けふの行程二里を超ゆるか
2025年は柳田國男(1875〜1962年)の生誕150周年で、各地で行われている記念イベントを目にした人も少なくないでしょう。
柳田は日本民俗学の創始者といわれ、河童や座敷わらしの話で知られる『遠野物語』をはじめ、民話や伝承、祭祀や信仰、国語や方言、芸能史、生活・風俗史ほか多方面から「日本人とはなにか」を探究、日本文化史の礎を築きました。
もともと森鷗外や田山花袋らと親交を持つ文学青年だった柳田は、幼い頃経験した飢饉の惨状を胸に大学で農政学を学び、卒業後は農産物を増加させ、国民の幸福を増進させることを理想に農商務省の官僚となります。しかし、旧来の生産政策や保護政策では農民生活の根本的な改良を図れないとし、日本の農業が資本主義経済に適応できていないところから問題が生じており、農民を市場経済の経営主体として自立させるべき、と考える柳田が発する数々の提案は、当時の農政界では進歩的すぎて受け入れられなかったといいます。柳田は講演や視察で日本各地を訪れる機会が増えるにつけ、彼が「常民」と呼ぶ、ごく一般の、普通の人々の暮らしに目を向けた歴史や文化の研究こそが、今起きている問題に応えるために必要だ、という思いを強くしていったのです。
この新たな学問の研究、出版活動に精力を傾けた柳田は44歳で官僚を辞し、膨大な文献と日本全国に出掛け聞き取ったという実地踏査に基づいて、現状を把握し、時間を遡って原因を考え、それを未来の策への提言とする、百三十冊余りに及ぶ著作を残しました。
この調査で全国をくまなく歩き回ったことで、柳田は歩く楽しさに目覚めたのでしょうか。戦時中の毎日を記した『炭焼日記』には表題に掲げた一節のように、たびたび長い散歩が記録されています。それが功を奏したのか、子どもの頃は体が弱く進学にも回り道をした柳田は、亡くなる前年の86歳に日本人の起源を論じた『海上の道』を上梓、健筆をふるっています。
気候変動、農業従事者の高齢化、人口減少の加速、不安定な国際情勢など、日本の農業を取り巻く環境は今、急速に変わりつつあります。そのような状況を背景に、農政の基盤となる「食料・農業・農村基本法」が2024年、大幅に改正されました。「食料の安定供給」から「食料安全保障」という言葉に置き換えられたことから、今回の改正は、環境変化の中で日本がどう食料を確保していくかという、食料安全保障が大きなテーマになったといえます。
1960年代、日本の食料自給率は約80%でした。現在は、消費される食料の約4割が国内生産で賄われ、残り6割は輸入に頼らざるを得ない状況に陥っており、海外からの安定的な輸入は必須で、加えて国内生産量のさらなる向上が求められているといいます(巻頭インタビュー)。しかし前述したような多様な課題の解決は一朝一夕にはいかず、食料安全保障の前にはいくつものハードルが存在していることは確かです。
一方、スマート農業技術活用促進法が基本法改正に合わせて制定され、持続可能な農業システムの構築が重要な柱として位置づけられました。しかし現段階では普及が思うように進んでいないのが実情です。期待と現実のギャップを埋めるには技術開発だけでなく、社会システム全体の変革が求められます。スマート農業の導入は避けては通れない道なのです。
日本の農業は家族経営と共同体を基盤とし、長い歴史を通じて培われた高度な技術によって高品質な農産物を生産してきました。蓄積してきた日本固有の農業の強みとスマート農業の最新技術が融合できれば、持続可能で競争力のある農業へ転換する可能性があるのではないでしょうか。
1900年に農商務省に入省した柳田國男が提唱した近代的な農業政策は100年余りを経た現在、実現に向けようやく一歩を踏み出したと言えるでしょう。





