野本教授の腸内細菌と健康のお話33 腸内細菌の培養と取り扱い

イラストレーション/小波田えま

東京農業大学生命科学部分子微生物学科
客員教授

野本康二

ルイ・パスツール(Louis Pasteur, 1822~1895年)はもともとはフランスの化学者だったが、ワインの発酵や腐敗が酵母や細菌により生じること、さらには、カイコの病気や牧場の牛の病の問題解決や狂犬病のワクチン開発など、微生物学の領域で偉大な功績を挙げるに至った。特に、さまざまな病気が微生物の感染によって引き起こされることを初めて提唱した。公開実験により、「白鳥の首フラスコ」(図)と呼ばれる特殊な器具を使って、無菌的に調製した液体培地からは生物は発生しないことを証明し、いわゆる「生物の自然発生説論争」に勝利した。このように、パスツール先生の業績は現在の病原微生物学につながる核心的なものであり、我々の生活にもとても緊密に通用している。例えば、牛乳を汚染する病原菌の中で最も熱抵抗性の強い結核菌を殺滅し、しかも牛乳の栄養や味を損なわない加熱条件として63°C・30分法を用いたが、これは現在も牛乳の「低温殺菌法」として利用されており、「パスチャライゼーション(pasteurization)」と呼ばれてい

「白鳥の首フラスコ」。パリのパスツール研究所にて。(写真:野本康二)

特定の微生物を純粋培養しようとするときに、使用する培地は「滅菌」されて無菌である必要がある。現在の最も一般的な培地の滅菌法は、湿熱滅菌法であり、121°Cで15~20分間、高圧蒸気滅菌する。この条件で、耐熱性の芽形成菌を含めた滅菌が可能である。このために使用する滅菌機器は「オートクレーブ(autoclave)」と呼ばれ、いわゆる圧力釜の構造を呈している。培地を入れる容器は、滅菌条件の高温・高圧に耐える素材で製造されており、液体培地の入った容器は、滅菌後、ある程度冷ましてからきつくをして低温保管することで無菌状態が維持される。一方で、寒天などを含む固形培地は同様のオートクレーブ滅菌後に寒天が固化しない程度に冷まし、個別の培養器となるペトリ皿に分注して、寒天を固化させてから、培養に使用するまで低温保管する。実際の培養作業では、これらの培地に目的とする微生物を「植菌」するが、このような微生物を取り扱う作業環境は、できる限り無菌に近いほうがよい。このために、安全キャビネットと呼ばれる機の作業空間に、フィルターろ過して無菌化した空気を送風して作業する(排気もエアフィルターでろ過される)。腸内細菌の一般的な培養温度は37°Cであるが、扱う微生物種の増殖に適正な温度で培養することも可能である。また、すでに本コラムでご紹介したが、極めて酸素濃度の低い下部腸管で生息している大多数の腸内細菌は嫌気性菌であり、酸素を含まない混合ガス(水素、窒素、二酸化炭素)で内部を充満した嫌気グローブボックス内で取り扱う。

  • 注)芽胞:一部の細菌は、生存や生育に不利な環境にさらされたときに、これに耐えるような特殊な構造(芽胞)を形成する。芽胞は通常の細菌と比べて極めて高温に強く、100°Cでの煮沸によっても完全に不活化することができない。芽胞を高温で完全に不活化するには、オートクレーブ処理(約2気圧の飽和水蒸気中で121°C・15分以上)、乾熱処理(180°C・30分あるいは160°C・1時間以上)などの処理が必要(https://ja.wikipedia.org/wiki/芽胞より抜粋・引用)。

以上のような腸内細菌を扱う微生物実験は、さまざまな危険性をはらんでいる。自らの長年にわたる微生物実験の中で味わった数えきれないほどの「ヒヤリハット」経験を基に、実験手技に未習熟な実験者に対しては、「高温」、「高圧」、「高速(液体培地で増殖した微生物の培養液を遠心分離機で高速回転して分離することなど)」の条件を伴う作業では安全な基本操作を徹底するよう指導している。我々の腸内に生息している大多数の菌種は、微生物の危険度を判断する指標であるバイオセーフティレベル(BSL)のうち最も安全な「レベル1」に属するものと考えるが、いずれにしろ、これらを培養によって増幅させる際には、物理的な封じ込め(拡散させないこと)が肝要である。さらに、意図しない環境中の微生物による培養の汚染の可能性が常に付きまとう。「コンタミ(汚染を意味するcontaminationの和製略語)」は微生物実験者の間で常用されている。我々の腸内細菌叢が安定している場合は良いが、外界から「コンタミ」した食中毒菌が腸内で増殖して毒素を産生したり、腸粘膜を傷つけてしまうと下痢や腸炎などの症状を招来することになる。

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ヘルシスト 279号

2023年5月10日発行
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