気になる人の「気にする食卓」第87回 堀内孝雄

構成/編集部  写真/細田 忠

HEALTHIST INTERVIEW

堀内孝雄(ほりうち・たかお)

(歌手)

1949年10月27日生まれ、大阪府出身。1971年12月にアリスを結成し、「走っておいで恋人よ」でプロデビュー。代表曲に「冬の稲妻」「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」「狂った果実」などがある。1981年にアリスの活動を停止。ソロの代表曲は「君のひとみは10000ボルト」「愛しき日々」「恋唄綴り」などがある。谷村新司追悼特別企画として、「アリスコンサート 2024 ALICE FOREVER~アリガトウ~」を9月18日に日本武道館、10月13日に大阪城ホールで開催した。

バランスの良い食事と散歩で
健康維持を常に心掛けています

アリスのメンバーとして、「冬の稲妻」「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」などヒット曲を連発し、一時代を築いて忙しい日々を過ごした歌手の堀内孝雄さん。しかし、急激な生活の変化に体がついていくことができず、食事や睡眠の大切さを思い知らされたという。その経験を踏まえて、楽しみながら健康維持に取り組んでいる。

ご両親が大衆食堂を営んでいた堀内さんは、店奥の調理場近くのカウンターで食事をして育ったという。

両親が大阪府・阿倍野区で大衆食堂「大和屋」をやっていたので、子どもの頃の食卓といえば店の奥まった所にある調理場近くのカウンターで、姉と兄と一緒に、厨房で毎日忙しく働く両親の背中を見ながら育ちました。うちの店は店先の棚に煮物や焼き物などの小鉢が並べてあり、お客さんが好きな物を取って食べるスタイルでした。僕たちも同じように食べていたのですが、おかずをバランス良く選ぶということが自然と身に付いていました。その頃、店にあるラジオから流れてくる歌謡曲をよく聞いていて覚えた三橋美智也さんの歌をまねして、祖母に聞かせていました。

大学時代にアマチュアバンドを結成し、オーディションで谷村新司さんと運命の出会いをする。

大学時代にアマチュアバンドを組み、神戸のアマチュアバンドサークル「ポートジュビリー」のオーディションを受けに行ったとき、審査員の一人だったチンペイ(谷村新司)さんと出会いました。他の審査員がバツだったのに、彼だけが僕たちを推してくれて合格したのです。その数年後に、チンペイさんとアリスを結成してプロデビューし、ドラマーの矢沢透も合流しました。最初は売れずに苦労の連続で、楽器を持って全国各地を回りました。東京へ進出した際は、アリスの事務所兼合宿所の大家さんがおなかが空いているならご飯を食べに来いとよく声を掛けてくれました。また、実家に帰るたびに父と母が別々に内緒でをくれたので、なんとか食いつなぐことができました。周りの人に助けられて、生活していた時代でした。

結成6年目に「冬の稲妻」がヒットし、生活は一変するが、逆に健康面の維持で苦労する。

ヒット曲が出たら世界が変わると聞いていましたが、「冬の稲妻」がヒットすると生活は本当に一変しましたね。テレビ出演やコンサートなど、食事や睡眠時間を削って全国を忙しく飛び回りながら、新曲も作っていました。おかげで認知度もアップしてアリスの曲は次々にヒットしたのですが、急激な生活の変化に体がついていくことができませんでした。睡眠不足、栄養の偏り、ストレスなどで自律神経の状態は悪くて、倒れる寸前でした。そんなときにチンペイさんが過労で倒れて、長期入院してしまったので、健康面を考えながら仕事をするようになりました。

全国ツアーでは、各地の名物料理を食べることも楽しみの一つと語る堀内さん。呼子のイカ(右)は、その透明さにまず目を奪われたという。そして、食べてみるとこれまでのイカとは食感から違い、忘れられない逸品だという。(写真提供:堀内孝雄)

大衆食堂の息子として育った堀内さんが、母の味として店のメニューで覚えているのは「だし巻き卵」。今でも外食の際は定食屋を利用することが多いといい、この日チョイスしたのは、肉野菜炒め、卵焼き、冷ややっこ、白米、味噌汁。(写真提供:堀内孝雄)

全国ツアーでは各地の名物料理に舌鼓

忙しい日々を過ごしていたアリスのメンバーは、体のことを考えて活動停止を決断する。

過密スケジュールが4年も続くと、さすがに疲れもピークに達してしまい、チンペイさんにもう疲れたよと言ったら「俺もだよ」と、活動をやめることになったのです。そしたら彼は、「これは解散ではなく活動停止だ」と言ったのです。みんながやりたいと思ったときに、また動き出せばいいのだからと。そこから本格的にソロ活動を始めて、生活や時間に余裕が出てきたこともあり、コンサートで全国を回るときは、各地の名物料理を堪能しています。アリス時代は本当に忙しくて、食事を楽しむ時間もなかったので……。これまで食べた中でも忘れられないのが、佐賀県唐津市で食べた呼子のイカの活け造りですね。

運動面ではゴルフが大好きで、全国ツアーにゴルフバッグを持参し、時間ができるとラウンドしていた。

子どもの頃から音楽に夢中で、スポーツはやっていなかったのですが、ソロになってからゴルフを始めたら面白くて「もっと早くやればよかった」と後悔しました。それで全国ツアーに行く際は、楽器と一緒にゴルフバッグを必ず持って行き、時間に余裕ができるとコースに出てラウンドしていました。自分でクラブを選んで、思い描いたようにボールが飛んでいくと本当に気持ちがいいんです。でも最近は、コースに出る機会も減ってしまったので、運動といえば近所を散歩するくらいですかね。でも、40代、50代の頃にゴルフコースを楽しみながら歩き回ったおかげなのか、今でも元気に過ごすことができています。

最後に堀内さんから読者に向けて、自身の生活を踏まえたアドバイスを伺った。

僕は、大衆食堂の息子として育ったこともあり、外食では主食、主菜、副菜のバランスが良い定食を食べるようにしています。偏った食事は体に負担をかけてしまいますからね。また、散歩程度でもいいので毎日歩くように心掛けてください。

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ヘルシスト 287号

2024年9月10日発行
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