特集 ウィズコロナのストレス対処自律神経に影響する匂い 「好み」の匂いでリラックス

構成/渡辺由子

得体の知れないものに接すると誰もが恐れ、おびえる。生活や健康に悪影響を及ぼすとなると、さらなる不安を抱くようになる―私たちは今、このようなストレス連鎖にさらされているのではないか。負の連鎖に陥らないためには、適切なストレス・コーピング(ストレス対処法)が有用な手段で、なかでも心地よい匂いは脳に作用し、自律神経系を整える。匂いを上手に活用するのは、手軽なストレス・コーピングだという。

杏林大学名誉教授

古賀良彦(こが・よしひこ)

1971年、慶應義塾大学医学部卒業後、同学部精神神経科学教室入室。1976年、杏林大学医学部精神神経科学教室に転じ、1990年に同大助教授、1995年に同大教授就任。2016年から現職。脳波や光トポグラフィなどの脳機能画像による生理学的研究の先駆者。日本催眠学会名誉理事長、日本薬物脳波学会副理事長、日本臨床神経生理学会名誉会員。食品や香り、ぬり絵などによる健康の維持・促進についても造詣が深い。

長年、精神医療に携わり、脳の健康やストレスの心身への影響について研究してきた専門医として、新型コロナウイルス感染症によるストレスは、従来の概念だけでは説明しづらい特異性の高いタイプとみています。「コロナうつ」などという言葉が生まれましたが、パンデミックにより多くの人に現れている不安症状は、「うつ病」とは異なります。

私は、新型コロナウイルス感染症で生じたストレスが、心身に与える影響や不安症状、それによって起こる生活上の問題や変化を、「パンデミックブルー」と呼んでおり、パンデミックブルーの一症状として「抑うつ状態」が現れることがあります。しかし、現在の人々の健康や生活を脅かしている不安症状は、人によってさまざまな形で現れる個別性の高さと、それが新たなストレスを生む、いわゆる負の連鎖のリスクにもなる多様さや複雑さを持っていると考えています。

ストレスに「3つのRの実践」

その第一の理由は、精神医療の分野では、「不安は背後から襲う」と例えますが、新型コロナウイルスのような「実態の分からないもの」の存在は、恐れやおびえを与えるストレスとなり、強い不安として現れます。その不安は、不眠やイライラの原因となり、家族に当たったり、他人に暴言を吐くなど、人間関係、対人関係を損ねることもあれば、食事や睡眠を疎かにしたり、飲酒や喫煙が増えたりして、健康の土台が崩れることもあります。これらは別々の問題ではなく、つながりのある問題で、誰にでも起こりうるパンデミックブルーの一部なのです。

しかし、不安とそれによるストレスの根源は、新型コロナウイルス感染症であることは明白です。多くの人が抱えている現在のストレスの特異性を理解して、暮らしの中で上手にストレス・コーピングを行うことで、一過性の現象として負の連鎖に陥らずに済むことが期待できます。また、この逆境で獲得したそれぞれのストレス・コーピングは、暮らしに良い変化を与え、新たな日常として定着できると考えています。

ストレス・コーピングの鉄則に、「3つのRの実践」があります。

私は、「Rest(休息、睡眠)」「Relaxation(くつろぐ、心身の安らぎ)」「Recreation(娯楽、楽しみ)、Re-creation(再創造、脳の活性化)」と捉え、3つのRで応用しやすい「匂い」に注目してきました。精神医療において、心地よい匂いはストレス・コーピングの有用な手段であることが、長年の診療経験からも分かっています。そこで、匂いを広く活用していくために、脳の働きとの関係についてさまざまな研究からエビデンスを示してきました(図1)。

図1 悪臭とストレスたばこの匂いが漂う前(0分)は、後頭部で鎮静効果を示すα波が増加していた。しかし、たばこを自分で吸わなくても、匂いが漂ってくるだけでα波が減少することが示された。

動物にとって、匂いを嗅ぐ、匂いを感知する嗅覚は、生存する上で外部の対象を識別・検知する手段として発達してきました。食べ物の匂いを嗅ぎ、食べられる物か食べてはいけない物かを識別する働きや、あるいは、近づいてくる敵かもしれない動物を、相手の姿が見える前に、あるいは相手が発する音が聞こえてくる前に検知する働きを持っています。

嗅覚をはじめ、視覚、聴覚、味覚、触覚の五感は、脳でコントロールされています。視覚や聴覚から得た情報は、情報を管理する大脳新皮質に伝わります。大脳新皮質は、脳の中でも比較的、後から発達した部位です。一方の嗅覚は、記憶をつかさどる海馬や、喜怒哀楽などの情動をつかさどる扁桃体などがある大脳辺縁系に直接伝わってから、情報が大脳新皮質で集約されます。大脳辺縁系は大脳の深部にあり、脳の発達において古い部位の一つで、そのため、嗅覚は原始的な感覚といわれています。ある匂いを嗅ぐと、それにまつわる過去の記憶が一気によみがえった経験をしたことのある人は少なくありませんが、これは「プルースト効果」と呼ばれる現象で、匂いは記憶と情動に直接訴えかけるものであることが分かります。

自律神経系を整える作用がある

さらに、外部から受けるストレスは、大脳辺縁系を経て視床下部へ送られ、生体のホメオスタシス(恒常性)を保つ働きをする自律神経系や内分泌系などに対して、ストレスに対応するように、身体のさまざまな機能に指令を出しています。大脳辺縁系と自律神経系は密接に関わっているため、嗅覚で得られる匂いの「心地よい」か「嫌い」かの情報は、自律神経系のバランスに影響を与え、匂いによるストレス・コーピングは、自律神経系を整える作用があると考えています。

私たちには生きている限り、毎日何らかのストレスが発生しています。ストレスに上手に対処するには、ストレスからちょっと離れる時間を持つことが効果的です。5分でも10分でも、何かに一瞬夢中になって、ストレスを忘れる時間を持つ。パンデミックブルーにおいては、3密を気にせず気軽に行えるストレス・コーピングとして、それぞれが好きな匂いを嗅いだり、空間に漂わせることをお勧めしています。

例えば、コーヒー好きの人が、コーヒーを飲んで一息つくのは、仕事や家事から離れて休息するだけでなく、コーヒーの匂いによるストレス・コーピングでもあります。私は、身近な嗜好飲料と脳機能の関連について、目に見えない匂いの効果を、脳波の変化を測定することで可視化しました。その結果、コーヒーの匂いを嗅ぐと、気持ちが穏やかで静まっている状態で現れるα波が増加。脳が円滑にゆるゆると働いている状態で、心の安静が保たれ、くつろいでいることを示しており、脳の働きの次元で、コーヒーの匂いの効果を実証しました。

嗜好飲料のウイスキー、アロマセラピーで用いられるエッセンシャルオイルのラベンダー、ピーチでも同様の実験を行ってα波の増加を確認しています。ラベンダーについては、日本人は薄く匂う程度を好む傾向で、しかも「ラベンダーの匂いは、特に好みではない」としても、本人の意識とは関係なく、脳の反応として、心地よいとするα波が出ていることが分かりました(図2)。

図2 エッセンシャルオイルの上手な利用法α波、P300 ともに、色が濃い部位は活動性が高いことを示す。鎮静効果のあるラベンダーは後頭部でα波が増加し、認知能力を高めるレモンでは頭頂部でP300の活動性が増加していることが分かる。

匂いによって心地よさが増幅

これら匂いの研究では、脳のどの部位に働きかけているのかを実証するために、がんの確定診断などで使われるPETを導入した実験も実施しました。脳がほどほどに活性化すると、酸素や栄養分を運ぶ血流が増えるため、PETで脳の血流量を測定したのです。

ウイスキーでは、大脳辺縁系にある快感中枢の中隔の血流量の増加を確認。アルコールによる酔いだけでなく、匂いによって心地よさが増幅して感じられることを示しました。この実験ではウイスキーとの比較のために、無臭の蒸留水とエタノールを使用したところ、ウイスキーの血流量が最も増加した結果から、ウイスキーの熟成された匂いが良い影響を与えていることが考えられます。

ピーチでは、怒りを発現させる脳の扁桃体の血流量を減らして、イライラを抑える結果が得られたことから、匂いの種類によって、脳のさまざまな部位が刺激され、人の気持ちが揺さぶられるとみています。

匂いには、「Re-creation」という脳を活発化する働きがあることも、私たちは研究で明らかにしました。安静時の脳波だけでなく、「事象関連電位(event-related potential)」という、脳が積極的に情報を処理しているときの活動を表す電気生理学的反応があり、その中に刺激を受けると約0.3秒で現れる「P300」という脳波があります。

P300は、すでに記憶している情報と、今、脳に入ってきた情報が同じかどうかを照合・判断するときに現れ、P300の大きさが増すほど、脳が活発に活動していることを意味するもので、認知機能の検査や、うつ病やパーキンソン病の経過観察などで活用されている脳波です。匂いの情報は大脳辺縁系で処理され、情動機能と強い関係を持っていることから、匂いがP300に与える影響を観察すれば、情動と認知の関連を生理学的に検証することができるのです。

実験の結果から、コーヒーやエッセンシャルオイルのレモンなど覚醒効果のある匂いでは、視覚や聴覚の認知機能を反映するP300が増大したことから、脳の働きが活性化していることが示されました。一方で、ラベンダーのような癒やしの匂いには、活性化効果はみられませんでした。このことは、視覚や聴覚機能と関わる作業の効率を、匂いが高める可能性があることを示しています。

リラックスしたいとき、頑張りたいときなど、匂いを用途に合わせて活用するのは、簡単かつ手軽なストレス・コーピングだといえます。エッセンシャルオイルを専用機器のディフューザーで焚いたり、ティッシュに1滴垂らす、微香性消臭剤を活用するなど、生活の中で匂いを活用しましょう。

感染予防として奨励されている「換気」。寒さが厳しくなる季節は、換気が疎かになりがちですが、不快な匂いを換気で積極的に排出することは、ストレス・コーピングの効果をいっそう高めることにもつながります。

在宅勤務の機会が増え、家庭で家族とともに過ごす時間が増えています。リビングやキッチン、寝室、子ども部屋など、それぞれの居室にはさまざまな匂いが漂っています。以前行った研究では、たばこ、天ぷら油、汗や足の匂いや加齢臭の原因とされるイソ(3-メチルブタン酸)は、脳波のα波を減少させる作用があることが分かりました。

さらに共同研究で、集中力における不快な匂いの影響について、世界で初めて実証しました。この共同研究では、初めに96人の子どもを32人ずつの3つのグループに分け、臭気判定士が収集・再現した家庭の不快な3大臭(油臭、汗・体臭、カビ臭)のある部屋と、匂いなしの部屋で、注意力と持続力双方を測定可能な計算テスト(内田クレペリン検査)を実施しました。匂いありと、匂いなしの正答数の平均を比較すると、匂いなしよりも、匂いのある状態のほうが点数が低く、特に「汗・体臭」の匂いでは正答数を大幅に減らしました(図3)。

図3 集中力テストのパフォーマンス「汗・体臭」の匂いありの場合、匂いなしに比べて、大きく正答数を減らした。集中力は不快な匂いに大きく左右されることが分かる。

不快な匂いは集中力を阻害する

次に、匂いありと匂いなしのそれぞれの環境において、主観的に心理状態を把握するVAS(Visual Analog Scale)を用いてアンケートを実施。その結果、「集中力」「気持ちの穏やかさ」「やる気」など多くの項目で、匂いなしと比べて、匂いのあるときに数値が悪化するという有意差が認められ、不快な匂いは子どもの心理に明確に悪影響を及ぼしていることが明らかになりました。

さらに、6人の子どもを対象に、匂いあり(汗・体臭を採用)と匂いなしの双方において、脳波P300を測定しました。その結果、汗・体臭の匂いがあると、P300の出現を著しく低下させていることが明らかになり、数値では10.8%も低下することを確認しました(図4)。匂いが子どもの集中力を阻害することが、脳科学の側面から明らかになりました。

図4 脳波P300の測定集中力・情報処理能力の指標となる脳波 P300 は、「汗・体臭」の匂いありの場合で、著しく低下している。数値では10.8%も減少している。

日常的に家庭生活で発生する匂いは鼻が慣れてしまうため、たとえ不快な匂いだったとしても、意識しなくなります。旅行等でしばらく留守にして帰宅したときに、ふと感じる程度ではないでしょうか。ところが、研究結果から分かるように、本人が意識していなくても嗅覚は反応し、不快な匂いであると認知し続けている脳に、マイナスの影響を与えている可能性があります。これは家庭に限らず、職場でも同様です。

在宅勤務の機会が増える生活は、居室の不快な匂いと無縁ではありません。居室をきれいにして、不快な匂いを積極的に取り除くことからスタートすると、作業や勉学のパフォーマンスや生産性が高まり、対人関係が円滑に進むことにもつながると考えます。

匂いは、人の気持ちを大きく揺さぶる感覚で、匂いの快・不快によって、作業効率にも影響を与えることは経験的に分かっていたことです。私たちはそれを研究によって実証し、匂いの効果をエビデンスとして発表し、匂いを合理的に活用できる道筋を示すことができました。

嗅覚は、匂いを嗅いだ一瞬で脳を刺激し、気持ちをくつろがせ、休息に導く主観的な感覚であるだけに、匂いの活用は制限や自粛を求められる時代のストレス・コーピングとして有効な手段です。どんな匂いが好みなのか、探すのも楽しみの一つであり、好みの匂いを懐かしんだり、新たに発見しながら、生活を潤し、健やかに過ごす一助にしてほしいと考えます。

(図版提供:古賀良彦)

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2021年1月10日発行
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