睡眠には、交感神経と副交感神経を調整し、脳をはじめとする臓器を休ませ、心身の疲労を回復するという大きな役割がある。しかし厚生労働省の「健康づくりのための睡眠ガイド2023」によると、国民の約5人に1人が「睡眠による休養を十分とれていない」状況。「睡眠の質」の低下は、さまざま病気や心身の不調などのリスクを高めるため、軽視しないことが肝要だ。良い睡眠を確保するためには、まずは、昼夜メリハリのある生活習慣に改善することがポイントだという。
ストレスと睡眠 昼夜メリハリのある生活習慣で「睡眠の質」の低下を防ぐ!
構成/渡辺由子
2024年2月、厚生労働省は「健康づくりのための睡眠ガイド2023」(以下、「睡眠ガイド2023」)を発表しました。2014年策定の「健康づくりのための睡眠ガイド2014」から約10年が経過し、私たち専門家による検討会で見直し、最新の科学的知見等を盛り込むなどして改訂したものです。
改訂の背景にあったのが、2022年10月発表の「健康日本21(第二次)最終評価」です。健康増進や健康寿命延伸のために重要な、生活習慣・社会環境の整備の指標を掲げてきた中で、食事・運動・睡眠について、一部の指標の未達や悪化が指摘されました。
日本人は睡眠を軽視してきた
特に、休養・睡眠分野の指標の「睡眠による休養を十分とれていない者の割合」という「睡眠の質」の評価は、ベースライン値の18.4%(2009年)から、15%(2022年度)への低下を目標としましたが、最終評価時は21.7%(2018年)と増加し、「A(目標値に達した)~E(評価困難)」の評価で、D(悪化している)と判定されました。日本人の約5人に1人は、睡眠の質に影響を与える「睡眠時間の不足」「日中の眠気」「睡眠中の覚醒」など、睡眠に関わる問題を抱えていることが浮き彫りになりました。睡眠時間については、世界との比較でよく取り上げられるデータに経済協力開発機構(OECD)の調査があります。2021年の報告では、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、調査した33カ国の中で最も短く、各国平均の8時間28分より1時間も少ないことが判明しています。
日本では、睡眠を犠牲にして頑張ることを美徳としてきました。戦後、眠りを削って働き、勉強し、産業や教育の分野では、世界に誇れるレベルへと引き上げることができました。現代においては、コンビニエンスストアなど24時間営業の店がたくさんあり、夜も明るくにぎやかで、寝る間を惜しむように夜通し遊ぶ人もいます。このような環境で、これまでの日本人は睡眠を軽視してきた、といっても過言ではありません。
睡眠には、「身体や脳、こころの休養や疲労回復(リカバリー)」という大きな役割があります。日中の活動で酷使し、ストレスをかけ続けた体や脳、こころは、眠っているときはストレスから解放され、疲労を回復させ、力を養うのです。交感神経と副交感神経を調整し、脳をはじめとする臓器を休ませるために体温を下げるなどの機能を働かせ、エネルギー消費量を抑えると同時に蓄え、体の成長に必要な成長ホルモンなどの分泌や、免疫機能の調整、さらには記憶(学習)の定着・強化などの機能を備えています。
では、なぜ眠くなるのでしょうか。考えられているのは、睡眠欲求が高まれば高まるほど、眠りやすくなるメカニズムです(図1)。睡眠欲求は、起きている時間が長ければ長いほど高まります。徹夜すると睡眠欲求が非常に高まり、耐え難い眠気に襲われるのと同様に、朝起きてからの時間が長くなると睡眠欲求が高まり、夜には自然と眠くなるのです。ところが、いざ床に就くと眠れなくなるのは、長い昼寝や夕食後のうたた寝が原因であることが多く、高まりつつある睡眠欲求を帳消しにした結果なのです。
睡眠休養感を向上させることも重要
もう一つは、覚醒水準が下がると眠くなるメカニズムです。体内時計に依存し、起床後に朝の日の光を浴びることが刺激となり、約16時間後に(高齢者では約15時間後)脳の松果体からホルモンのメラトニンが分泌されます。すると、急速に覚醒水準が下がり、一番眠気が強まる時間帯が訪れます。
なお、図1に示した「入眠禁止ゾーン」とは、1日のうちで最も覚醒水準が高く、眠りにくい時間帯です。その後、普段の就寝時刻の1、2時間前に当たる頃にメラトニンが分泌されると、急速に眠気が強まり、より良い入眠へと導かれるのです。
メラトニンの分泌量は年齢とともに下がるため、夜に最大限に分泌させるには、年を重ねるほど、意識的に朝から昼の間に光を浴びることが必要です。
また、オレキシンという視床下部外側野にある神経細胞が産生する神経伝達物質は、覚醒や食欲を制御する物質です。オレキシンも体内時計に依存し、メラトニンとは逆に昼間に産生が高まり、夜になると低下して覚醒水準が下がり、眠気が生じてくるのです。
健康増進や維持に不可欠な休養活動である睡眠について、睡眠の量を反映する「睡眠時間」と、睡眠の質を反映する、目覚めたときに心身が休まったと感じる「睡眠休養感」は、良い睡眠であるかどうかを判断する重要な指標となります。「睡眠ガイド2023」では、適正な睡眠時間と睡眠休養感の確保に向けた推奨事項を、「20歳から59歳の成人」「子ども」「60歳以上の高齢者」の3世代に分けて挙げています。
まず20歳から59歳の成人では、睡眠時間は個人差を考慮しつつ、6時間以上の確保を挙げ、食生活や運動等の生活習慣や寝室などの睡眠環境等を見直して睡眠休養感を高めることを推奨しています。
2019年に厚生労働省が発表した「国民健康・栄養調査」では、20~59歳の各世代で、睡眠時間が6時間未満の人が約35~50%を占め、5時間未満は約5~12%に上る結果になりました。睡眠時間が短いと、肥満、高血圧、糖尿病、心疾患、脳血管疾患、認知症、うつ病などの発症リスクが高まることが報告されています。覚醒時間が長くなると、交感神経が優位な状態が長く続き、血圧上昇、インスリン抵抗性増大など、体のさまざまな働きに影響を及ぼし、身体疾患や精神疾患の発症、悪化、死亡リスクが上がると考えられます。
また、睡眠休養感を向上させることも重要です。アメリカの地域住民を約11年間追跡した多施設前向きコホート研究のデータを解析した日本の研究グループは、40~64歳の成人(働く人)で、睡眠休養感のない短い睡眠時間は、死亡リスクを増加させ、反対に睡眠休養感のある長い睡眠時間は、死亡リスクを減少させることを明らかにしています(図2)。
朝、目覚めたときに、「心身を休めることができた」という充足感を表す睡眠休養感は、その人の健康度を反映する指標であり、自覚できる指標の一つとして、重視してほしいと考えます。
「寝る子は育つ」のことわざの通りで、子どもの健やかな成長、発達には、良い睡眠が何よりも大切です。さまざまな研究から、睡眠時間の不足により、肥満のリスクが高くなる、抑うつ傾向が強くなる、学業成績が低下する、幸福感や生活の質が低下することが分かっています。最新の知見では、睡眠不足により、記憶をつかさどる脳の海馬が成長しないことが明らかにされました。
そこで「睡眠ガイド2023」では、睡眠時間について、1~2歳児は11~14時間、3~5歳児は10~13時間、小学生は9~12時間、中学・高校生は8~10時間を参考に確保することと、朝は太陽の光を浴びて、朝食をしっかり摂り、日中は運動をして、夜更かしの習慣化を避けることを推奨しています。
ところが今の小・中・高生は、学校の授業、放課後の部活動や塾があり、帰宅するとゲームやSNSなどに没頭するなど、睡眠がおろそかになりやすい環境です(図3)。その結果、遅寝遅起き、朝食抜き、運動不足につながる環境であることを意識しなければなりません。スクリーンタイム(テレビ視聴やスマートフォン、ゲームの利用)は、1日当たり2時間以下にして、睡眠の質の悪化を防ぎます。保護者は、夜更かしや朝寝坊に関する注意を喚起し、睡眠・覚醒リズムの後退など、生活リズムを崩さないように気をつけましょう。
睡眠休養感のない睡眠は高死亡リスク
朝、起きられない子どもが多いことは、不登校につながるのではと、とても心配です。朝、起きられない日が続くと、生活リズムがどんどん乱れ、ひきこもりにつながりかねません。たとえ不登校でも、日中にフリースクールなどで活動していれば、生活リズムの乱れは小さく、いざ学校へ行きたくなったときに、朝起きて学校へ行けるようになると考えます。学校を嫌いになる理由は、子ども一人ひとりそれぞれで、それは仕方のないことですから、たとえ不登校になったとしても、生活のリズムを崩さないようにすることが、何よりも重要だと考えます。
このことは成人にも当てはまり、ストレスでうつ病や不安障害を発症して休職し、いざ復職しようとしても、朝に起きられなくて通勤できず、またつまずいて休職を繰り返す人をたくさん診てきました。こころの病を治すことはもちろん大切ですが、休職中も朝は起きて規則正しい生活を送ることが、いつの日かの復職につながると考えています。
年を取ると眠れなくなるのは、加齢とともに睡眠する力も低下するためです。10代までの睡眠は、20%くらいが深い睡眠ですが、60歳を過ぎると深い睡眠は10分の1くらいの2、3%程度に下がります。加齢によって深い睡眠は減り、中等度の深さから浅い睡眠が多くなるのは、ごく自然なことであり、心身の機能に悪影響を及ぼすことはほとんどありません。それなのに、若い頃のようにぐっすりと眠りたい、と切望する高齢者はたいへん多く、そこが問題なのです。
成人では短時間睡眠が健康に悪影響を与えていると述べた研究で、高齢世代についてもデータを解析したところ、睡眠休養感のない長い床上時間(寝床にいる時間)は、死亡リスクを高めることが明らかになりました(図2)。また別の研究では、7時間未満の短時間睡眠による将来の死亡リスクは1.07倍であるのに対して、8時間以上の長時間睡眠では1.33倍と増加したことを報告。さらに、9時間以上の長時間睡眠では、アルツハイマー病の発症リスクを増加させることも研究報告されています。
「睡眠ガイド2023」では、高齢者の睡眠について、睡眠時間は個人の体調や生活状況に合わせた6~8時間を確保し、床上時間を8時間以内にすること、昼寝は30分以内の短時間で、睡眠環境や食生活・運動等の生活習慣などを見直して睡眠休養感を高めること、見直しても睡眠休養感の低下が改善しない場合は専門医に相談することを推奨しています。
高齢者は、自ら努力をしないと、適正な睡眠時間と睡眠休養感を確保することが難しくなります。第一に、昼と夜のメリハリをつけることが、良い睡眠を確保するためのポイントです。朝から昼にかけて太陽の光を浴び、日中に積極的に体を動かすことです。そして、成人にも共通することですが、夕方以降のカフェイン摂取、寝酒、睡眠前の喫煙は、入眠困難、中途覚醒、頻尿など、睡眠に影響を及ぼすので、控えるようにします。
睡眠とストレスは一心同体
眠れない原因の多くは、ストレスです。睡眠とストレスは表裏一体と考えられており、強いストレスは交感神経を優位にし、入眠困難、中途覚醒、浅い睡眠などで、睡眠時間も睡眠休養感も満足できるものではなくなります。そのため、眠れているかどうかは、ストレスの程度やストレスからどのくらい心身が追い詰められているかを反映する、一つの指標になります。
「眠れないこと」そのものが、ストレスになることがあります。「昨晩眠れなかった。今晩は眠れるだろうか」と不安感や緊張感が高まるものです。朝起きたときから、夜眠ることが気になり、夜に近づくほど交感神経が優位になり、脳が興奮した状態で眠れなくなる……、という悪循環に陥る「睡眠恐怖症」です。睡眠を強く意識することは、不眠の第一歩で、こだわりの強い人や完璧主義者といった性格や生き方が関わってきます。
また、「眠れなくて、このままでは死んでしまう!」と受診するケースがあります。「夜は眠れないし、昼寝もできない」と主張しますが、眠っているときの睡眠脳波検査を行うと、ちゃんと眠れている。これは、ストレスが非常に強くかかったときに起きやすい「睡眠状態誤認」で、自覚的な睡眠と客観的な睡眠時間との間にずれが生じています。これを判断する方法が、午前中に我慢できない眠気があるかを確認することです。眠気があれば、眠れていない。眠気がなければ、眠れている証しで、前夜の睡眠の程度が分かる唯一の方法です。多くのケースでは、実はちゃんと眠れているので、本人に眠った実感を得てもらうために、生活習慣の改善などの指導を行います。
ストレスから心身を解放して眠るためには、副交感神経を優位に導く、就寝前の1、2時間程度の「クールダウン」が必要です。ゆったりとした音楽を聴く、読書、ストレッチやヨガ、アロマをたいたり、ぬるめの湯に入ることもよいでしょう。量と質で満たされた心地よい眠りを手に入れ、健康な生活に役立ててほしいと願っています。