特集 予防医学の現在地 個別化予防・医療を目指すゲノム医療

構成/渡辺由子

ゲノム医療は、遺伝的素因と環境因子の相互作用を網羅的に解析する研究を通じて得られた知見を活用することで、疾患感受性、薬剤応答性、副作用リスクなどを個人レベルで予測し、個別化予防・医療の実現を目指す。バイオバンク・ジャパンは27万人規模の生体試料とオミックスデータを基盤に、アルコール代謝関連遺伝子(ADH1B・ALDH2)の多型と喫煙・飲酒が複合した場合の食道がん発症リスクが健常者比約190倍に達することを解明。社会実装に向けた取り組みが続く。

東京大学医科学研究所 バイオバンク・ジャパン代表

松田浩一(まつだ・こういち)

1994年、東京大学医学部医学科卒業後、同学部附属病院整形外科入局。2003年、アメリカ・ベイラー医科大学博士研究員。同年、東京大学大学院医学系研究科修了(医学博士)。2004年、同大医科学研究所ヒトゲノム解析センター助手、准教授を経て、2015年から同大大学院新領域創成科学研究科クリニカルシークエンス分野教授。2022年からヒトゲノム解析センター特任教授併任。2023年から現職。

病気を発症するには、大きく2つの要素があり、生まれつき決まっている遺伝的な素因と、生まれた後にどのように生活をしてきたかという環境因子があります。例えば、遺伝子の情報だけで100%発症する病気などは予防できませんが、ちまたのほとんどの病気はいわゆる多因子疾患といわれ、遺伝的な素因と環境因子がそれぞれ相互に作用して発症することが分かっています。

遺伝情報を詳細に調べて医療に生かす「ゲノム医療」は、病気になりやすいか、なぜその病気を発症したのか、薬が効くか、副作用が強く出るかなどを読み解き、一人ひとりに適した医療を提供する、個別化医療につなげることができると考えられ、研究が進んでいます。

約27万人の患者に関する臨床情報

「バイオバンク・ジャパン(BBJ)」は、2003年に文部科学省の委託事業として、東京大学医科学研究所内に発足しました。全国の協力医療機関約60カ所を通じて、約27万人の患者からDNA試料・血清試料などの生体試料と、関連する臨床情報をご提供いただき、体系的に保管された貯蔵庫として、バイオバンクを構築。病気のリスクに関わるゲノム研究を、世界に先駆けて行ってきました(図1)。

図1 DNA保管庫室温4℃の環境下で、約27万人分のDNAを入れたチューブ約80万本を保管。すべての試料は匿名化し、二次元バーコードで厳重に管理。

病気の成り立ちの解明や、生活習慣や遺伝情報がどのような病気の発症リスクになるかを調べるには、病気になった方の情報をたくさん集める必要があります。BBJでは医学的に重要性が高い51種類の病気を対象に、協力医療機関で標準的な治療を受けている方にご協力いただきました。病気の種類は、糖尿病、大腸がんや乳がんをはじめとするがん、心筋梗塞や狭心症、C型肝炎、B型肝炎、慢性関節リウマチ、アトピー性皮膚炎といったよく知られた病気から、筋萎縮性側索硬化症(ALS)といった神経変性疾患まで取り上げています。

提供された生体試料や臨床情報、ゲノム解析で得られたデータから、病気になりやすい遺伝的な素因や環境因子を調べてデータベースを作ります。そのデータを研究者に提供して、病気の発症の解明、予防医療、創薬といった分野が進展し、将来の個別化医療へとつなげることを目指しています。

国内のバイオバンクは、大学や研究機関などに多数設立されていますが、日本の三大バイオバンクは、「東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)」「ナショナルセンター・バイオバンクネットワーク(NCBN)」とBBJで、それぞれの特徴を生かして活動しています。BBJがいわゆる「よくある病気」の患者を対象としたバイオバンクであるのに対して、ToMMoは、東日本大震災後に設立され、震災で被災した一般の地域住民を対象に、その後どのような健康状態だったか、どのような病気のリスクが増えているかなどを調べるために構築されました。NCBNは、国立がん研究センター、国立精神・神経医療研究センター、国立循環器病研究センターなど、国内6つの国立高度専門医療研究センターが、「新たな医の創造」に向けて、個々の疾患専門性を尊重しつつ、ネットワーク型・連邦型の組織形態で運営するバイオバンクです。難病やがんを中心に、高度先進医療を受けている方を対象に情報を収集。三大バイオバンクを中心に、国内のバイオバンクが連携して研究を進めています。

ゲノムデータや生体分子を網羅的に解析

BBJで収集した生体試料や遺伝情報等は、公的な研究資源ですので、国内のさまざまな研究者にこれらのデータを使って医学・医療に貢献してもらうことが現在の大きな目標です。設立当初は、収集したDNAや血清試料自体を提供することがほとんどだったのですが、生体試料は使えば使うほど減ってしまいます。そこで、DNAが持つ塩基配列や血清中のタンパク質、代謝物などの解析を実施し、ゲノムデータや生体分子を網羅的に解析したオミックスデータとして提供しています。

データ化により、ユーザー(研究者)側は生体試料の解析費用を抑えられ、解析時間の短縮などが可能となります。実際に、現在のユーザーの9割以上がデータ利用に移行しています。生の検体を集めて提供する「バイオバンク」から、さまざまな分野の研究者に活用される「データバンク」へとデータ基盤強化を図っています。

設立から23年が経過したBBJでも、収集したデータを基に、糖尿病や心筋梗塞や大腸がんのリスク遺伝子を発見するなど、さまざまな研究成果を発信しています。私は2023年からBBJの代表を務めていますが、ユーザーの一人でもあり、研究成果も発表しています。その一つが、食道がんの発症リスクになる遺伝子についてです。

ヒトゲノムは塩基対が約30億あり、300カ所に1カ所くらいの割合で、遺伝子が変化している「一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism:SNP)」と呼ばれる箇所があります。個性や身体的特徴の違いと同様に、体内で作られるタンパク質の活性が変化したり、遺伝子が働かなかったり、体を維持する機能にも違いが現れます(図2)。

図2 病気と関わるSNPの見つけ方4種類の塩基で構成されるDNAの遺伝情報。1つの塩基が異なるSNPを調べることで、薬の副作用や病気の予測が可能に。病気の原因が解明されれば、新たな薬剤や治療法の開発が期待できる。

研究では、食道がんの人とがんにかかっていない人のSNPの頻度を比較し、別の集団でも確認したところ、1B型アルコール脱水素酵素(ADH1B)と2型アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH2)の2つの遺伝子領域で、食道がん発症の強い関与を確認しました。ADH1BとALDH2は、アルコールの代謝に関わる酵素の遺伝子ですが、SNPの型によって、発症リスクが高いタイプと低いタイプでは4倍くらいの差があることを突き止めました。また、ADH1BとALDH2の多型という2つの遺伝的な素因を持っている方が、環境因子である喫煙と飲酒を続けていた場合、1つもリスク因子を持たない方に比べて、食道がんの発症リスクが約190倍も高くなることが分かりました(図3)。

図3 食道がんと4つの危険因子食道がんの発症リスクに関連する2つの遺伝子領域の同定に成功。これらに加えて、がん化のリスクを高める飲酒と喫煙を行っている場合、すべてを持たない人に比べて約190倍リスクが増すことが分かった。

ADH1BとALDH2のリスクタイプはそれぞれ日本の人口の10%、40%程度ですが、あらかじめ自分の病気のリスクを知り生活習慣を改善することで、食道がんの発症リスクを下げることができます。少なくとも「食道がんのリスクが非常に高いタイプだ」と知りながら、むやみに喫煙や飲酒をする人はあまりいないと思うので、自分の生まれ持っているリスクを知っておくことは、病気の予防の観点からも非常に重要です。

今後は、血液の試料から病気のバイオマーカーを発見したいと考えています。タンパク質や代謝物を測定することで、遺伝子の変異により、タンパク質はどのように変化するかといったメカニズムを解明する研究も進んでおり、そこから病気のバイオマーカー検査が開発されています。病気の発症前の段階から、バイオマーカーによるリスク予測に注目しており、早期診断や発症前予測といった病気の予防へつなげたいと考えています。

社会実装を想定した制度作りが必要

病気になった人は医療機関を受診しますが、病気のリスクが高いだけで症状がない人は受診する機会が少ないため、病気の予防は治療に比べると、医療の中で取り組むにはより多くの課題があります。遺伝情報による予防の情報をどのように活用すべきか、これから適切なモデルを考えていく必要があります。

病気の種類は非常にたくさんあり、病気によって関係する遺伝子も異なります。すべての病気、すべての遺伝子を対象にリスク予測や予防を実施するというのは、現実的ではありません。また、健康な人に「あなたは認知症のリスクが高いですよ」と知らせてよいかといった倫理面から、遺伝子検査の費用をどこが負担するかといった経済面まで、さまざまな課題を抱えています。

経済面では、検査費用の負担先を社員の健康管理に活用するとして企業に求めるのも一案です。企業として健康管理上のメリットがあるなら、遺伝子検査のコストが1万円だったとしても、それで重篤な病気のリスクが1割減らせるならトータルの医療費は下がり、社員の健康管理上も有益になります。病気は治療費だけでなく、入院・通院・自宅療養中は仕事ができないといった社会的な損失も大きいので、企業単位で見るとメリットは大きいと考えています。負担先について、社会実装を想定した制度づくりが必要です。

制度を考えるのは、私たち研究者の範疇を超えていますが、私たちにはまず前向きの観察研究によりリスク予測システムが有効かどうかを検証し、次に介入により予防効果が見られるかを検証することが求められます。例えば喫煙は肺がんのリスクが高いことは理解できても、「禁煙したら、その遺伝子型の人でどれくらい発症を減らせるか」の確かなエビデンスがないと信頼性が低くなります。また喫煙している方は一般的に飲酒の機会も多いため、環境因子間の相互作用も生じます。このような状況下にて予防効果を示すには、大勢の方を対象とした長期間の観察が必須であり、介入の効果を実証するのは、大きな困難を伴います。

倫理面についても課題があります。ゲノム医療を社会実装するうえで、その情報で就職や結婚、生命保険の加入など、さまざまな場面で差別につなげないようにすることは非常に重要です。遺伝情報を適切な予防や早期発見、早期治療につなげる体制が、今後進んでいくことが望まれます。このような数々の困難を乗り越えて初めて、社会実装に向けた導入の方法やコストの負担などについての議論が進むと考えています。

病気や遺伝情報については、地域差もあるので、アジア人集団を対象にした研究が必要となりますが、日本はアジアのトップランナーとしてこれまでゲノム研究に貢献してきました。特に2015年ぐらいまでは、日本は先陣を切っていましたが、解析機器の開発が遅れたことが残念でした。基盤となる技術や特許、解析機器を有している国では解析コストを抑えられ、国際的な競争力も高くなります。現在、中国の勢いはすさまじく、自国で遺伝子配列を解析する機器のシーケンサーを開発し、それを使って100万人規模の解析を進めており、日本は中国に後れを取っている状況にあります。また、シーケンサーはすべて海外製のため、今は研究をすればするほど、海外にお金が流れる仕組みになっているのが残念です。

また、ゲノム研究の分野に限らず、研究者を目指す若者が少なく、人材が乏しいことも問題です。大学院でも海外からの留学生比率が増加しており、それは決して悪いことではありませんが、日本で生まれ育った研究者にゲノム研究の分野で活躍してほしいという気持ちもあります。

判定内容にどの程度の信頼性があるか

最近のニュースで、ある国のバイオバンクデータがインターネット上で売られていたという事件がありました。こういった事件があると、ゲノム研究に対して悪い印象が植え付けられることが懸念されます。遺伝情報を研究に生かすのは重要ですが、同じくらい重要なのは「遺伝情報を提供してくださった方のプライバシーをいかに守るか」です。現在、BBJが遺伝情報を提供するには、「試料等利用審査会」での審査を経なければならず、基本的に国内の研究者のみに限定しています。海外へのデータ流出を含め不適切な利用により協力いただいた方に迷惑がかからないよう、細心の注意を払って運営しています。

近年は、「ゲノム」や「遺伝子」といった最先端の医療を想起させるものに注目度の高まりを実感しています。インターネットで検索すれば、唾液などの生体試料を容器で送ると、病気の発症リスクについて数週間程度で結果が分かる遺伝子検査が数多く見つかります。しかしながら、これらの判定内容にどの程度の信頼性があるのかは分かりません。前述したような食道がんとSNPの関係については、BBJで報告した結果が、海外を含め多くの集団で検証されています。このような過程を経て、ようやく広く一般の人に使える情報になります。他のバイオバンクと連携して信頼性の高い研究成果を発信することは、ゲノム医療や健康向上に貢献する、日本のバイオバンクの大きなミッションです。

BBJとしては、10年後の医療を考えたとき、自分がどのような病気になるのか、発症リスクを踏まえてどのように予防するのか、そのときにどのような社会(医療体制)であってほしいかを考えながら、エビデンスを積み上げていく必要があります。遺伝情報を基に、発症リスクを知ることは重要で、リスクが高ければ、例えば2年に1回内視鏡検査を受けるといった、早期発見・早期診断・早期治療へ確実につなぎ、重症化させないうちに治すということが実現可能だと考えています。

BBJは、もともと「オーダーメイド医療実現化プロジェクト」として、遺伝情報を用いた医療の最適化を目標にスタートしました。しかし、生体試料やカルテなどの情報をご提供いただいた約27万人の参加者に対して、今まで個別の遺伝情報を返すことができていません。現在、参加者と情報をやり取りできるシステム構築などにも取り組んでいます。健康調査の実施に加え、参加者の生体試料がどのような研究に使われたかという情報を提供するところからスタートしていますが、今年度中に、血液データから「あなたは糖尿病や心血管疾患のリスクが高い」といった情報をお返ししたいと考えています(図4)。

図4 血清保管庫1台に血清を入れた5万7600本のチューブを収納可能な液体窒素タンクを58台収容している。タンク内は−150℃に保たれている。

さらに、倫理面の課題のクリアが必要ですが、近い将来に遺伝情報の返却についても進めていく予定です。

BBJの貴重な財産がより多くの方に利用されることで、ゲノム研究に貢献できるように、そして、有効かつ安全なゲノム医療の実現に向け、スピード感をもって取り組んでいきます。

(図版提供:松田浩一)

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