〈シリーズ〉がんから身をまもる 
第6回 緩和ケア 
診断された時点から始まる あらゆる苦痛に対処する医療

構成/飯塚りえ  イラストレーション/小湊好治

緩和ケアと聞くとがんの痛みを軽減する治療が想起されるが、実は、「生命を脅かす病に関連する問題」、すなわち命に関わる病気に起因するさまざまな苦痛に対処する医療だ。対象は身体的な痛みをはじめとして不安や精神的なつらさ、経済的な問題など多岐にわたるが、やはりがんの痛みへの関心が一番高い。治療法が進化して治療期間が長くなり、治療と並行して緩和ケアを行うことも増加しているという。緩和ケアは誰もが受けられる、痛みや苦しみを和らげる確かな医療なのだ。

筑波大学医学医療系緩和医療学教授
附属病院緩和支持治療科

木澤義之(きざわ・よしゆき)

1991年、筑波大学医学専門学群(現・医学群)卒業。河北総合病院内科医研修、国立がんセンター(現・国立がん研究センター)東病院研修医(緩和ケア病棟)、神戸大学医学部附属病院緩和支持治療科特命教授を経て、現職。日本緩和医療学会理事長。日本救急医学会「救急医療における終末期医療のあり方に関する委員会」、厚生労働省「がんの緩和ケアに係る部会」「がん対策推進協議会」の各委員を兼任。

一般に緩和ケアと呼ばれる緩和医療は、「生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のクオリティー・オブ・ライフ(QOL、生活の質)を、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見いだし的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチ(日本緩和医療学会、世界保健機関による定義の定訳)」と定義されています(図1)。

図1 緩和ケアの概念緩和ケアは、がんなど、生命を脅かす病気によって起こる問題に対処する。病気が診断された時点から始まる医療で、終末期の医療ではない。

生命に関わるあらゆるつらさに対応

がんそのものに伴う症状や、治療による副作用、合併症、後遺症による症状を軽くするための予防、治療などを行う支持療法は、例えば、吐き気・嘔吐に対して吐き気止めの薬を使うといった処置があります。緩和ケアと概念が重なる部分がありますが、緩和ケアは、生命に関わる病気を持つ人が抱えるさまざまなつらさに亡くなるときまで対応するため、多種多様な問題を広く扱う点で、支持療法よりも広い概念といえるでしょう。

また、緩和ケアはがん治療の保険適用対象になっているせいなのか、対象となる疾患はがんだけだと思われがちですが、先述したように、生命を脅かすあらゆる疾病を持つ人とその家族に対して行われるケアであるという点を添えたいと思います。

緩和ケアが日本で最初に実践されたのは、現在の病院で行われた結核患者へのケアではないかと思います。1920年代後半、結核は不治の病として忌み嫌われ、感染を防ぐために患者は疎外されながら苦しんで亡くなっていく状況でした。1930年、これを憂えたキリスト教徒によって、患者を看護し穏やかに過ごすための療養施設が、静岡県浜松市につくられました。そうした療養の歴史を経て、1981年に、同病院にがん患者と家族の痛みを和らげる施設である「ホスピス」が設立されます。当時は、化学療法も発達しておらず、外科手術でがんを切除できなければ、それ以上の対応が難しい現実がありました。多くの病院では、患者は苦しみながら亡くなっていく状況にあって、この施設は、がんの終末期医療を提供する場でした。

個人的な経験になりますが、私が緩和ケアを専門とするきっかけの一つが、このホスピスの活動です。私が医学生だった頃は、がんの終末期患者には適切な痛み治療が施されておらず、病棟は患者のうめき声であふれていました。そういう時代にあって、聖隷三方原病院のホスピスを訪れたところ、患者は痛みがなく、穏やかに過ごしていました。大変、衝撃的な光景でした。好んで病気にかかる人はいません。痛みなどのつらい症状を抱え、苦痛の中で最期を迎える人のいない社会にしたい、と感じたのです。

日本のがん緩和ケアは世界でもトップクラス

ホスピスも緩和ケアも、概念は同じです。がんの場合、再発・転移があり、継続的に治療を必要とする人を対象とすることが多くなっています。

今、日本では、がん医療においては世界でもトップクラスの緩和ケアが提供されています。

日本で緩和ケアの概念が広く知られ、社会の受け止め方が変化したのは2013年ごろでしょう。2006年にがん対策基本法が成立し、2007年にがん対策推進基本計画が公表されました。この計画の中で、重点的に取り組むべき項目として緩和ケアの推進が盛り込まれたことで、普及が進んでいったのだと思います。

私は2007年ごろ、日本緩和医療学会が着手していた、緩和ケアの基本教育プログラム「PEACEプロジェクト」に携わっていました。しかし当時は、緩和ケアの専門家が200人にも満たないような状況でしたので、全国的に緩和ケアを展開するのは非常に困難でした。そのタイミングで、厚生労働省からがん患者に対する緩和ケア普及のための施策を検討せよという依頼があり、PEACEプロジェクトの開発が一気に加速したのです。

1981年以来ずっと、日本人の死因の第1位はがんです。2023年には年間約38万人が亡くなっています。プロジェクトがスタートした2007年、厚生労働省が掲げたのは、30万人以上のがん患者が痛みで苦しみながら亡くなることのないよう、緩和ケアの提供体制を10年間で整える、という目標でした。私は、その速度で目標を実現するには、30万人ほどいる医師が基本的な緩和ケアに関する研修を受け、スキルを習得することが最善であると考えました。そこで、まず5年間で10万人の医師が研修を受けることを目標に、研修プログラムのパッケージ化に着手しました。2008年には、がん診療連携拠点病院に所属するがん診療に携わるすべての医師は緩和ケア研修を受けることが義務化され、2018年に研修を修了した医師は10万人を突破しました。2024年9月末時点には、全医師約34万人の半分以上となる19万1183人が研修を修了しています。並行して、緩和医療の専門医制度が整備され、大学に講座が設置されるなど、地道な努力によって、がんの緩和ケアは大きく変わりました。がんにまつわるさまざまなつらさに苦しむ人は、大きく減ってきたと言えると思います。

実際の緩和ケアは、まず主治医チームによって行われます。通常の治療で、体や気持ちのつらさに対する対応も実践されるからです。苦痛の緩和が困難で、より高度な緩和ケアが必要とがんの主治医が判断した際に、相談相手となる専門家が緩和ケアチームです。このスタイルの専門家診療をコンサルテーション診療といい、私の所属する筑波大学附属病院緩和支持治療科もこのスタイルで運営しています。

最も多い相談は、やはり痛みです。主治医から鎮痛薬が処方されているものの、効果が十分ではなく、日常生活に支障を来している(眠ることができない、体を動かせない)といった相談が代表的です。身体的なつらさは、QOLの低下に直結しますから、症状を解決して身の回りのことを自分でできる状況にしていくことは最優先の課題になります。痛みに対しては薬剤の標準的な使い方がある程度確立されており、それに従うとともに、副作用のマネジメントをしながら、苦痛の緩和を図っていきます。

現在の緩和ケアは、多面的な問題がさまざまに絡み合って複雑性を増していると感じています。医学的な側面だけでも、今、70代、80代の高齢のがん患者が、非常に多くなりました。そのため、がんだけでなく、しばしば、高血圧、糖尿病、肺気腫、変形性関節症など、多疾患を伴っています。そうなると、例えば、消化器内科が主治医となって大腸がんの化学療法を行っているさなかに、患者が虚血性心疾患を発症すると、がんのみにフォーカスした緩和ケアでは対処しきれないケースとなるのです。それでも、入院中は、担当している科が他の科にコンサルテーションをしながら、適切な治療を施すことができますが、退院後は状況が違います。在宅療養を想定すると、体力の低下と、もともとある整形外科的問題によってトイレや更衣などの日常生活に困難が出ることは少なくありません。この場合も、がん以外の疾患に対するケアが必要になります。複数の疾患が絡み合っているため、ケアも複雑化しているのです。

また、以前は治療手段がなくなった患者が緩和ケアに移行し、痛みやつらさを軽減し、穏やかな終末期を迎えるという流れが一般的でした。しかし、現在はさまざまながんの治療法が開発され、生命予後も改善し、治療期間が長くなる傾向にあります。治療と並行して緩和ケアを行うことが以前よりも増えてきました。それも、治療が複雑化する要因になっています。

体のつらさに加えて、不安、抑うつ、睡眠障害など、気持ちのつらさへの対応も大きな課題です。気持ちのつらさは、体のつらさに比べて、患者が訴えにくい症状であることから、「スクリーニング」することが大切です。また、経済的な問題や、本人だけでなく家族のつらさや介護負担も困り事としてよく挙げられます。緩和ケアの専門家の仕事の根幹となるのは医学的なアセスメントですが、その他に、社会の仕組みや制度、各職種の役割など、生活を支援するための情報を持っていることも欠かせない要素です。各診療科に相談することもあれば、行政と患者の橋渡しをすることもあるので、患者の住む地域にどのようなサービスがあり、どこに相談すれば適切なサービスが受けられるかといった情報も把握していなくては、患者が地域に戻ってからの支援が十分にできません。このように緩和ケアが担う内容は広範にわたります。

余命が1年延びるより大切にしたいこと

緩和ケアを行うにあたって、私たちが大切にしているのは、患者に病気を理解してもらったうえで、その人が何を望んでいるのか、どんなことが大切なのか、どんなことに困っているのかに耳を傾けることです。私たちは、それを踏まえて自分たちができることを考えます。今ある医療技術や社会資源を結集して、QOLを高める。それが私たちの専門性です。

患者が治療を拒否する例があります。

例えば、大腸がん患者の治療・ケアでは、主治医から人工肛門の提案をすることがありますが、それに拒否反応を示す患者は少なくありません。確かに人工肛門の手術をするという決断は簡単ではないでしょう。そのため、自分は十分に生きたので、苦しいことはしたくないと話す患者もいます。しかし、だからといって盲目的に患者の意見に従うのではなく、大腸がんという病気のこと、人工肛門のことなど、時間をかけて、納得のいくまで説明し、理解してもらうことが必要だと感じます。例えば直腸がんは進行すると肛門周囲の痛みが強くなり、排便に伴う苦痛も生じることから、決して安楽な状態ではなく、その状態が長く続くこともあります。そうした可能性を理解してもらったうえで、共に治療方針を決めていく必要があります。

他にも、その人が大切にしているものを守るために治療を拒むこともあります。

主治医から、治療をすれば1年は長く生きられるだろうから、と治療を勧められるものの、患者が拒否しているので話を聞いてあげてほしいという依頼がありました。主治医としては、その患者が子どもを大切に思う気持ちがあることを聞いていたので、それなら少しでも長く生きられるほうがいいだろうと説得するのですが、どうしても嫌だと言われ、治療医としてできることがなくなってしまった、というのです。

私が改めてその患者に話を聞いてみて知ったのは、子どもに対する思いです。患者は自身の病状はよく理解していたのですが、不登校だった子どもがおり、その子が何とか落ち着いて学校に行くようになっている。だから、毎朝、お弁当を作って子どもを送り出したい、帰ってきたら「おかえり」と声をかけて、一緒に夕食を食べてあげたい、と言うのです。治療のために、入院やつらい副作用がある状態では、そうした子どもとの生活ができなくなる可能性が高いから、と治療を拒否していました。患者にとっては、その生活を維持することは、余命が1年延びるより大切にしたいことでした。

このような場合に正解はありません。話し合いを重ねて、やはり主治医の勧めた治療を受けることになるかもしれませんし、次善の策を探していくかもしれません。人は生きていくうえで大切にしていることがあり、それを尊重しながら、生活ができることを支援していくのが緩和ケアであり、あるべきがん医療のかたちだと思うのです。

患者は、もし困り事があれば、率直に主治医や担当看護師に相談するのがいいと思います。自分の病気を知り、体がどうなるかをしっかり理解したうえで、どうしたいかを医師に伝えるのが、非常に重要です。「医師が忙しそうで、申し訳ない」などと感じて、診察のときに話を切り出しにくいと言う患者もいます。医師は、患者の人生や生き方、大切にしたいことを理解したうえで、患者に適した治療を勧めていく姿勢を持つべきです。

困り事は我慢せずに、まずは主治医にしっかりと伝えてほしいのですが、もしも思うようにならなかったら、緩和ケアの専門家に相談したい、と言ってください。少なくとも、がん診療連携拠点病院、小児がん拠点病院、地域がん診療病院には専門的な緩和ケアが受けられる体制が整っていますし、がん相談支援センターの設置が義務づけられているので、そこで緩和ケアを受けたい、と伝えてもいいでしょう。話を聞いてくれるスタッフは、必ずいます。

病気になって痛みや苦しみを望んでいる人は、一人もいません。緩和ケアは、すべての人が受けられる医療の一つであって、患者は我慢せず、周囲に話してみることで、痛みや苦しみを和らげる仕組みがあることを知ってほしいと思います。

(図版提供:木澤義之)

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