認知症を完全に克服する術は現代においては存在しない。しかし予防法は開発されていて、その中核が運動だ。運動習慣を身につけることで認知機能の低下を防ぎ、認知症になりにくくなることがわかっている。適切な筋力強化と有酸素運動は基本だが、それに加え、体を動かしながら頭を使う「コグニサイズ」という画期的なメソッドが開発されている。ただ、半年以上続けなければ効果は期待できず、途中でやめてしまうと元に戻ってしまうというから、三日坊主にならないことが肝要。
特集 病気を遠ざける「体操」 頭を使いながらの運動が「認知症」リスクを減らす
構成/渡辺由子 イラストレーション/千野六久
「コグニサイズ(cognicise)」は、国立長寿医療研究センターが開発した認知症予防を目指した運動プログラムで、「コグニション(認知)」と「エクササイズ(運動)」をかけ合わせた造語です。プログラムの具体例は、「ステップ台昇降をしながら引き算をする」「しりとりをしながらウォーキングする」などです。体を動かしながら、頭を使うというのは、簡単なようで意外と難しいもので、認知課題と運動課題を同時に行い、心身の機能を効率的に上げていくことが特徴です。
運動習慣で認知症になりにくくなる
コグニサイズは、現在の医療において認知症の発症を止めることはできないけれど、できるだけ先延ばしする方法として、開発をスタートさせました。多数の追跡調査研究から、運動習慣は高齢者の認知機能の低下を抑制し、認知症になりにくくすることが報告されています。運動の中でも有酸素運動は、認知機能のうち注意機能や実行機能の改善の有効性が確認されています。そこで、運動課題については運動機能を包括的に網羅できるプログラムで効果の最大化を目指し、有酸素運動を中心に筋力トレーニングも加えました。
しかし有酸素運動は、残念ながらアルツハイマー病の中核症状である記憶機能への効果が得られない、という報告が大勢を占めていました。一方で、脳を活性化するトレーニングは、記憶機能を高めることが確認されています。また、認知機能と運動機能のトレーニングをそれぞれ単独で行うよりも、複合したアプローチのほうが認知機能に効果的であることが、研究によって示唆されています(図1)。
例えば、2人で並列して歩き、片方の人が話しかけると、話しかけられた人は話しながら歩けますが、転倒リスクの高い人は、話しかけられると立ち止まってしまいます。人が持つ注意力には一定のキャパシティがあり、その中でいろいろな所に注意を向けながら活動しています。その好例が車の運転で、視野の中心に集中しますが、それだけでは急なアクシデントに対応できません。視野の周辺にも注意を向け、さらには、車内のカーナビや同乗者などにも注意を向けながら運転することで、通常はアクシデントに対応して事故を回避することができます。転倒リスクの高い人は、注意力のキャパシティが小さく、さまざまな所に上手に振り分けられない傾向が強いのです。転倒予防のトレーニングに「デュアル・タスク・エクササイズ」あるいは「マルチ・タスク・エクササイズ」と呼ばれる、注意を振り分けながら歩行を行う方法があり、それをコグニサイズに応用することにしました。
生活習慣病のリスクを抱える中年にお勧め
コグニサイズの効果は非常に高く、それを示すさまざまな実証試験が国内外で実施されています。その一つに、認知機能低下を有する軽度認知障害(MCI:mild cognitive impairment)は、認知症に移行する確率が高いとわかっていることから、MCIと診断された100人をランダムに、コグニサイズ実施群と非実施群に分け、10カ月間生活してもらいました。その結果、実施群では記憶力を含めた認知機能が改善、あるいは有意に保持できる効果を確認しました。その後、308人のMCIに対する追試を実施中で、先の実証試験と同様の結果になることは確実だろうと考えています。
コグニサイズに取り組んでほしい年代は、特に中年期です。認知症の原因は、脳の萎縮や脳血管障害など多岐にわたりますが、中年期から高血圧、脂質異常症、糖尿病などの生活習慣病を予防し、運動習慣を身につけて、できるだけ血管を元気にしておくことが将来の認知の状態に重要であると考えています。
高齢期に差しかかると、物忘れなどの加齢による記憶機能の低下を自覚し、脳の萎縮や脳内の神経回路のネットワーク異常など、脳の機能低下も歳を重ねると進みます。また、定年退職など社会的な役割の転換もある時期で、生活の激変から刺激が乏しくなることも、認知症の発症や進行につながるリスクです。生活習慣病のリスクを抱える中年期の方には、特にコグニサイズをお勧めします。
コグニサイズは近年、全国の自治体の市民講座などで開催され、指導本も市販されています。国立長寿医療研究センターでは、WEB版のパンフレット「コグニサイズ 認知症予防へ向けた運動」を発行しているので、ぜひ参考にして取り組んでください。
コグニサイズの実施には、特別な用具や場所は必要ありません。プログラムは1人で行うことを基本形とし、複数人で行うことも勧めています(図2)。運動は継続が何よりも大事ですが、1人で高いモチベーションを維持しながら継続するのは、なかなか難しいものです。グループで週に1回、コグニサイズを実施するために、メンバーに会い、おしゃべりすれば楽しく実施できますし、欠席すれば仲間が心配してくれるでしょう。メンバーで目標を設定して、励まし合いながら継続することもできます。実施した運動時間や歩数を記録することも、継続に役立ちます。
ただし、グループで週に1回行うだけでは効果は上がりません。生活の中で習慣化することが最も重要なので、個人個人が少しの運動でも毎日行うよう、時間を決めて取り組むのがお勧めです。
また、コグニサイズの効果が期待できるのは、おおむね6カ月以上継続した場合であると、私たちは検証しました。途中でやめてしまうと、また元の状態に戻ってしまうので、ぜひとも、長く続けていただきたいと考えています。
コグニサイズは無理をして行うと、筋肉や関節を痛めてしまう危険があります。特に今まで運動をしていなかった方が急に始めたときが危険です。安全で効果的にトレーニングを行うために、実施の前に以下の10カ条を確認しましょう。
【コグニサイズ実施の10カ条】 | |
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① | 無理はしないで徐々に行う。 |
② | ストレッチしてから開始する。 ストレッチで体を温めればケガの予防につながる。 |
③ | 水分を補給する。 水やスポーツ飲料でこまめに水分補給して、脱水に注意する。 |
④ | 痛みが起きたら休息をとる。 痛みは体からの危険信号。感じたら迷わず控える。 |
⑤ | トレーニング中の転倒に注意。 ふらつきそうなときは、何かにつかまって行う。 |
⑥ | 少しの時間でもできるだけ毎日行う。 |
⑦ | 「ややきつい」と感じるくらいの運動を行う。 |
⑧ | 慣れてきたら次の課題に移る。 |
⑨ | トレーニング内容は複数の種目を行う。 筋トレやバランス運動なども取り入れて、異なる内容のトレーニングを行おう。 |
⑩ | 継続が最も大切。 |
特に「⑦『ややきつい』と感じるくらいの運動を行う」について、運動課題と認知課題のどちらも適正に体に負荷がかかっているか、頭をきちんと使っているかを確認することが重要です。運動課題は、運動強度が中等度(60%)の「ややきついと感じる」くらいのレベルを推奨しています。運動強度は心拍数を用いて設定でき、運動を始める前と、運動直後にチェックします。高齢者では、運動直後の心拍数120拍/分前後を目指すとよいでしょう(表)。一つの動作も、例えば足踏みでは、太ももが股関節に対して直角になるくらいまで、ゆっくり引き上げるように体を大きく動かすと、負荷がかかりやすくなります。
認知課題における脳への負荷の程度は、人それぞれで判断がしにくいものです。すいすいできてしまうと、脳に対する負荷が低く、考えすぎて動きがまったく止まってしまうようでは負荷が高すぎます。まずはやってみて、「あ、間違えちゃった!」「あれ、できない!」というくらいがちょうどよいと指導しています。
また、コグニサイズで大事なのは、課題に慣れたら変えることです。先に指導したパンフレットや、市販の指導本の通りだけでなく、自分で工夫してもよいのです。その工夫が、より脳トレになり、運動課題にもなります。
リスクを減らすことは可能
国立長寿医療研究センターでは、スマートフォンやタブレットのアプリケーション「オンライン通いの場」を開発しました。新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、通いの場が閉鎖されている状況でも、オンラインで自己管理をしながら、運動や健康づくりに取り組める支援アプリです。行きたい場所を設定してお散歩コースを探索・登録できる「おさんぽ」支援、コグニサイズや自治体が提供する体操動画を検索できる「自宅でできる体操」、フローチャートに基づいて適した運動・活動を見つけることができる「健康チェック」など、健康維持に必要なコンテンツが満載です。
このアプリの効果検証を約3500人のランダム化試験で進めています。半数の方がアプリを使用して活動を自己管理し、週2回のウォーキングクラスに参加するものです。参加者の年齢は、65歳から上限はなく、平均年齢70歳。2022年度中に中間報告の予定です。
認知症の予防に関しては、これまで具体的な方法はわかっていませんでした。認知症への恐怖ばかりが先行していましたが、この20~30年間で研究が進み、予防策が見えてきました。完全に認知症を抑制するのは画期的な薬が開発されない限り難しい状況ですが、リスクを減らすことは可能です。その中核的な取り組みが、運動であり、コグニサイズであると考えています。認知症の不安を感じている方がいるのであれば、ぜひ一歩を踏み出し、予防のための取り組みを始めてほしいと考えています。その努力が報われる、ということが統計学的には証明されているので、1人でも多くの人に取り組んでいただきたいと考えています。