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ヘルシスト 298号

2026年7月10日発行
隔月刊


諸草木相互ノ関係甚ダ密接、錯雑致シ

(1867〜1941年)は、紀州和歌山が生んだ生物学者であり民俗学者で、近代日本の知の巨星として知られています。

年少から中国・明代(16世紀末)の薬学・百科全書である『本草綱目』や、江戸時代の百科図鑑『和漢三才図会』105巻の筆写にいそしみ、大学予備門(東京帝国大学の前身)を中退すると、アメリカで5年、その後英国に移って9年を過ごし、大英博物館を中心に各地の博物館、図書館で歴史、人類学、宗教学など多くの文献の書写に励んだといいます。同時に、生涯心を捉えて離さなかった粘菌などの菌類の採集にまい進。帰国後は故郷近くの田辺市に居を構え、74歳で亡くなるまで、自然と人を見つめる研究を続けたのです。

終生在野にあり、ほぼ独学であったと伝えられていますが、熊楠は、英語はもとよりフランス語、ギリシャ語、ドイツ語、スペイン語など多数の言語の読み書きに通じていました。内外の研究者とおびただしい書簡を交わして鍛え上げた成果は、科学雑誌Natureへ51篇、人文科学系の学術誌Notes and Queriesへ300篇以上を寄せた論文に残り、地球的規模で民俗の比較を試みたと評される『十二支考』などに結実しました。

生き物にも人間の文化にも多様性を認め、格差をつけない熊楠の視点には先見性を感じ、粘菌を見つめて命の循環と変化・転生へと思い至る発想には驚かされ、熊楠の思考の森は広く深く、興味は尽きません。

明治政府から神社合祀令が出され森林が伐採の危機にひんすると、標題に記したような、自然が密接に関係し合っているを説いた意見書を各方面へ送っています。日本において自然保護活動を訴えた先駆者であったことも忘れてはならないでしょう。

筋金入りの博覧強記で、研究第一の自由な生き方はさまざまな伝説に彩られていますが、目が疲れたと言ってはうなぎを食し、牛乳を飲み、類を絶やさず、鉄アレイを傍らにおいて運動もする、健康に気を遣う一面もあったと知ると、ほっとします。


今号は、熊楠が見入った粘菌というあまり耳慣れない生物を特集しています。

そもそも粘菌は単一の分類群を指す言葉ではなく、似た生態を持ちながら系統的には異なる生き物の総称です。大きく変形菌(真正粘菌)と細胞性粘菌の2つに分けられ、どちらも土壌や腐葉土に生息し、細菌などを食べるアメーバとして生活する時期を持ちます。動物でも植物でも菌類でもなく、現在は真核生物の主要なグループ「アメーボゾア」に分類され、「菌」とあるのはかつて菌類とされた名残です。

脳も神経系も持たないにもかかわらず、粘菌には驚くべき能力が備わっていることが明らかになってきました。変形菌は迷路を最短経路で解いて大都市の鉄道網に酷似したネットワークを形成し、自己と非自己を区別する「自他認識」の仕組みまで備えています。細胞性粘菌は、同じ生息域の自活性線虫を胞子の運び屋として誘引する一方、地中深くに潜むネコブセンチュウは忌避させるという巧妙なコミュニケーションを展開していることも分かってきました。

なぜ、脳も神経系も持たない生き物が最適解を導き、自他を識別し、敵・味方を嗅ぎ分けられるのか——この問いの先には、「知性とは何か、生物にとって自己とは何か」という生命の根本を問う命題が存在します。粘菌は謎を解く鍵として今、科学の最前線に立っています。

100年以上前、熊楠はすでにこの不思議な生き物に生命の真理を見いだしていました。粘菌は一夜にして動物的な変形体から植物的な子実体へと変身します。動物でも植物でも菌類でもない、あらゆる境界を超えた存在に、熊楠は生命の精妙さと不可思議さを感じたのです。生涯をかけて研究を続け、自宅の柿の木で未知の変形菌の新属を発見。その属名には「ミナカテラ」という名が刻まれ、熊楠はやがて「粘菌学の父」と呼ばれるようになります。時代を超えて人をきつける粘菌の不思議な魅力は尽きません。

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