マグネット式のさまざまな便利グッズが売られている。そもそもマグネットとは磁石のこと。便利グッズは磁石の吸着力を利用したものが多いけれど、エアコンや冷蔵庫などのモーターにも磁石が使われている。暮らしを支える縁の下の力持ちだ。今回は磁石について調べてみた。
暮らしの科学 第65回 暮らしを変える磁石のすごい力!
文/茂木登志子 イラストレーション/山崎瑶実
引き出しの奥からコンパスが出てきた。円を描くときに用いる文房具のほうではなく、方位を知るための方位磁石のほうだ。スマートフォンに搭載されているアプリケーションを利用するようになり、いつの間にかその存在を忘れていた。
コンパスを眺めているうちに、疑問が湧いてきた。磁石といえばN極とS極があって、同極同士は反発し合うけれど、異なる極同士は引き付け合う。丸い方位磁石は、どこに磁石があって、その性質が使われているのだろうか?
そんな疑問から、さらに磁石について思いが巡る。百円ショップやホームセンターなどに行くと、金属にぴったりと張り付く磁石の力を利用した、安価で便利な生活用品がたくさん出回っている。冷蔵庫にチラシやメモを張るだけではない。調理器具やシャンプーなど、重量のある物でも、簡単にキッチンや浴室の壁面に収容できるのだ。
そういえば、リニアモーターカーも、車体と線路となる「ガイドウェイ」に磁石が付いていて、この磁石の作用で走る仕組みだと聞いている。気が付いていないだけで、実は身の回りには磁石を使った物が多いのかもしれない。
というわけで、今回は、身近にあっても実はよく知らない磁石の世界を探究することにした。
磁石の世界を案内してくれる専門家は、東北大学大学院工学研究科の名誉教授である杉本諭さんだ。杉本さんは磁石の機能を高めること、そして優れた磁石を作る材料の研究に取り組んできた。現在も特任教授として研究を続けている。
磁石の歴史
「私たちの身の回りには、多くの物に磁石が使われています。磁石には永久磁石と電磁石があります。前者は自ら磁石としての力を長く維持できるもので、後者は 電流を流すことで磁力を持つことができるタイプです」
リニアモーターカーで用いられているのは、後者だという。
「ここでは、永久磁石についてお話ししましょう。実は、磁石を人工的に作ることができるようになったのは、わずか100年ほど前のことなのです」
杉本さんの解説は、磁石製造の歴史から始まった。
「1917年に、東北大学の本多光太郎(1870〜1954年)博士が、主原料の鉄にコバルトやタングステン、炭素などの金属を混ぜて、従来の3倍もの強い磁石を作り出しました。これをKS鋼といいます」
これが世界で初めての、人工磁石の誕生だった。もちろん、古代ギリシャの時代から磁石の存在は知られていた。古代中国では「慈石」と表記され、磁石を使った羅針盤が発明された。羅針盤の発明が大航海時代を招来し、人々の暮らしに大きな影響を与えた。ところが、磁石といえば、天然に産出されるものだったという。現在と比べたら微力ともいえる磁石を使った羅針盤での航海は、大冒険だったというわけだ。
「人工磁石の発明のポイントは、合金にしたことでした」
鉄にいろいろな金属を混ぜれば、人工的に磁石が作れる。このことが分かると、国内外で新たな「強い磁石」の開発競争が始まった。1931年には東京大学の三島徳七博士(1893〜1975年)が、鉄にニッケルとアルミニウムを加えたMK鋼を作り出した。これは、鉄とアルミニウム(Al)、ニッケル(Ni)、コバルト(Co)、銅、チタンなどの合金で作るアルニコ(AlNiCo)磁石の原型といわれている。
「その前年の1930年には、東京工業大学の加藤与五郎(1872〜1967年)博士と武井武(1899〜1992年)博士の研究により、酸化鉄にさまざまな金属酸化物を混ぜ合わせて作るフェライト磁石が、世界で初めて生み出されました」
フェライトというのは酸化物という意味だ。主成分の酸化鉄は、いわば鉄のサビのようなものだ。そういうものが磁石になるというのは、世紀の大発見だった。
「このフェライト磁石は現在でも作られ、私たちの身の回りで使われています。例えば、車に付ける若葉マーク(初心運転者標識)や、もみじマーク・四つ葉マーク(高齢運転者標識)がそうですね」
次に磁石の歴史に新しいページが開かれたのは、1960年代になってからだ。希土類を用いた磁石開発の研究が盛んになった。1967年にアメリカ空軍の研究所が、コバルトに希土類を配すると高性能磁石ができると発表した。こうして希土類磁石の幕が開いた。
「1970年に、希土類のサマリウムと高い磁性を持つ金属のコバルトで構成された、サマリウムコバルト磁石が日本で生まれました」
生みの親は、俵好夫(1932〜2024年)博士だ。
「1980年ごろまでは、間違いなく世界で一番強い磁石でした。こういう短歌をご存じですか? 『ひところは「世界で一番強かった」父の磁石がうずくまる棚』。詠んだのは俵さんの娘さんで、歌人の俵万智さんです。1987年に出版されてベストセラーとなった『サラダ記念日』という歌集に収められている一首です」
世界で一番強い磁石の座が交代したのは、1982年だった。その背景には、コバルト産地の政情不安があった。供給が不安定になったのだ。そのため、コバルト以外の材料で、より安価で強力な磁石の開発が求められた。そういう中で、佐川眞人博士が、希土類であるネオジムを主に鉄やホウ素などを用いて、より強力なネオジム磁石を発明した。以来、今現在に至るまで、ネオジム磁石が世界最強の座を守り続けている。
「佐川さんはこの功績により、ノーベル賞の受賞候補として注目されています」
強い磁石の作り方
机の上に散らばっているクリップに、磁石を近づけてみる。するとクリップが磁石に吸着する。1つずつ拾い集めるよりも効率的だ。この吸着力で、磁石の強さを見てみよう。現在最強のネオジム磁石の場合、わずか直径1~2cm程度でも5~10kgの吸着力があるという。
5~10kgといえば、市販のお米と同じくらいの重さではないか。買い物後に、お米を持ち帰るのは結構大変だ。あの重い荷物を、小さな磁石で持ち上げることができるとは! シャンプーなどの重い物でもしっかり固定できるマグネット用品が出回るようになった背景には、このように小さくても力持ちの磁石が作られるようになったことがあるというわけだ。
では、こういう磁石の力は一体どこから生まれてくるのだろうか? 例えば棒磁石を半分に切ると、切断部分には異極が生じて、N極とS極を持つ2つの磁石ができる。できた磁石を半分に切ると、同様にまた磁石ができる。どんどん切っていって原子レベルまで達しても、やっぱり磁石になっているのだろうか?
「その通りです。磁石がくっついたり反発したりする力を磁力といいます。すべての物質は原子が集まってできていますが、原子の中では、原子核を中心にしてその周りを電子がスピン(自転)しながら回っています。このように、電子がスピンすることで磁力が生まれます」(図)
しかし、すべての原子が磁石になれるわけではない。磁石になれるのは、鉄やコバルト 、ニッケルなどだ。どれも磁石の原料として知られている。そういえば、人工的な磁石の製造を可能にしたのは、合金にしたことだった。
「例えば、鉄のくぎは磁石にくっつきますが、くぎ同士はくっつきません。なぜなら、鉄は原子磁石の向きがそろっている領域(磁区)に分かれていて、隣の領域では、その向きがバラバラなのです。磁石を近づけると、磁区の向きは一斉にそろうのですが、磁石を離すとまたバラバラになってしまいます。ところがそんな鉄原子の間に磁石になれる別の金属原子を混ぜると、そろった向きがバラバラに戻るのを阻止できるのです。それで、長く、強い、磁石の力を発揮できるのです」
これまでのところ、磁石を作る素材の中でも、鉄とネオジムの組み合わせがベストだ。それが最強の磁力を作り出している。
さて、今度は磁石の作り方を見てみよう。作り方で分類すると、磁石は大きく2つに分かれる。一つは焼結磁石、もう一つはボンド磁石だ。
〈焼結磁石〉
主原料の鉄にネオジムやサマリウム、コバルトなどの金属を混ぜて、1000℉以上の高温で熱して溶かす。これを冷やして、硬い合金にするのだ。
できた合金を砕いて粉にしてから金型に入れて固める。だが、この段階ではおにぎり程度の硬さ。この過程では大事なのは、合金のN極とS極の向きがそろうようにすることだ。そのために、磁石のN極とS極の間に型を置いて押し固めるのだという。これを焼いて堅固にする。最後に、磁力をつけて、「永久磁石」に仕上げる。
この方法では、鉄に加える金属の種類によって、ネオジム磁石、サマリウムコバルト磁石、アルニコ磁石、フェライト磁石など、さまざまな磁石が作られている。
〈ボンド磁石〉
磁石を砕いて粉にして、ゴムやプラスチックなどに混ぜて作る。ぐにゃぐにゃと曲がる、柔らかい磁石だ。混ぜ合わせたものにちなんで、プラスチック磁石、ゴム磁石、マグネットシート、マグネットテープなどとさまざまな名称で呼ばれていることがある。
ゴムやプラスチックと同じように、形を自由自在に加工できるのが特徴で、幅広く使われている。身近なところでは、冷蔵庫にも使われている。ドアの内側にあるゴムパッキンに磁力があるので、軽く押すだけでしっかり閉じるのだ。
磁石と暮らしの変化
この100年ほどの間に、より小型でパワーのある磁石が開発された。では、こうした磁石の登場で、私たちの生活はどのように変わったのだろうか? まず、身の回りのどんな物に磁石が使われているのか、杉本さんに教えてもらった。
「仙台(東北大学:宮城県仙台市)まで乗ってきた東北新幹線の乗車券にも磁石が使われています。乗車券の裏側は何色でしたか? 黒かったでしょう。これが磁石なのです」
鉄道などで使われている紙の乗車券の裏側には、小さな磁石の粒を含んだ特殊な塗料が塗られている。これらの磁石のN極とS極を並べ替えることで、乗車駅や金額などの情報を記録しているのだ。
さらに身近なところでは、家庭用電気製品(家電製品)にも磁石が使われている。
「電子レンジは、マイクロ波が食品に当たり、食品内部の水分子が振動して熱が発生します。それで、食品自体が温まるのですが、そのマイクロ波発生にも磁石が重要な役割を果たしています」
それだけではない。
「小さくて力の強い磁石の誕生は、家電製品の省エネ化やスリム化にも一役買っています」
家電製品にはモーターが欠かせない。モーターは、電気エネルギーを機械エネルギーに変換する装置だ。モーターに使われる磁石が小型化して強力になれば、家電製品本体のスリム化やモーターの効率を向上させて電気の消費量を減らす省エネ効果につながるからだ。
このように私たちの暮らしを変えてきた磁石だが、杉本さんによると、今後はカーボンニュートラルの切り札になると期待されているという。カーボンニュートラルというのは、温室効果ガス排出量をできるだけ削減し、削減できなかった温室効果ガスを吸収または除去することで実質ゼロにすることだ。言い換えると、地球温暖化阻止ということだ。
日本では、温室効果ガスのうち、CO2の排出量が全体の約91%を占めている。そして、その8割以上が化石燃料による発電や電力消費を含めたエネルギー起源だ。カーボンニュートラルを目指すための対策には2つの視点があると、杉本さんは言う。
「1つ目は、電気の使用量を減らすことで、発電に用いられる化石燃料の消費を減らすことです。これには小さくて強い磁石による家電製品の省エネ化が役に立つでしょう。そして、2つ目の視点は、化石燃料を使わない発電量を増やすことです」
その一例として期待しているのが、風力発電だという。
「現在はギアでタービンを回転させていますが、劣化や騒音などの解決すべき課題があります。これらを磁石による発電機を使うことで改善できるのではないかと期待しているのです」
すでに電気自動車やハイブリッドカー(ガソリンで動くエンジンと電気で動くモーターの2つの動力源を備えた車)には、磁石が使われていて、化石燃料消費低減を進めている。
「磁石は未来指向型の研究です。まだまだ新しい“最強の磁石”を生み出せると信じています」
100年余り前に始まった人工磁石の歴史には、これからも新しい発見が刻まれそうだ。
■磁石と希土類(レアアース)
希土類は、レアアース とも呼ばれている。「希」も「レア」も希少性を意味する。だが、埋蔵量自体は決して少ないわけではない。世界中に埋蔵されているのだが、経済的に採取可能な国が「レア」なのだという。現在、中国が世界の希土類生産量のおよそ7割を占めている。ところが、その採掘や輸出を規制するなど、国家管理を強化しているため、安定供給にはリスクがある。なお、南鳥島(東京都小笠原村)の排他的経済水域(EEZ)内の海底には、世界需要の数百年分に及ぶ埋蔵量があると判明している。
■方位磁石の使い方
傾かないように気をつけて平らに置く。くるくる回っている針の動きが止まったら、本体をゆっくり回す。針の赤い部分は、必ず「北」を指している。そこで「北」の文字を、赤い針に重なるように、合わせる。これを基準として、調べたい対象がどの方角にあるのかを読み取る。
■方位磁石が南北を示す理由
磁石にはN極とS極がある。N極同士、S極同士は、互いに反発して退け合う。N極とS極は、互いに引き付け合う。針のN極とS極は、どこに引き付けられてそれぞれ北と南を指しているのだろう? 地球の南極と北極だ。実は、地球は全体が大きな磁石になっているのだ。磁石である地球には、N極とS極がある。北極の近くにS極があり、南極の近くにN 極がある。磁石は異なる極同士が引き付け合う。コンパスの針のN極は地球のS極に引き付けられるので常に北を指しているのだ。
■磁石の誤飲は危険!
パズルや玩具として販売されている小さな磁石グッズを、ペットや乳幼児が誤飲する事故が発生している。磁石を誤飲すると、胃壁や腸壁を挟んで磁石同士がくっついて消化管内にとどまってしまう。時間が経過すると壊死して消化管に穴が開いたり、腸閉塞を引き起こしたりして、開腹手術が必要になる。誤飲した可能性がある場合は、すぐに医療機関を受診しよう。また、誤飲防止に留意して磁石を保管・管理しよう。