30代前半から現在に至るまで日本経済(日経)新聞を購読している。経済学はもちろんど素人であり、同紙の「私の履歴書」や「やさしい経済学」を一般常識として読ませていただく程度である。前者は月単位の連載記事で、経済界、文化界からスポーツ界まで幅広い領域で活躍された方々のお考えを伺えるので、毎回、楽しみにしている。なじみやすいのはやはり生命科学の先生方の執筆であり、最近では、「免疫抑制の阻害によるがん治療法の発見」でノーベル生理学・医学賞を受賞された本庶佑先生の「履歴書」は大変勉強になった。また、同紙の電子版ではバックナンバーのシリーズ執筆の内容をまとめて読めるので有り難い。長年の購読で、著名な経営学者である野中郁次郎先生(1935〜2025年)の「知識創造企業」や「暗黙知」(経験的に使っている知識だが簡単に言葉で説明できないもの)の考え方は、特に印象的であった。微生物を対象とする我々の実験科学においては、まさに「暗黙知」的な要素が満載されている(職人技が必要な局面が多くある)ので、大変興味深かった。また、現在の腸内フローラ解析研究では、マルチオミクス解析から発出する膨大なデータを見比べて、特徴的な相関関係を示す因子間の因果関係を作業仮説として提示する、いわゆる「情報創出」型の研究が主流となっている。この進め方については、AIに適切な情報を与えて研究の作業仮説を提案させることも可能だろう。しかしながら、野中先生は、「『情報創造』はなお、外にある情報を組み合わせるという発想であり、最初から新しい環境を自ら作る、新しいモノにチャレンジするという発想を表現できていない。自分の思いや信念を真善美に向かって正当化し、実現していくのは『情報処理』や『情報創造』ではなく意味や価値をつくる『知識創造』のプロセスが肝心である」(以上、日経新聞より抜粋・改変引用)と強調されている。
日本医療研究開発機構(AMED)の主催するプロジェクト・事業「微生物叢と宿主の相互作用・共生の理解と、それに基づく疾患発症のメカニズム解明」の中間審査会に参加したことを以前の本コラムで紹介した。同プロジェクトでは2016年度以来、30件を超える研究課題が採択され、昨年末の最終審査委員会では、総じて十分な研究成果が挙げられていると評価された。また、このAMEDプロジェクトに先立ち、研究開発戦略センター(CRDS)が主催した「ヒト微生物叢(microbiome)に関する研究開発戦略のあるべき姿」のワークショップに参加させていただき、次のような考えを述べた。すなわち、「私は企業研究者として腸内細菌についてずっと研究してきた(注:参加当時の筆者は企業研究機関に所属していた)が、Colonization resistance機構の解明は夢である。人為的に腸内細菌叢を制御するために、さまざまなことに起因するDysbiosis(腸内フローラの異常)の解明が現状の研究対象の中心になっている。しかしながら、基本的に我々の腸内フローラはコントロールしなくても、生まれてきて、ある程度同じようなところに落ち着く。このメカニズム自身がどうなっているのかが一番解くべき問題であると考えている。これには、共生環境も必要であり、食と腸内細菌と宿主の関係性を研究する必要がある。例えば、東京大学の梅崎昌裕先生らは、パプアニューギニアの住民から窒素固定細菌を分離しており、独自の栄養状況をもたらすような腸内フローラを持つことを示唆している。このような研究が進めば、昆虫や牛を模して難消化や完全に不溶性の繊維を分解し、エネルギーに変換可能なシステムとしての腸内フローラを獲得するなど、夢のような腸内細菌制御ができるだろう。これにより、恐らく飢餓なども根本的に解決できると、50年先の夢を語ることができる」。当時から10年経過した現在も、この考えはまったく変わらない。より詳細については、これまでの本誌コラムはもちろんのこと、読者の興味に応じて筆者の著著および新著を参照願いたい。
- *1 本庶佑. 私の履歴書. 日本経済新聞, 2024.
https://www.nikkei.com/stories/topic_resume_24052300 - *2 野中郁次郎. 私の履歴書. 日本経済新聞, 2019.
https://www.nikkei.com/stories/topic_DF_TL_19090301 - *3 野中郁次郎. やさしい経済学 知識経営とイノベーション(4). 日本経済新聞, 2011.
https://www.nikkei.com/article/DGKDZO21217350W1A100C1KE8000/ - *4 野本康二. 肥満やがん免疫でも注目される腸内微生物の関わり. ヘルシスト, 269: 28, 2021.
https://healthist.net/biology/2046/ - *5 国立研究開発法人 日本医療研究開発機構(AMED). プロジェクト・事業:微生物叢と宿主の相互作用・共生の理解と、 それに基づく疾患発症のメカニズム解明, 研究開発領域事後評価結果.
https://www.amed.go.jp/program/list/16/02/10_kenkyukaihatu_jigohyoka.html - *6 梅崎昌裕. パプアニューギニアの人が筋肉質な理由に糞便から迫る. 東京大学ウェブサイト, 2024.
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00279.html - *7 野本康二. おもしろサイエンス 腸内フローラの科学. 日刊工業新聞社, 2020.
- *8 野本康二. 今日からモノ知りシリーズ トコトンやさしいプロバイオティクスの本. 日刊工業新聞社, 2025.