文化は、スズメバチが分布する東アジア地域に根づいており、この地域に住む人々の髪や瞳が黒いことと、スズメバチの習性とは、深い関係があるかもしれない。

「巣を刺激されて防衛モードになっているスズメバチの習性として、黒くて光る所を狙って刺してきます。人間の感覚器が集中する首から上の、特に頭や眼への一刺しでダメージを与えられるのは、ハチたちにとって効果的です。ある事例として、林の中でたまたま腰かけた倒木の中にオオスズメバチの巣があって集団攻撃を受け、白い服や白い帽子を身に着けていた人は助かり、黒い服装の人に攻撃が集中して、命を落としてしまったという悲しい話を聞いたことがあります。普通に歩いているだけで黒髪・黒い瞳の人に向かって、ハチが刺しに来ることはありませんが、ハチの活動が盛んになる時期にハチの巣がありそうな場所に行くことがあるなら、黒いものを身に着けないほうがより安全といえるでしょう」

小野教授は、調査中にスズメバチの中では世界最大種のオオスズメバチに頭を刺された経験があり、「チクンなんて生易しいものではなく、真っ赤に焼けた火箸や五寸釘を打ち込まれたような、ドカンという凄い衝撃だった」と話し、そのときには、巣の採集や調査を継続する意欲が完全に喪失してしまうような不思議な感覚を得たそうだ。

さまざまな成分がカクテルのように混合

「スズメバチに刺された凄い衝撃の原因は、ハチ毒の成分にあります。1匹のスズメバチから分泌される毒の量は数μℓ(1㎖=1000μℓ)と極微量ですが、身体に入った瞬間に激痛を感じるのは、ヒスタミンやセロトニンに代表される生体アミン類が含まれているためで、筋肉に直接打ち込まれると、激痛として感じるわけです。刺された箇所は、すぐに紫色になり、数日後にはのようにポロっと取れます。これは、ハチ毒中にホスホリパーゼA1など強力なタンパク質分解酵素が含まれ、組織を破壊するからです。スズメバチは刺すだけでなく、針の先端からスプレーのように毒液を吹きかけることもあり、眼に入ると真っ赤に充血し、大量に入ると角膜に無数の小さな穴が開いてしまいます。もしも眼球を刺されたら、眼底まで毒液が回り、網膜をボロボロに破壊して失明してしまうでしょう。フグ毒やトリカブトの毒のようにそれ自体が強い毒性を持っているのではなく、さまざまな成分が『カクテル』のように混合されています。ハチに刺されて毒液が注入されると、身体は抗原と認識して抗体がつくられ、感作状態になってしまった後に再び刺されると、刺された箇所が痛いとかいとかの局所レベルではなく、急激な血圧低下や呼吸困難、じんましんが出るなど全身にアナフィラキシーショックの症状が出る場合があり、それによって命を落とす事故が毎年起きています。ハチ毒による防衛は、抗原抗体反応というヒトの免疫システムを逆手に取った、非常に巧妙で恐ろしい防衛戦略といえます」

さて、スズメバチの巣に近づくと、まず門番にあたる2、3匹の働きバチがまとわりつくように飛び、大顎をかみ合わせて「カチカチ」と音を立てる、ブーンという攻撃的な羽音をさせる、ホバリング(空中での停止飛行)など、「これ以上、巣に近づくな!」といった警告信号を発してくる。このときに、ゆっくりした動作で巣から離れればよいが、ハチたちを手で払いのけるような刺激を与えると、目にもとまらぬ速さで攻撃をしかけてくる(図2)。

図2 威嚇するオオスズメバチと巣内で育てられる栄養豊かな蜂児〈上〉刺針を出して威嚇。〈下〉オオスズメバチの巣部屋の蓋を除去するときれいに並んだ蛹が現れた。発育段階が揃っており、女王バチが規則的に産卵していることが見て取れる。

「毒針で刺す、あるいは毒液を吹きかけると同時に、巣内にいる多くの働きバチがスクランブル発進をかけて突撃してきます。この毒液は、警戒情報を伝達する『警報フェロモン』の役目もあり、私たちの研究グループは、オオスズメバチの毒液から揮発性の警報フェロモンの成分の解明に成功しました。毒液の香りにはアルコール、エステルなどの香気成分が含まれており、複数の物質が混ざり合ったときに警報フェロモンとしての活性を示すことを突き止めました。さらにその後の研究により、スズメバチの種によってフェロモン成分の組み合わせが異なっていることもわかりました」

警報フェロモンとして機能する複数の香気成分は、単独ではハチを警戒行動に駆り立てることはないが、例えば、何人かでキャンプやハイキング中に、それぞれの香水やコロン、整髪料、衣服の柔軟剤などの香気成分が、運悪くハチの警報フェロモンの組み合わせに合致してしまうと、ハチにしてみれば、「敵が来たぞ!みんな集まれ!」という警報になるので、「良い匂い」には十分に注意したい。

また、ハチの生態が明らかになるにつれ、刺傷事故を防ぐための製品開発が進んでいる。殺虫剤の系統では、ある程度の距離をとっても殺虫成分が届くようなノズルの形状に工夫が施され、薬剤が2~3m先まで飛ぶスプレー式殺虫剤も販売されている。匂い成分を活用した製品もある。

「高知大学の伝統ある昆虫化学生態学の研究室発のベンチャー企業が開発した、ハチに攻撃性を失わせる匂い成分を含んだ忌避剤です。スズメバチはクヌギの樹液を餌として好みますが、人気のある樹液とそうでない樹液があることに目を付けたのが実装化の端緒。スズメバチの来ないクヌギからはアルコールの一種(フェネチルアルコール)が検出され、その物質に対して、スズメバチが嫌がる効果が確認できたとのこと。さらに、近縁のフェニルメタノールにも同様の効果を確認できたことから、花香にも含まれる天然のそれら香気成分を使ったスズメバチ忌避剤を開発したそうです」

生物多様性の観点からも重要な存在

他にも、類のハチクマはスズメバチの攻撃をものともせずに巣を襲う際、鎧のように頑丈な羽がスズメバチの毒針をはねつけるとみられるが、「不思議なことに急所である眼をやられることはない」と小野教授は言う。

「ハチクマの攻撃を受けたスズメバチの巣では、働きバチの防衛行動に統率が取れていない、パニック状態のように見えます。おそらく、ハチクマが放出する匂い成分が関係しているのでしょう。スズメバチやアシナガバチはヒトにとって危険なハチですが、一方で生態系では植物を食害する昆虫類を捕食し、その発生密度を調節している益虫であり、生物多様性の保全の観点においても彼らの役割はとても重要です。これからは、ハチの攻撃を回避する機能などを活用した商品開発が、ますます進むことを期待しています」

スズメバチの巣づくり好適地は、元来自然豊かな里山だが、急激な都市開発が進められた日本のバブル経済の頃から都市部や新興住宅地への進出が目立ってきた。庭での作業中に家の軒下につくられたスズメバチの巣から攻撃を受けたり、近所の公園で刺されたり、といったリスクが高まっている。土中や木の洞の中に巣づくりする、スズメバチの中ではグループ最強のオオスズメバチは、集団で他の社会性ハチ類の巣を襲撃し、幼虫や蛹を根こそぎ奪い去る習性を持っている。グループ内の弱者、キイロスズメバチにとっては最大級の脅威だが、里山の住宅開発が進むと、オオスズメバチは変化する環境に適応できず数を減らし、弱者だったキイロスズメバチが勢力を伸ばしたという。

「その理由は、弱者ゆえになんでも食べ、どこにでも巣をつくり、多産でなければ生き残れなかったキイロスズメバチの適応力の高さです。家が1軒建てば、屋根裏、床下の通風スペース、軒下、雨戸の戸袋など、里山の1本の木よりも、巣をつくれる場所が増え、生ごみ、空き缶に残ったジュースなども餌になるので、森の中よりも暮らしやすいかもしれません。今や、都市部や住宅地は『都市適応型スズメバチ』の異名を持つキイロスズメバチの天下です。ところがつい最近、東京タワーの足元にある公園の植え込みで、オオスズメバチの巣が発見されたのです。どうやら、オオスズメバチも環境の変化に対して、ゆっくりと適応しているのかもしれません。今後、オオスズメバチの勢力が盛り返せば、キイロスズメバチの勢いにも陰りがみえるかもしれませんね。これからもさまざまな環境で生じる生物の相互作用やしなやかな対応力からは目が離せませんね」

黄色と濃い茶色のしま模様のスズメバチを見かけると、恐怖を覚えるが、小野教授に見せていただいたスズメバチの巨大な巣は、美しい工芸品のようでもある。

「スズメバチ側にとってみれば、ヒトは恐ろしい天敵です。そのことを理解して、私たちのほうから、彼らの『身を挺して、巣を守る』という行動発現のスイッチを入れないようにうまく付き合う工夫が大切です。そのことが実現できれば、食物連鎖の上位で捕食者として『農作物や公園の美しい草花を食い荒らす害虫』の発生を抑制している彼らの機能を活かすことができます。そして、このような多様な生物との共存の道を探り歩むことが、ひいては地球上における我々人類の持続可能な発展にもつながることといえるでしょう」

(図版提供:小野正人)

この記事をシェアSHARE

  • facebook

掲載号
THIS ISSUE

ヘルシスト 269号

2021年9月10日発行
隔月刊

特集
SPECIAL FEATURE

もっと見る