特集 脳と体と心 〈巻頭インタビュー〉
心身の健康と関連するニューロンの新生

構成/飯塚りえ

ニューロンは長年、発生期以降は脳内で作られないとされてきた。しかし2000年代になりニューロンは新生することがわかった。その後、PTSDなど心の病との関わりを探る研究も増え、ニューロンの新生と心身の密接な関連性が解明されつつある。つまり体の健康がニューロン新生に大きく影響しているともいえ、認知症への希望の光となるかもしれない。適度な運動、食事、睡眠、リラックスはやはり大切だ。

東北大学大学院医学系研究科発生発達神経科学分野教授

大隅典子(おおすみ・のりこ)

1985年、東京医科歯科大学歯学部卒業。1989年、同大学大学院歯学研究科博士課程修了。1996年、国立精神・神経センター神経研究所診断研究部室長、1998年、東北大学大学院医学系研究科器官構築学分野教授などを経て、2010年、同大同研究科附属創生応用医学研究センター脳神経科学コアセンター長、2018年から同大副学長、附属図書館長。日本分子生物学会理事長、日本神経科学学会副会長など歴任。著書に『脳からみた自閉症「障害」と「個性」のあいだ』(講談社ブルーバックス)など。

ヒトは、たった1個の受精卵から生まれ、成人するまでにおよそ37兆も細胞を作ります。そのうち脳の細胞は800億から1000億個ほどといわれています。脳を構成する細胞は、大きく分けて、神経伝達を担うニューロン(神経細胞)と、それを取り巻くグリア系の細胞の2つに分かれます。

ニューロンは、神経幹細胞から分裂して産生します。神経幹細胞は、胎児期に脳が形成されるごく初期の段階に大量に産生されます。次にこの神経幹細胞が分裂して、一つはまた神経幹細胞に、もう一つはニューロンになります。一通りニューロンができると、グリア細胞が生まれてくるというのが、現在解明されている大脳の発生順序です。脳内には多様な種類の細胞があり、それぞれ重要な役割を担います。そのうち情報伝達を行う細胞がニューロンです。

海馬などでニューロンが新生している

いまだに「ヒトの脳は3歳程度でできあがる」という「3歳児神話」が根強いことからもわかるように、長く、「ニューロンは発生期以降、脳内では作られない」とされてきました。これは、スペインの神経解剖学者、サンティアゴ・ラモン・イ・カハールが1926年の論文で示した説です。確かにニューロンは年齢に従って基本的に減少します。しかし2000年代になり、生後の脳のニューロン新生に注目が集まってきました。

最初にこれを発見したのは、アメリカのジョセフ・アルトマンらのグループでした。1960年代、彼らはラットの研究によって、海馬や嗅球(嗅覚情報処理に関わる脳の部位)においてニューロンが新生していることを突き止めたのです。しかしその当時、「ラットのような下等動物では起こり得るかもしれないが、ヒトではあり得ない」という“常識”が支配的でした。現代の神経科学の基盤を築いたとされる権威、カハールに遠慮した側面もあるのかもしれませんが、ニューロン新生の発表当時、このアルトマンの研究が顧みられることはありませんでした。

1980年代半ば、鳴禽(よくさえずり鳴く鳥)のニューロン新生に関する研究が、この状況に一石を投じることとなります。

鳴禽の中には、繁殖シーズンのたびに新しい歌を覚える種類がいますが、アメリカ・ロックフェラー大学のフェルナンド・ノッテボームらは、それらの鳴禽で歌学習に関連する脳の部位にニューロンが新生していることを明らかにしたのです。そこでようやく、アルトマンのニューロン新生と学習に関しての研究に光が当たることとなりました。

1990年代終わりごろ、最終的にはヒトにおけるニューロン新生の証拠が見つかりました。がん患者のボランティアの方に協力いただき、インフォームドコンセントを得た上で、新たに生まれた細胞に標識が入るような注射を打って、亡くなった際に脳を調べました。その結果、脳に新たに生まれた細胞が存在することがわかったのです。

その後の研究によって、ヒトの場合ニューロンが新生するのは、脳の海馬という部位と基底核の線条体という部位で起こることが見つかりました。海馬は、記憶や認知に関わる脳の領域として知られ、ニューロン新生は大きな注目を集めたのです(図1)。

図1 海馬の萎縮の様子左が健常者。アルツハイマー病患者(右)では海馬の萎縮が認められ、ニューロンが減少する(矢印)。逆に言えばニューロンが新生することは認知症などの患者にとって大きな希望となる。

ラットの実験では、新しい学習をするときに海馬の中に“新鮮な”ニューロンがあることが新しい神経回路の構築に作用し、記憶が促進されることがわかりました。逆にニューロンの新生がない場合、学習タスクの達成(記憶)が難しくなったり、運動能力が劣ったりします。成長や加齢に伴い、新生ニューロンの数は減少します(図2)。

図2 ラットの月齢と海馬における新生ニューロン数ラットの成長・加齢とともに新生ニューロン数は減少する。

ニューロン新生は心の病とも関連がある

セミのような、羽化して地上に出てきたら、よく鳴いてメスに存在を知らせ、繁殖をして一生を終えるという生物であれば、生活しながら学習をする必要は少なく、生存競争を生き抜くにはプリインストールされている神経プログラムで十分かもしれません。しかし、寿命が長くなってくるとそれでは対応しきれなくなるはずです。ヒトのような長寿の生き物にとっては、3歳までの学習では到底及ばず、環境の変化に応じて、新しいことを学習する必要があります。新たに記憶するために、ニューロンの新生が重要なのです。

ニューロンの新生は、記憶や学習に関連しているだけでなく、ニューロン新生が減ることと、統合失調症、双極性障害、心的外傷後ストレス障害(PTSD:Post Traumatic Stress Disorder)といった心の病と関連があることも、その後の多くの研究からわかってきました。

アルトマンも、最初にニューロン新生の研究を発表した後、ラットにとって「良い環境」、つまりケージが広く大好きな回し車で思い切り遊べるというストレスのない環境がニューロン新生にどのような影響があるかを調べていましたが、その後の研究者によって、ストレスとニューロン新生に関連があることが明らかになっています。

ラットに実験的に強いストレスを与えると、ケージの隅でうずくまって動かなくなるといった“うつ状態”を示すようになります。そのとき、ニューロン新生が下がっているというのです。次にそのラットに抗うつ剤を投与すると、“うつ症状”が消えて、それと同時に海馬の中で新たなニューロンが生まれることもわかっています。2009年には、井ノ口馨教授(現・富山大学)らがニューロン新生とPTSDとの関連を示唆する論文を発表しました。

海馬は、げっ歯類では数日から1カ月程度(ヒトでは数週間から数カ月)短期記憶を保管する場所ですが、ニューロンが新生すると、海馬におけるそれまでの細胞同士の接続が不安定になり、古い記憶が薄れていくというのです。一方でニューロンの新生が減ると、古い記憶が海馬から消えず残ります。記憶は、一定期間海馬に保管された後、脳の特定の場所に保管されて長期記憶となるのですが、これが適切に行われなくなることがPTSDの要因ではないか、というのです。

ニューロン新生は、強いストレスに加え、前述のように加齢でも減少します。認知症の症状には「お財布をどこにしまったか思い出せない」「自宅までの帰り道がわからなくなった」といった時間的・空間的記憶の衰えがあり、こうした症状が気分を落ち込ませる可能性があります。しかし、脳の中のニューロン新生が落ちることそれ自体が、“うつ”のような抑圧された症状を引き起こす要因でもあるのです。

脳の細胞も日々代謝している

目に見えない「心」はどこにあるのか。これは難しい問題ですが、私は生物学の研究者として、無意識のレベルも含めて「心は脳がつくり出す」という立場です。

私は、神経幹細胞からニューロンが発生し、新しい回路に組み込まれていくという数週間から数カ月、さらに脳の発生や進化といった長い時間軸を興味の対象としており、脳を有機的なものとして捉えています。ニューロン新生の例のように、脳が“固定されていない”ことも、大事なポイントです。

先述したようにニューロンは、ヒトの寿命の長期間にわたって新生しています。またニューロンの細胞膜をつくる成分であるリン脂質も、日常的に入れ替わっています。細胞をレンガ造りの家にたとえると、その形は維持されているものの、日々、古くなったレンガを取り替えるメンテナンスが行われているようなものです。体の他の部位と同じように脳の中でも細胞は日々、代謝しています。つまり、変化しているのです。

一方、例えば脳をコンピュータになぞらえて、脳を比較的無機的に捉えた研究も盛んです。脳の働きを、“コンピュータ”上で動かすプログラムとして考えたり、シナプスなど情報伝達に注目したりするものです。脳内の電気信号が伝達された瞬間の様子などを見て取ることもできるので、特定の領域に刺激を与えて気分を変化させることすらできるようになりました。“スイッチ”を押すと想定した反応を引き出せるということから、さまざまな疾患に対する治療が検討されるなど、脳の機能に注目した研究は特に盛んになっています。

ただ誤解がないようにしたいのは、心の在り方に影響しているのは脳だけではないということです。自律神経系の働きによって心拍数が上がったり下がったり、唾液の分泌が増えたり減ったり、腸の動きが過敏になったり鈍感になったりします。そうした反応が心をつくる下敷きになっていることもあると思います。肌に温かい手が触れれば、感覚神経から信号が伝わり、脳の何らかのレベルが変わり、「心地よい」という反応が引き出されていることも十分に想定できるわけです。

マッサージが気持ちいいとか、温かいお布団がこの上なく幸せだとか、猫が膝に座ったら癒やされるとか、身体的な要因が、心の在り方を大きく左右していることもあるでしょう。

皆で体を動かしているうちに、波長が合って動きが同調していくというようなこともあります。バリ島のケチャダンスなどがわかりやすい例かと思いますが、一定のリズムの音楽を聴き、体を動かしていると、皆の呼吸が同調してくる、それが集団の心に変化をもたらすといった現象もあると思います。

脳と体と心は緊密につながっていて不可分であり、脳だけを理解しても心を理解したことにはならないだろうと思います。

ニューロン新生を軸に脳と体と心について述べてきました。ニューロンの新生は、心と体の健康を保つ上で欠かせない要素ですが、幸いにも「ニューロン新生に必ず効果がある」とわかっていることがあります。それは運動です。アルトマンの時代から、ニューロン新生を阻害すると、軽度の運動失調や空間学習を測定する課題である水迷路の成績が下がることがまとめられていましたが、続く世界の研究者によって、運動がニューロン新生を向上させることが明らかになっています。

2011年に行われた調査ですが、アメリカ・ピッツバーグ大学などの研究チームは、認知症がなく座りがちな生活の55~80歳の男女120人を対象に、有酸素運動(ウォーキング)を1日40分、週3日行う群とストレッチのみを行う群に分けて、その後の海馬の様子を調べました。

すると、有酸素運動をした群では海馬の容積が左側は2.12%、右側は1.97%増加しました。対してストレッチ群は左側が1.40%、右側が1.43%減少していたことを報告しています(図3)。

図3 運動によるニューロン新生左右の海馬において、有酸素運動群(青線)の海馬の体積の増加とストレッチ群(赤線)の体積の減少を示すグラフ。継続期間に比例して体積も増加する。

加齢に伴って脳が萎縮することは観察されているのですが、海馬に着目すれば、運動が萎縮の度合いに影響するというエビデンスがあるということです。機序はまだ完全には明らかになっていませんが、私は、運動によって血流が良くなることと関連があると見ています。

脳の健康に欠かせないもの

食事もまた、ニューロンの“健康”に寄与します。私たちの研究で、アラキドン酸という脂肪酸がニューロンの新生を助けることがわかってきました。栄養に関しては、この食材が最適とか、このバランスの食事がパーフェクトなどというのはありませんが、食事が単調になったり栄養素に偏りがあるのは好ましくないことは確かです。ただ、地中海食や伝統的な和食など、長寿を助けるというエビデンスのあるものについては、恐らく脳にとっても良いはずです。

そして睡眠です。加齢によって睡眠が浅くなるといわれますが、これもニューロン新生との関連が指摘されています。睡眠は、体を休めるという意味だけでなく、脳に留まる記憶の取捨選択、整理をする役割があります。残すべき記憶と捨てるべき記憶を整理し、残すべき記憶を強化し、不要な記憶を消すのです。不要な記憶は、時に不健康につながることがあります。震災などの辛い記憶を何度も思い出すこと自体がPTSDなどの心の病を引き起こすので、適度に忘れる必要があるのです。健康的に暮らすために良いこととされている適度な運動、食事、睡眠は、脳の健康にとっても欠かせないのです。

今後、取り組みたいと考えているのは脳の病気における性差です。「うつは女性のほうが多い」「自閉症は男子が多い」といった違いが知られているのですが、現在、これらの心の病は発生段階における遺伝子のちょっとした“ボタンの掛け違い”のようなものが原因ではないかと理解されています。その先にはいわゆる「男性脳」「女性脳」ではなく、「地図の読める脳と地図の読めない脳はどう違うのか」「性自認の違いは脳の発生過程でどのように生まれるのか」という問いも立てることができます。こうしたさまざまなアプローチが心の解明にもつながっていくと考えています。

(図版提供:大隅典子)

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2021年11月10日発行
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