「細胞と遺伝子」 第8回 老化細胞の抑制で健康長寿

イラストレーション/北澤平祐

河合香織(かわい・かおり)

ノンフィクション作家。著書に『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』(大宅壮一ノンフィクション賞受賞)など。現在、東京大学大学院で生命倫理を学ぶ。2020年7月、河岡義裕『新型コロナウイルスを制圧する』を上梓(聞き書きを担当)。

人間の老化には2つの要素があるという。一つは最大寿命を決めている老化で、これは最大寿命が約120歳ということが疫学的に証明されている。もう一つは、加齢やストレスなどで傷ついた細胞が老化細胞化して引き起こる慢性炎症による老化で、そのメカニズムが解明されつつある。鍵となる物質も特定されている。その物質の抑制が可能になれば、最大寿命を目指す健康長寿が実現するかもしれない。

中西 真(なかにし・まこと)

名古屋市立大学医学部医学科卒業、同大大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)。アメリカ・ベイラー医科大学、名古屋市立大学大学院医学研究科基礎医科学講座細胞生物学分野教授を経て、2016年4月から東京大学医科学研究所癌防御シグナル分野教授。

最も古い医学研究——それは老化研究である。

時の権力者、秦の始皇帝も、エジプトのファラオも、皆が不老不死の命を求めた。だが、最古の歴史がありながら、最も解明されていない分野でもあるのだと、老化研究の第一人者、東京大学医科学研究所の中西真教授は言う。

「老化はすべての人が必ず経験するもので、多くの人が興味を持つ生理現象ですが、科学としては現段階でもまったく分かってないと言っても過言ではありません」

中西教授は、老化とは大きく2つのことで捉えないといけないと述べる。一つは最大寿命を決めている老化。もう一つは加齢に伴って生体の機能が衰える老化である。すべての生物は老化するものだと思われていたが、ハダカデバネズミなどほとんど老化しないまま死を迎える動物の発見が2010年代半ばにあり、現在ではこの2つは別のものだと考えられている。

「最大寿命については世界中の戸籍を調査して統計学的に解析した論文によると、人の寿命は120歳までだと科学的に証明されています。ですが、なぜ120歳かについての回答は手がかりさえつかめていません」

種の寿命というのはそれぞれ厳密に決まっているのですが、それがなぜ、どういう理由で決まっているかはまったく分かっていないのだという。

「人間の最大寿命はそれほど大きく延びておらず、江戸時代でも100歳を超えて生きる人はいたとの資料があります。一方、平均寿命は劇的に長くなっていて、今から数十年前の平均寿命は50代、実はこれだけ長生きになったのはごく最近のことです。医療事情の改善が大きな要因だと思われます」

慢性炎症の原因の一つが老化細胞

この平均寿命に関わる2つめの老化の要因については、この10年で飛躍的に研究が進んだという。

「我々が年をとって衰えたり、病気になったりする根本的な原因は、組織や臓器の中にある非常に小さな炎症があらゆるところに過度に起こることだと分かってきました。通常、炎症と聞くと、例えば新型コロナウイルスなどのサイトカインストームなどの感染症を思い浮かべられるかもしれませんが、そんな高いレベルの炎症ではない、ものすごく低くて小さい、でもかつ有意な炎症が加齢に伴ってさまざまな臓器や組織に起こっているのです。そういう慢性の炎症を起こしている原因の一つに老化細胞があることが明らかになってきました」

老化細胞とは、今から60年ほど前に、アメリカのヘイフリックという細胞生物学者が見つけたものである。人の正常細胞は必ず決まった回数の後に分裂を停止するが、その二度と増殖できなくなった細胞を指す。ごく一部の生殖幹細胞や分裂を停止した分化細胞を除いて、どの臓器の、どんな細胞でも必ずある一定の回数で止まってしまう。つまり、人の細胞は不老不死ではないことを見つけた重要な発見だったが、長い間、それは実験室の中のことだけだとあまり相手にされてこなかったという。

中西教授は大学院の頃から老化研究を始めたが、当時はほとんど誰も取り組んでいない分野だった。留学先のアメリカで、ヘイフリックの弟子である研究者に師事し、細胞老化の研究を行ってきた。

「老化細胞が分かったといっても、個体の中のいったいどこにあるのか、どれくらいあるのかはずっと分かりませんでした。さまざまな研究からあるに違いないと思われてきたけれど、ずっと見ることはできなかったブラックホールのような感覚です。老化細胞を遺伝子工学的に取り除くとさまざまな加齢性変化が改善するので、多分、老化細胞が悪さしているんだろうと考えられていました」

ここ10年くらいで技術革新が進み、ブラックホールが最近になって可視化できたように、人間の老化を決定づけてきた老化細胞を中西教授らの研究で見ることができるようになった(図1)。

図1 肺の老化細胞人間の老化を決定づけていた老化細胞が体内のどこにあるか、蛍光標識して見ることができるようになった。

「我々が昨年9月に報告したのですが、やっと個体の中で老化細胞がどこにあるのかを、蛍光標識して見ることができるようになりました。それにより、老化細胞がマウスの個体の中にどれくらいあるかも明らかになり、若いうちで0.数%、年をとってくるとそれが5%強くらいに増えてくることが分かりました」

この研究から、老化細胞は加齢によって増えるだけではなく、さまざまな老年病といわれる腎不全や動脈硬化、糖尿病などでも増えてくることも判明した。

そこで、この老化細胞を取り除くような薬をつくることができれば、さまざまな老年病を改善することができるのではないかと考えた。中西教授は老化細胞の生存に必須な遺伝子、代謝物がないか探索を始めた。

これまでこのような研究がうまくいかなかったのは、老化細胞を純化して、100%老化細胞であるという細胞集団を調整するのが難しかったことが一因であったという。だが、中西教授が2014年に老化細胞がどうして二度と増殖できなくなってしまうのかというメカニズムを明らかにし、試験管の中で100%純化した老化細胞をつくることに成功したことも研究の駆動力となった。

生き延びるためにアンモニアを産生

「老化細胞に必要な遺伝子は何個か見つかったのですが、その中の一つがGLS1というグルタミンの代謝に関わる酵素でした。これまで、GLS1は細胞の生存にそれほど関わるものでないと考えられていました。なぜかというと、GLS1という酵素はグルタミンをグルタミン酸に変えるもので、名前も似てますが、これらはほんのちょっとしか違わない。グルタミン酸というのは最終的にエネルギーをつくる基になる物質に変換されたり、抗酸化物質になったり、細胞が増殖するためのさまざまな原料にはなるのですが、非常に量の多いアミノ酸で、GLS1がなくても、例えば我々は食物でたくさんのグルタミン酸を摂ることができるのです」

旨味調味料などの旨味成分はグルタミン酸でできている。そのようにありふれた物質であるグルタミン酸の合成を阻害しても、体にとってそんなに大きな問題がないだろうと考えられていたという。

「ところがグルタミンからグルタミン酸になる段階で、重要な物質がもう1個だけできることが分かりました。グルタミンのアミノ基を利用してつくられるアンモニアです。今までこの過程でアンモニアができることに誰も着目してなくて、それはきっと捨てられるゴミのようなものだろうと思われていました。ですが、これこそが老化細胞の生存に必要なものだと明らかになったのです」

老化細胞は生きるために、なぜアンモニアを産生させないといけないのかを中西教授はさらに調査した。

ここで知っておくべきは、年をとった細胞はタンパク質をうまくつくることができないということだ。うまくつくれなかったタンパク質は凝集して塊になり、それは細胞の中のできそこないのタンパク質を壊す、いわば工場のような場所に溜まっていくのだという。

「細胞自体を日本だとすると、自動車メーカーが車を造っている。うまく車を造れて細胞の中に行きわたっていれば細胞はハッピーなのですが、動かないとかハンドルがないとかそういう車はスクラップ工場で壊さなければいけない。工場がいっぱいになると車を壊せなくなって工場に穴があきます。そうすると、工場から酸性の廃液がどんどん流れてきて、日本全体が汚染され酸性になってしまって、人が住めなくなってしまう。そうする酸性の廃液を中和して、人が住みやすくしようとするでしょう。それがアルカリ物質のアンモニアです。そのために、老化細胞はグルタミンをグルタミン酸に一生懸命分解し代謝して、アンモニアを産生して中和することで、生き残っていたのです」

生活習慣病も老化細胞が関与

このような老化した細胞は加齢だけではなく、ストレスがかかった細胞、例えば紫外線とか放射線が当たってDNAに傷がついたり、酸化ストレスによってタンパク質や細胞内小器官が傷ついたような細胞、またエピジェネティックに変化したものもまた、老化細胞となる。

「細胞というものは基本的にすべて生きたいと思っています。古くなった細胞もまた、なんとか生き残ろうとして、グルタミンをグルタミン酸に代謝してアンモニアを産生することで生き延びているのです。その過程をブロックしてやれば、老化した細胞は中和することができなくなって中が強い酸性になり死んでいくことが分かりました。片や、若い細胞や正常な細胞はそういうことがないので、いくらそこをブロックしてやっても影響がないことも明らかになりました」

中西教授の研究によれば、このGLS1阻害剤をマウスに注射すると、老化に伴って起こるさまざまな臓器や組織の機能低下が顕著に改善したという(図2)。

図2 老化改善の図老齢のマウスにGLS1阻害剤を注射すると、GLS1という酵素により老化細胞が除去され、老化に伴って起こるさまざまな臓器や組織の機能低下改善が見られた。

「一つは腎臓です。マウスも人と同様に年をとると、腎臓の糸球体が硬化してきて、腎不全になりやすくなります。その糸球体の硬化が劇的に減り、例えば血清クレアチニンとか尿素窒素が正常値に近づいていました。次は肝臓。脂肪が蓄積して炎症細胞が浸潤することや、血中のアルブミン低下も改善しました。続いて肺は年をとると線維化が起き、肺の機能が悪くなるのですが、それも改善します」

さらに加齢によって起こるものだけではなく、生活習慣や肥満によって起こる動脈硬化などの生活習慣病も老化細胞が関与をしていることが明らかになったと中西教授は述べる。

「また、がんも、まさしく老化、老年病の一つであり、老化細胞の炎症が一因となります。炎症を起こしている老化細胞は周りの細胞を攻撃し、そうするとDNAに傷が入りやすくなり、変異が入ってがん化します。これについてもGLS1阻害剤が有効であると考えられます」

これが実現すれば、老化を防げるかもしれない人類の福音のような薬に思えるが、中西教授の研究は現段階ではマウスへの投与にとどまっていて、実用化までは長い道のりがあるのではないか。

だが、朗報があるという。このGLS1阻害剤は、アメリカではがんの治療薬として臨床試験に入り、すでに人に投与し、第2相に入っているという。

「今のところ大きな副作用は報告されていないようです。この薬を共同研究として使うことができれば、社会実装はものすごく近いかもしれません。ただ、現在の治験はがんの治療薬ですが、私たちは老化細胞を殺すことでがんの予防薬になるのではないかと考えています」

ハダカデバネズミやゾウなどの老化しにくいといわれている動物は、老化細胞が溜まらずに、それらを殺すメカニズムが備わっているのだという。

ではなぜ人間にはさまざまな病気を引き起こす原因となる老化細胞が蓄積されているのだろうか。中西教授はそれは「まだよく分かっていない」と話す。

「もしかしてそういう選択圧がかかって人間やマウスは進化してきたのかもしれないですが、それがどういう選択圧で、どういうメリットがあるのかはまったく分かっていません。一つ言えるのは、一般的な話ですが、老化の表現型を出さない動物、カメやワニやゾウ、ハダカデバネズミは生殖期間がすごく長いことです」

人間の生殖期間はこれらの動物に比べると短い。

「それらの生物が、生存期間の後半になって生殖した場合、生まれる子は遺伝子に変異が入った状態で生まれてきやすいだろうと思います。そういうことを選択することにどういう意味があるのか、我々のように若い頃に生殖することにどういう意味があるのかは分かりません。同じ個体がずっと生き続けるのがいいのか、個体は消滅するけど遺伝子が長く続くのがいいのか。もしかすると、我々がこういう薬を飲むようになれば、ハダカデバネズミと同じようになる可能性だってあるのかもしれません」

健康寿命120歳の時代が来る!?

この実験では、フレイルと呼ばれる高齢期の筋力低下や活動不全についても、マウスの握力や捕まり時間が顕著に改善したという。つまり、寿命が延びるだけではなく、健康長寿を目指すことができるのかもしれない。

「老化は病気の一つだと思います。老化を取り除けば、加齢に伴う慢性腎不全や動脈硬化、糖尿病、がん、アルツハイマー病などを防ぐことができるかもしれません。この薬で、もしかすると平均寿命は延びる可能性はあります。平均寿命が100歳を超えて、人類の最大寿命である120歳に近づけられれば、それが人類にとっては最も幸せなことかもしれない。最後の寿命まで健康に迎えることができる時代が来ると思います」

他方、人の最大寿命である120歳は延びる可能性があるのだろうか。

「老化細胞によって、老化の進み具合は決まっています。ですが、最大寿命は老化細胞では決まっていません。そのメカニズムはまだまったく分かりませんが、遺伝子の関与だとは考えられています。なぜなら、これだけ多くの人類が生きているのに、誰ひとりとして120歳を大きく超えて生きていないというのは遺伝以外の何ものでもないでしょう。これだけクリアに、有史以来誰も生きていないというのはすごい確率です」

生物学的な寿命は種によってはっきりと決まっている。

「例えば5年生きているマウスがいるといっても、誰も信じないほど生物種の寿命ははっきりしています。最大寿命については、これからの10年、20年で解明が進むと思います。最大寿命を決めている要因がどこにあって、それは遺伝子のどこが決めているのか。まったくかけらも、手がかりすらありませんが、これから研究に取り組んでいきたいと思います」

最後に中西教授に「老化せず長生きしたいか」と尋ねると、「人類皆がそう思っていると思います」と答えた。

紀元前から人類の願いであった老化へのい、光明は見え始めているのかもしれない。

(図版提供:中西 真)

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2021年5月10日発行
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