「人間拡張」というと、ロボットスーツのような装置を着けて空を飛んだり、通常では不可能な力を出して重い荷物を持ったりと、人間の能力を超える機能を発揮させるSF的な装置をイメージしてしまうが、例えば工事現場では建設機械の遠隔操作で作業員の負担が軽減するなど、実はすでに、私たちの仕事や暮らしを支えている。また、リハビリの現場では、人工筋による運動アシスト器具によって、本来の能力そのものを引き出せるようになってきたという。
特集 「人間拡張」技術 楽に・うまく・楽しく——社会実装の現場を見る
文/飯塚りえ
「人間拡張」技術の目指すところは、換言すれば人間が持つ能力を高めることだ。それは単に機器を装着して極端に重い物を持てるようになったり、機械に身を委ねて空を移動したりすることではない。人間拡張技術の考えの下では、工学的な先端技術とともに、心理学などの研究も加味しながら、多様な仕組みが開発されている。
現場に赴くことなく作業ができる
広島大学大学院先進理工系科学研究科の栗田雄一教授は、さまざまな技術の社会実装に取り組んでいる。栗田教授が広島に本社を置くコベルコ建機と共同で開発したのが、建設工事などに使われる建設機械(建機)を遠隔操作するシステムだ。実際に利用されている、あるいは産業化に向けて進んでいる人間拡張技術について、栗田教授に聞いた。
「建機を扱う現場で人間拡張の技術が求められている要因がいくつかあります。1つ目が深刻な人出不足です。工事の現場は多種多様で、建機を操作する難易度もさまざまですが、例えば、最も難易度が高いとされる傾斜面をならすといった作業は、特に熟練の技術が求められ、トレーニングには数年かかることもあります。ところが工事の現場には、なかなか若い人が集まってきません。そこで、高齢になって退職したオペレーターに継続して仕事をしてもらうための仕組みとして、現場に赴くことなく、作業ができる環境を整えたいという要望は強いのです」
この遠隔建機システムはまた、自動車の解体処理業などでも使われている。
「解体の現場は、高温で金属を溶かす作業を行うために酷暑の中での作業もあれば、解体用の大きなフォーク(金属を切ったりするためのハサミ状の装置)を使う危険な作業もあります。そのため、遠隔で操作ができるシステムに需要がありました」
同大学内に設置されているコベルコ建機の共同研究講座には、遠隔操作システムを搭載した油圧ショベルのシミュレーターがある(図1)。
遠隔建機に搭載されているレバーは、実際の建機のものと変わらない。手元で操作すると、正面のモニターに現場(シミュレーターではCG)の様子が映し出される。現場で操作しているのと同じリアルな感覚を再現するために、システムの開発時には、油圧ショベルの動作をコンピュータで再現して遠隔操作のシステムに反映している。遠隔建機で操作する際の画像も、現場で見ているときの画像とほぼ変わらないという。レバーの操作は思いがけないほどスムーズだ。
オペレーターに現場の音や振動も伝える
「現場でも建機のレバーからの力のフィードバックは、実はほぼありません。ただし運転席でレバーを操作するため、エンジンの振動による揺れがあるなど、さまざまな音が耳に入ります。そこで、遠隔建機のシステムでは、椅子にモーションプラットフォームという振動を返す変換器をしつらえ、建機の動作に応じて椅子が動くようにして、例えば、傾斜のある地面では体が傾くような感覚をオペレーターに与えることができます」
ところが、単純に、実際に起きるだろう動きや音をそのまま再現することが適切とは言えない。
「この点が人間拡張研究の一つとも言えるのですが、現場で発生している音の中には、操作の効率を上げたり、危険を察知するために必要な音ばかりではなく、不要なノイズも多くあります。つまり実機のエンジンの振動や周囲の音すべてが操作に必要とは限らないのです。むしろ、不要、不快と感じる要素は取り除いた上で情報提供されるほうが、オペレーターの操作効率は向上するはずです。他方で、熟練したオペレーターでないと知覚できないような情報を分かりやすくユーザーにフィードバックすることもできます」
実際に人が乗った現場の建機では、作業の妨げになるので必要以上のセンサーやモニターといった機器を設置するのは好ましくない。しかし、無人であればさまざまな機器を設置できる。それらが感知した「バランスが崩れそうだ」といった情報を遠隔建機のモニターに表示すれば、経験の浅いオペレーターにとっては、実機よりも周囲の状況を把握しやすい。大きな事故につながりかねない危険な出来事を、俗に「ヒヤリハット」と呼んで、これを回避するべくさまざまな策が講じられている。
「遠隔建機を使えば、経験の浅い段階ではヒヤリハットを減らし、安全にトレーニングを積むことができるようになります。しかも遠隔建機は、オペレーターの熟練度に合わせて、カスタマイズしやすいのも特徴です。経験を積むにつれ、モニターに表示される情報が煩わしくなってくるかもしれません。そうなればその情報を表示させないよう、ソフトウェアだけで変更することができます。これもまた、使う人に合わせた機能を提供するという、人間拡張のコンセプトの一つです」
働き方の面でも、遠隔で建機の操作ができれば、各地の現場に赴くという負担がなくなり、午前中は北海道、午後は九州のような現場を担当することも可能になる。1日数時間勤務するといったニーズにも応えやすい。人材の不足や安全性の確保というマイナスを補う視点だけでなく、人間拡張技術という概念の下で、実際に現場にいるよりも、遠隔建機システムのほうに利点がある、という作業環境の構築を目指している。
筋力を補強する技術も、すでに広く利用されている人間拡張技術だ。
現在、多く使われているのはロボットを使ったタイプだが、1人で装着するのが難しい、素材が硬いのでぶつかると痛い、作用する筋肉が決まっているなどの課題がある。
「私たちの研究室で開発したのは、人工筋を使った運動アシスト器具です。非常に柔らかく、装着も簡単です。人工筋はラバーチューブ状で、圧縮空気が入ると縮みます。筋肉が収縮して関節が動きますが、その際の縮む力を助けて筋肉の動きを支援する仕組みです。ロボット型ほどの補強はしませんが、装着しても人の動きを邪魔しません。そのため、自分の体を思うままに動かす感覚を保てます」(図2)
自分の体を動かしている感覚
人は歩くときに、足首を背屈(甲に向けて動かす)したり、底屈(下に向けて動かす)したりしながら、地面を蹴るような動作をする。しかし、その筋力が弱くなっていると、不安定になり転倒につながる。そこで、リハビリの現場などでは、足首の後ろにアシスト器具を装着して蹴る力を補強するという形で使われている。このアシスト器具も、使う人の能力に応じて微調整ができるのは大切なポイントだ。
歩行能力の改善に伴って強度や装着の位置などを変えたり、最終的に装置を外しても以前の歩行能力を回復できることを目指す。人間拡張の技術は、装置を着けて能力を補強することだけでなく、人間の能力そのものを拡張することが目的で、装置はあくまでもその手段と考えられるからだ。
介護やリハビリの現場では、要介護者のモチベーションの維持も課題となっている。
「運動を続ければ改善が期待できるのは、ほぼ間違いないのですが、皆さん、なかなか続きません。簡単には成果の出ない“修業”のような期間を乗り越えなくてはならないからです。リハビリ期間に転んで痛い思いもすれば、寄り添ってくれる周囲に申し訳ないという気持ちも生まれてしまいます。それなりに覚悟が必要で、残念ながら諦めてしまう人もいるのが実状です。ですから、人間拡張の技術を利用して、つらさを減らしていけば、自分の力でもう一度、歩けるようになる人が増えると思います」
リハビリはどうしても患者任せになってしまうが、続けられない患者に意欲が不足していると決めつけるのではなく、技術の力で、リハビリの過程でくじけてしまう要素を取り除く支援ができないか、という発想が人間拡張技術にはある。
知覚や感覚を重視するのも人間拡張技術の特徴だ。
「私たちが体を動かすときは、筋肉だけが動いているのではなく、自分の体を動かしているという感覚と一致している必要があります。勝手に動かされている感覚では、その装置が外れてしまえば、自分で動こうとはしなくなります。装置を提供する側の姿勢として、きちんと自分の力で自分の体を使ってその動きをしている感覚を考慮することを忘れてはなりません。私は、人間拡張というのは、人に対するサービスだと考えています。主体は、あくまでも人間であって、人間ができることを増やす研究領域です」
人の心理にフォーカスして開発されたのが、適度な運動を1人で続けるための運動支援アプリだ(図3)。
「フレイル予備軍は、やはり高齢者が多く、これを防ぐために運動をしましょう、と言われます。確かに日常生活で少しでも体を動かせばより健康に過ごせるのですが、自分から積極的に行動する人ばかりではありません。体操をしようと言われても『何をしていいか分からない』『正しくできているのか分からない』など、意欲をそぐ、れっきとした理由があります。しかし、誰かがそばにいて、こうしましょう、よくできました、と評価されるだけでも、モチベーションが上がることが分かっています。そこで、スマートフォンの機能だけで利用できるアプリを開発しました」
- * フレイル:心身ともに活力が衰え要介護になりやすい状態のこと。
AI版パーソナルコーチがいるような環境
アプリを起動して正面に座り、体操を開始する。最初に、インストラクターのお手本が映し出され、次に画面に表示される動線に従って、自分の体を動かしていく。アプリがその動きを捉えて“GREAT”“GOOD” “BAD”などといった評価が返ってくるため、迷うことがなく集中できる上、あたかも誰かと一緒にやっている感覚が生まれてくる。スコアも記録されるので、どの程度効果があったか、などもモチベーションの維持につながるだろう。
理学療法士の協力を得て52種類ほどの体操を作っており、1日2回程度行うことで、高齢者の体の動きが改善したという研究結果も出ている。
「システムの考え方は、以前からあったかもしれませんが、関節の動きを把握するために、部屋にたくさんのカメラを付けたり、ユーザーの体にたくさんのセンサーを着けるモーションキャプチャーシステムのような大がかりな装置が必要で、個人が気軽に、というものではありませんでした。ところが、今はAI技術によってスマートフォンの2次元画像カメラだけで、関節の動きを記録することができるようになりました。しかも、各体操のスコアを保存しているので、運動能力が向上している、下がっている、などの情報をリアルタイムに知ることができます。単純な体操アプリではなく、見守り型アプリとして利用することも想定しています」
デイケアセンターなどで体を動かしたり、理学療法士が付き添う施設では運動ができても、自宅に戻って1人でやる気にはならない、という人もいるだろう。しかも先の建機のオペレーター同様、人材の不足から、理学療法士が付き添ってリハビリのできる環境は、特に地方など条件不利地域では貴重なものになりつつある。
「こうした最新の技術を使って、言ってみればAI版パーソナルコーチがいるような環境を提供したいと思います。体操の評価をしてもらい、頑張っていますね、などと声をかけてもらう。データは医療機関と共有して、必要なら診察を促します。漫然と運動をするのではなく、その人に合わせたサービスを提供できるようにして、体操をしないというだけで、本来、その人が持っていた可能性が失われることがないようにしたいのです。すると高齢になっても長く仕事が続けられるかもしれません。これこそ人間拡張だと思います」
栗田教授は、人間拡張技術を用いて産業分野で利用できる装置を各種開発しているが、共通するのは、単純に生産性を上げるのが目的ではないことだ。
「とにかく成果を出すことが目的であれば、人間がする必要はなく、すべて自動化できるシステムを考えればいいでしょう。そのほうが適している場面があることは事実ですが、私は、人間拡張においては、人間ができることを増やした結果、パフォーマンスが上がるだけではなく、その人が主観的に快適になることが大切なファクターだと考えています」
栗田教授が掲げる人間拡張技術の3軸に「楽にする」「うまくする」「楽しくする」がある。
「楽になってもうまくなるとは限らず、楽しくなるとは限りません。それでは、能力を高めたことにはならないのです」
AIを筆頭に革新的な技術が登場し、人間との関わり方が問われている。人間拡張という概念は、そうした先端的な技術を人間のウェルビーイングのためにどのように利用していくのかを模索する、一つの指標となるかもしれない。