「細胞と遺伝子」 第28回 老化・寿命と睡眠を結ぶ鍵となる神経細胞

イラストレーション/北澤平祐

河合香織(かわい・かおり)

ノンフィクション作家。『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。新著にアンチエイジング研究の最先端を取材した『老化は治療できるか』(文春新書)がある。

睡眠時間の減少、幾度も目が覚めるなど、睡眠の質の低下は加齢に伴い顕著になる。最近の研究で、脳内のある神経細胞が、老化の過程における睡眠の質の低下に関係していることが明らかになった。マウスの実験では、神経細胞にあるPrdm13という分子が睡眠の質に大きく関与し、睡眠の不具合による老化の促進や、寿命への悪影響が証明されたという。Prdm13は老化・寿命と睡眠を結ぶ鍵となる物質と考えられ、ヒトへの応用が期待される。

東北大学加齢医学研究所脳科学研究部門統合生理学研究分野准教授(国立長寿医療研究センター研究所統合生理学研究部副部長兼務)

佐藤亜希子(さとう・あきこ)

富山医科薬科大学(現・富山大学)大学院博士課程修了(薬学)後、アメリカ・ワシントン大学へ10年間留学。帰国後、国立長寿医療研究センターに所属、2022年から現職。

加齢とともに、体にさまざまな不具合が出てくるが、その中でも睡眠についての悩みはよく聞かれるものだ。長く眠ることができなくなったり、夜中に何度も目が覚めてしまったり、朝もすっきり起きられなくなったりする。

では、どうしてこのようなことが起きるのか。その鍵は脳、とりわけ視床下部という脳の奥深い場所にあることを解明したのは、東北大学加齢医学研究所の佐藤亜希子准教授らの研究チームである。

老化・寿命に関与する分子

「夜行性のマウスを朝の6時から昼の12時まで棒でツンツンと優しくつつき、眠りを強制的に制限するという実験をしました。若いマウスは睡眠を制限されても、起きている時間を維持しようとします。けれども、年を取ったマウスは起きていることができなくなり、どんどん眠気が増していきます。これとは別に、睡眠の断片化も起こります。これはマウスだけではなく、ヒトでも年を取ると起こることがよく知られています」

睡眠の断片化とは、平均睡眠時間が短くなったり、睡眠の連続性が低下したりして、睡眠の質の低下につながることだという。老化だけではなく、神経変性疾患でも起きる現象である。

佐藤准教授らは、老化の過程で睡眠の質を高く保つために重要な役割を果たす神経細胞を同定し、2023年に研究成果を論文発表した。これは、“Prdm13”と呼ばれる分子を持つ神経細胞で、脳の視床下部に存在する。

まず遺伝子操作によりPrdm13を欠損させたノックアウトマウスを作製し、睡眠の変化を確かめた。すると、若いマウスでも、老齢マウスと同じような睡眠の断片化が認められた(図1)。

図1 老齢マウスの睡眠断片化と視床下部の背内側部Prdm13+神経細胞の関係老齢マウスの睡眠断片化に関わる神経細胞として、脳内の視床下部にPrdm13+という神経細胞を特定した。老化に伴う睡眠断片化は食餌制限により改善することができ、その作用にはPrdm13+神経細胞が大きく関わっていることも明らかになった。

図2 睡眠制限への背内側部Prdm13+神経の反応性の加齢変化若齢マウスに睡眠制限を行うと、背内側部Prdm13+神経が活性化される。一方、老齢マウスではその反応が認められない。
***p<0.001(独立t検定から)

さらに、若いときから睡眠の不具合を持つノックアウトマウスを解析すると、睡眠の不具合が長く続くことによって、老齢になるにつれ身体活動量の低下や体重増加が見られたという。老化に伴って身体活動量が減ることは知られている。つまり、マウスの老化がより進むと考えられる。

「最終的に寿命を解析したら、マウスの寿命は短くなっていました。これは、重要な結果だと私たちは思っています。1つ目の理由は、Prdm13自体が老化・寿命に関与する可能性を示すことができたため。そして2つ目は、慢性的に睡眠の不具合が持続されると、個体寿命にも悪影響が及ぼされることを実験的に証明できたということです」

つまり、睡眠の不具合があると、老化が進み、寿命も短くなるということである。これはマウスでの結果ではあるが、Prdm13はマウスだけではなく、ヒトの脳にも存在する分子だ。

「老化に伴うすべての睡眠の変化が悪さをするわけではないですが、睡眠が断片化して、本来は長く保たなければならない睡眠、特にノンレム睡眠が保てなくなることは健康に影響があると思います」

食餌制限で睡眠改善するときにも重要

さらに佐藤准教授は、老化による睡眠の変化と食餌の関係を調べた。さまざまな生物において、食餌制限は老化を遅らせ、寿命を延ばすということは広く知られている。そこでマウスの餌を総摂取量の60%に抑えてみたところ、老化に伴う睡眠の不具合が改善した。また、Prdm13をノックアウトしたマウスに食餌制限するという実験を試みた。すると、ノックアウトマウスでは食餌制限しても睡眠の断片化は改善されなかった。

「食餌制限が加齢に伴う睡眠の断片化を改善化するうえで、このPrdm13という分子が大事な役割を果たしていることが分かりました。またこれらの結果から考えて、脳内視床下部のPrdm13は、老化に伴う睡眠の断片化を制御し得る分子であるとともに、食餌制限で睡眠改善するときにも重要な分子なわけですから、寿命を制御するうえでも重要な働きを持つことが予想されます」

老化や寿命の制御が、睡眠や食事といった身近なことで介入できるのであれば、私たちも生活を見直すことができるはずだ。年齢とともに睡眠の質は乱れてくるが、食事制限によって改善されるのであれば、すぐに取り入れたいものである。ただし、この実験ではマウスは60%に食餌制限したというが、我々の日々の暮らしで、食事量を60%に制限することは、なかなかハードルが高いと感じてしまう。

「6割にするというのは、かなり劇的な変化です。種差もあるでしょうし、ヒトに対してはそこまで制限することがいろいろな意味で良いかは分かりません。それに現代人はかなり過多な食事をしています。量を少し抑えるとか、適量に戻してあげるだけで、実は十分制限になるのではないかと思います」

さらに食事をする時間が重要だという。

「最近分かってきたことは、食餌制限というのは、摂取する量も大事ですが、それとともに食べる時間をきちんと管理することも、重要だということです。老齢マウスに8割程度の穏やかな食餌制限をした場合でも、餌をあげる時間をマウスの活動している夕方にすると、睡眠が改善されることが分かりました」

ヒトであれば、昔から言われているように、朝食をしっかり食べ、夕食を控えめにすることに当たるだろう。

最先端の重要な研究を行う佐藤准教授だが、もともとは漢方薬剤師を目指し、大学院までは薬学系研究科で漢方薬の研究をしてきたという。その際に、「漢方の抗老化作用」をテーマに博士論文を書いたことから、老化研究に関心を深めた。

「私は漢方薬と老化は似たようなものだと感じています。漢方薬は今でもなぜそれが効くのか分からない、科学的に証明されていないことがかなり多い。その理由の一つが、いろいろなものが混ざっているから、何がどう作用しているのか説明しきれていないからだと思います。老化も同じように、老化の根本的な原因は実はよく分かっていません。漢方薬の作用も老化のメカニズムも少なくともさまざまな因子が関わっていることは明らかになってきています。たくさんの入り混じったものの中で起こる現象をひもとくことに興味があります」

神経活動が食餌制限によって変化

学位取得後は、老化・寿命制御の世界的な研究者として知られるワシントン大学の今井眞一郎卓越教授の研究室の門をたたいた。今井教授は、アメリカ・マサチューセッツ工科大学のレオナルド・ガレンテ教授と共に老化・寿命制御する特別な酵素「サーチュイン」を発見したことで知られている。ポスドクとして留学した佐藤准教授は、そこで人生を変えるテーマに出合った。

ワシントン大学の今井眞一郎卓越教授(右から3番目)の研究室に留学(左から4番目が佐藤准教授)。

「脳のサーチュインの機能解析を研究テーマに選びました。その研究から、7種類あるサーチュインのうちSIRT1と呼ばれるタンパク質を脳でだけ増えるように遺伝子操作したマウスは、老化を遅らせることができることが明らかになりました」

当時は、線虫や酵母など単純な生物と違って、哺乳類でSIRT1が老化・寿命の延伸に重要であるかは明らかになっていなかった。しかし、この研究により、脳で特異的にSIRT1を増やすことで、マウスの中間寿命がメスでは16%、オスでは9%、オス・メス合わせると11%ほど延び、さらに最大寿命の延伸も認められたという。

「視床下部に注目したのは、食餌制限をした際の脳の変化を解析する実験を最初にしたのがきっかけです。そこで視床下部の神経活動が、食餌制限によって変化することが分かりました」

視床下部とは、食欲や睡眠、ホルモン分泌や自律神経などをコントロールする司令塔のような存在である。中でも、視床下部のDMHと呼ばれる領域が食餌制限をすると活動量が上がることを発見した。

そこから研究を進めて、DMHでのSIRT1の活性を高めることにより、老化の遅延と寿命の延伸に重要な役割を果たしていることを突き止めたという。

「私がポスドクだった20年前は、DMHは未開拓の脳領域でしたし、脳研究自体も、今井研究室では未開拓でした。実験の手がかりも手技も不足していたので、一つずつ丁寧に探りながら作って進めていきました。いろいろ大変でしたが、私自身はとても楽しかったです。今井研究室は主にマウスを用いて哺乳類の老化・寿命制御のメカニズムを解明しようとしていた研究室だったので、苦難に直面しながらも、老化の根源を解明したいという熱意を原動力に研究している同志がたくさんいたからだと思います」

4時間ごとにマウスの視床下部を採取する実験もあり、夜中に実験する日々だった。脳の組織の採り方やモデルマウスの作製、マウスの身体活動の計測・検査の仕方など、一つひとつ新しい手技や実験系を作りながら研究を進めていったという。

そうした研究の積み重ねの末に、2013年に脳の視床下部が老化・寿命制御に重要だという論文を発表。ちょうど同年に、アメリカのアルバート・アインシュタイン医科大学のグループも同様の論文を出し、視床下部の重要性が広く認識された。

「SIRT1を高発現させたマウスは寿命が延びるだけではなく、年を取っても活動量が減らないことや骨格筋の機能を正しく保っていること、そして興味深いことに、睡眠の質を正しく保っていることも明らかになりました。これらの結果から、睡眠の調整が老化・寿命の制御に重要な役割を果たしているのではないかと考えました。それが私が睡眠の研究に興味を持ったきっかけです」

この研究により、視床下部のSIRT1の機能を維持すると、デルタパワー(ノンレム睡眠時のデルタ波の割合で、睡眠の質の指標とされる)が有意に増加することが分かった。だが、そのときは睡眠調節と老化・寿命制御との関係は不明なままだった。

そこから佐藤准教授は老化・寿命制御における脳と睡眠の研究を深めていき、視床下部のPrdm13の機能を減弱させると、デルタパワーの低下が認められたことから、このPrdm13が老化・寿命と睡眠調整を結ぶ鍵になるのではないかと考え、研究を進めてきたという。

老化現象を捉える指標づくり

これまではマウスの実験結果だが、ヒトにも応用できるのではないか。現在、佐藤准教授は、東北大学加齢医学研究所とともに、愛知県にある国立長寿医療研究センター研究所にも兼任で研究室を持っている。いずれの研究室でも、ヒトを対象とした研究も進めているのだという。

「これからは老化の指標もつくっていきたいです。睡眠変化が寿命に影響するなら、私たちの健康を測る指標になるのではないかと考えています。老化・寿命を制御している司令塔が脳であるのであれば、その大本である脳自体の老化現象を捉える指標の構築も大切と考え、研究を始めています」

老化・寿命制御の研究は、病気にならないように、その前の段階で、介入することが重要となる。

「個々人の老化の状態を知ることは、生活の改善につながるのではないかと思っています。中でも、食事の調整は比較的取り入れやすいのではないでしょうか。日常生活を少し変えるだけで、老化を遅らせることができたり、寿命を延伸できるわけです。そういった私たちの生活に役立つ方法の提案をしていきたいと思っています」

さらに、佐藤准教授の原点でもある老化現象に働きかける漢方薬などについても探索を進めていけたら、と話す。これまでずっと睡眠の不具合が続いてしまっている場合は、どうなるのだろう。佐藤准教授は、睡眠の不具合は可逆的に改善できると強調する。

「老齢マウスに食餌制限をすると、睡眠の断片化が改善されました。少なくともPrdm13+神経を軸とした睡眠制御系は、年を取ってから介入しても改善できると思います。私たちが確信しているのは、年を取って崩れたものでも、整えたり元に戻したりすることができるということです」

(図版提供:佐藤亜希子)

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ヘルシスト 287号

2024年9月10日発行
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