特集 病気を遠ざける「体操」 「呼吸筋」を鍛えて「良い呼吸」を手に入れよう

構成/渡辺由子  イラストレーション/千野六久

例えば熱っぽい、だるいなど、体調が何となく優れないときにまず気にするのは、体温や血圧であって、呼吸に目を向ける人はあまりいないのではないか。しかし呼吸は心身の健康に影響し、特に感情と密接に関係しており、不安やストレスが続くと速くて浅い「悪い呼吸」となって不調を招く。そこで考案されたのが、「呼吸筋」の動きをしなやかにして「良い呼吸」を手に入れる「呼吸筋ストレッチ体操」だ。肺機能が改善し、気分の安定を図ることができるのだという。

昭和大学名誉教授/東京有明医療大学前学長

本間生夫(ほんま・いくお)

東京慈恵会医科大学卒業。1975年にスウェーデン・カロリンスカ研究所神経生理学教室、1977年にスウェーデン・ウプサラ大学臨床神経生理学教室留学。1982年、昭和大学医学部第二生理学教室助教授、1986年、同教授。2013年、東京有明医療大学副学長、2017年、同大学長、2021年に退官。2013年から昭和大学名誉教授。医学博士。専門は呼吸神経生理学。日本情動学会理事長。安らぎ呼吸プロジェクト理事長。

私たちは呼吸を、1分間に平均約15回、1日に平均約2万回と繰り返し、休むことはありません。健康な人であれば、安静時の呼吸数、深さ、リズムはほぼ規則正しく行われています。しかし、何となく息苦しさが続いていたり、慢性的な疲労を感じていたり、不安感をぬぐえないような感覚があったら、呼吸に問題があるのかもしれません。

「悪い呼吸」は心身の不調を招く一因

私は医学と生理学の観点から呼吸について長年研究し、呼吸と感情は表裏一体であることを実証してきました。新型コロナウイルス感染症のパンデミックなど、先行きの不透明な不安や強いストレスが続いていると、速くて浅い呼吸、いわゆる「悪い呼吸」になりやすく、体調不良や感情の不安定など、心身の不調を招く一因になると考えています。

そこでご紹介するのが「呼吸筋ストレッチ体操」で、呼吸筋の動きをしなやかにして、呼吸を楽にさせ、呼吸困難の軽減、肺機能の改善、気分の安定を図ることができます。

まず、呼吸のメカニズムと呼吸に関わる筋肉について解説しましょう。呼吸は、生命を維持するためにエネルギー代謝に必要な空気中の酸素を取り入れ、代謝産物として二酸化炭素を排出しています。空気の出し入れを担う肺には、心臓が拍動するために働いている心筋のような筋肉はなく、自力で膨らんだり、十分縮んだりすることはできません。肺を覆う胸郭の肋間筋や横隔膜など主要な呼吸筋や腹部、背部、首の筋肉など20種類以上の呼吸筋が連動することで、肺の収縮・拡張運動が可能になります。肺は弾性があり、膨らむと元に戻ろうとする力が働き、胸郭は肺とは逆に膨らもうとする力が働いています。息を吸うときに胸郭を広げる筋肉を「吸息筋」、息を吐くときに胸郭を縮める筋肉を「呼息筋」と呼んでいます(図1)。

図1 吸息筋と呼息筋肺は自力で収縮・拡張する筋肉がないため、呼吸は胸郭の周囲や背部、腹部のさまざまな筋肉が連動して行う。息を吸うときに胸郭を広げる「吸息筋」、息を吐くときに胸郭を縮める「呼息筋」が働いている。

呼吸筋など呼吸機能に関わる筋肉が加齢によって衰えると、筋肉の柔軟性や、肺そのものの弾性も低下するために、肺の収縮運動の力が落ちて、十分な換気量が得られなくなります。しかも、20代から呼吸機能の老化は徐々に始まっているといわれています。ただ、呼吸に関わる筋肉は、非常に多く、複合的に働いているために、ある一部の筋肉にトラブルが起こっても、他の筋肉が働きを補うため、呼吸機能の低下に気づきにくいこともあります。

息を吐くことが非常に重要

また、現代社会で避けて通れないのが、パソコンやスマートフォンの使用です。画面をのぞき込んでいる姿勢は、首が前に出て前のめりに背中を丸めた猫背ではないでしょうか。猫背では、肋骨と肋骨の間が狭くなり、胸郭が縮まった状態で、肺と胸郭の収縮・拡張運動に影響を与えます。

さらに、呼吸というと、「酸素をたくさん取り入れよう」と、息を吸うことに意識が向けられますが、実は、息を吐くことは非常に重要なのです。肺に残っている空気の量を「残気量」、普通に呼吸しているときの残気量を「機能的残気量」としています。加齢によって呼吸筋などが衰えて十分な排気ができなくなると、機能的残気量が増え(図2)、肺の中に余分な空気がたくさん残って肺が膨らんでいる「過膨張」になります。そのために新鮮な空気を取り入れるスペースが狭まり、多くの空気を取り入れようと、呼吸筋を強く収縮させなくてはならず、「努力性呼吸」になります。気管支ぜんそくや慢性閉塞性肺疾患(COPD)などの呼吸器系疾患の症状に、肩で息をするような息苦しさがありますが、加齢による機能的残気量の増加でも起こることです。

図2 機能的残気量の比較左が若年者、右が老年者の肺気量を表す。加齢により呼吸筋の働きが衰えると、排気が不十分なために、機能的残気量が増加。肺の過膨張につながり、呼吸筋が強く働く「努力性呼吸」となり、息苦しさが増す。

呼吸は、脳の作用部位によって、無意識に行う「代謝性呼吸」、意識的に行う「随意呼吸」、心の動きに伴う「情動性呼吸」の3種類に分けることができます。

代謝性呼吸の中枢は、循環中枢など生存に必要な機能を担う、脳幹の延髄にあります。「生体の恒常性(ホメオスタシス)」の一つで、エネルギー代謝のために、体内の酸素と二酸化炭素のバランスを調整し、呼吸の強さやリズムの指令を出しています。

随意呼吸は、発声、深呼吸、息を止めるなど、意識的に行える呼吸で、大脳皮質運動野から指令が出ています。随意呼吸が優位になると、代謝性呼吸は抑制され、大声で歌ったり、しゃべったりした後に息が荒くなるのは、代謝性呼吸の抑制が解除されて、体内に必要な酸素と二酸化炭素のバランスの調整に入るためです。

3つ目の情動性呼吸の情動とは、喜怒哀楽の感情のことで、情動と呼吸は密接な関係があり、特にネガティブな情動である「不安」によって、呼吸数や深さが変化します。情動性呼吸の中枢は大脳辺縁系の中の扁桃体に存在しており、この部位は、感情をつくりだす第一次中枢でもあります。このことから、感情の変化に伴って呼吸が変化し、呼吸の変化に伴って感情も変化すると考えられます。

情動性呼吸は、私が長年研究に取り組んできたテーマで、心理的な変化で呼吸が変わることを、「予期不安実験」で実証しました。最初に各被験者が生来持っている不安度(特性不安度)を見極める心理学的手法による問診を行い、点数の低い人は不安度が低く、点数が高いと不安度が高いことを把握しました。その後に、被験者の指先に電気ショック用の電極を装着し、2分以内に電気ショックがくると伝えました。被験者は、いつショックがくるのかと不安になる「予期不安」を感じているわけで、その程度を不安度、呼吸数、脳波から測定しました。

その結果、特性不安度が高い人ほど呼吸数の増加が激しく、特性不安度の低い人は呼吸数の変化は小さいという、特性不安度と呼吸数の間に正の相関が認められました(図3)。脳波でも、予期不安の間、扁桃体に呼吸に同期した活動が生まれていることが示されました。つまり、呼吸とネガティブな情動の不安とは密接に関連して変化していることがわかったのです。

図3 呼吸と不安度心理的な変化で呼吸が変わることを実証した「予期不安実験」。性格的に不安度が高い人ほど、呼吸数が増えることを表している。

また、呼吸のリズムは代謝性呼吸の中枢である延髄がつかさどっていると述べましたが、覚醒しているときについては扁桃体からのリズムが優位に働いていることを示唆する研究も行いました。これらの研究から、呼吸を整えることは、情動のコントロールにもつながることを見いだしたのです。

まずは胸式呼吸で鍛えることが基本

日々、強い不安やストレスが続くと、呼吸が速く浅くなることがあるのは、呼吸筋などの筋肉の緊張が影響していると考えられます。呼吸の良しあしは、呼吸筋など呼吸に関連する筋肉の柔軟性や肺の弾性、姿勢、情動が深く関わっていることから、日々の生活の中かで、これらを整えるストレッチを勧めています。「呼吸筋ストレッチ体操」で筋肉をほぐしながら、ゆっくりと深い呼吸を行うと、不安やストレスも和らげることができます。

本稿では、簡単にできる呼吸筋ストレッチ体操をいくつか紹介しました(図4)。なかでも「寝たまま呼吸筋ストレッチ体操」は、起床前や就寝前などの寝床の中で実践できて、呼吸や姿勢の改善に十分効果があります。その他に、呼吸や姿勢を正すポイント部位別のストレッチもあり、YouTubeで公開しているので、ぜひ実践してください。呼吸筋ストレッチ体操では、吸息筋をストレッチするときには息を吸い、呼息筋をストレッチするときには息を吐きましょう。毎日続けることが何よりも重要なので、毎日決まった時間に行うよう、習慣づけてください。

図4 呼吸筋ストレッチ体操

ただし、人の性格はせっかちだったり、のんびりだったり、人それぞれです。呼吸も同様で、不安を感じてはいないけれど、せっかちで呼吸も速くて浅い人が、ゆっくりと深い呼吸に変えるのは、なかなか難しいものです。せっかちでものんびりでも、その人にとってベストコンディションの呼吸を目指して鍛えましょう。

呼吸を「胸式呼吸」と「腹式呼吸」で考えると、腹式呼吸=ゆっくりとした深い呼吸、というイメージが定着しています。しかし本来は、胸郭の肋間筋などは呼吸を調節する重要な筋肉です。そのため、呼吸機能を整えるには、腹式呼吸よりも、まずは胸式呼吸で鍛えることが基本です。

そもそも呼吸筋ストレッチ体操は、呼吸器系疾患の息苦しさの軽減を目的に開発しました。近年患者数が増加しているCOPDの予後は、肺の器質的な変化の程度よりも、息苦しさが決定するとされています。悪化すると努力性呼吸が強くなり、息苦しさのために体を動かすことがつらく、トイレも我慢し、寝たきりになることが少なくありません。呼吸器系疾患の患者に呼吸筋ストレッチ体操の実践を勧め、毎日継続することで、呼吸困難の軽減、肺機能の改善の効果が見られました。

また、呼吸を整えることで、情動もネガティブからポジティブへと変化することを実証しました。東日本大震災で被災した岩手県宮古市の児童の心のケアに役立てるために、厚生労働省の研究班として、呼吸筋ストレッチ体操を指導しました。最初に、児童の心理的状況を測定し、東京の小学生と比較すると、双方の児童に特性不安度の差は認められませんでしたが、被災した子どもたちのほうが、その時々に感じる不安(状態不安度)は有意に高い値を示していました。そして、被災した児童に呼吸筋ストレッチ体操を定期的に行ってもらった結果、不安度は減少し、3年間の追跡においても不安度が有意に下がり、同時に呼吸も安定してきていました。被災地の小学校では、呼吸筋ストレッチ体操に歌詞をつけ、音楽に合わせて行う「ラッタッタ呼吸体操」が誕生しています。

日々、何気なく行っている呼吸が、心身の好調・不調を左右していることに注目し、「良い呼吸」を手に入れて健やかに過ごしましょう。

(図版提供:本間生夫)

この記事をシェアSHARE

  • facebook

掲載号
THIS ISSUE

ヘルシスト 274号

2022年7月10日発行
隔月刊

特集
SPECIAL FEATURE

もっと見る