日本沿岸には多くの海藻類が繁殖する、藻場が広がっている。魚介類の育成の場となることから日本では「海のゆりかご」とも称される藻場は、実は大気中のCO2を吸収・貯留するブルーカーボン生態系として注目されている。ブルーカーボン生態系をCO2の吸収源として活用すると同時に、漁業を発展させようとするプロジェクトがスタートした。海藻を食べるという食文化を持ち、海藻に関する科学的知見の豊富な日本だからこそ成し得る温暖化対策に期待が高まっている。
特集 気候変動と日本の食 ルポ 海洋大国日本ならできる! ブルーカーボンCO2吸収作戦
文/飯塚りえ
世界各国が地球温暖化対策となる温室効果ガスの削減に取り組んでいる。日本は、2050年にカーボンニュートラルを達成すべく、2030年度までに温室効果ガスを2013年比で46%削減することを目標に掲げた。2022年度の温室効果ガス排出量は約11億3500万t、2013年度比で19.3%減少。これは、CO2を多く排出する化石燃料の使用を控え、かつ太陽光、風力、水力、地熱、バイオマスといった再生可能エネルギーを代替使用することで温室効果ガス、中でもCO2の発生を抑制できた結果といえる。
- *1 カーボンニュートラル:温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させて、実質的に排出量をゼロにすること。
- *2 バイオマス:化石資源を除いた、家畜排泄物、食品廃棄物、農業残渣(ざんさ)などの生物由来の再生可能な有機性資源。
ブルーカーボンの可能性
一方で、必然的に発生するCO2を吸収するための対策も考えなくてはならない。これまで自然界でCO2を吸収していた海洋や森林だけでは十分ではないからだ。
日本の場合は、森林における吸収量が減っている。樹木は成長の過程でCO2を吸収しているが、現在の日本の森林、特に人工林の木々は高齢化が進み、森林面積は変わらなくとも、吸収量は2000年ごろをピークに年々減少している。日本の国土に占める森林の面積は67%と、先進国の中でも上位にあるが、このままの状態ではCO2の吸収量は減少していく。
そこで、今、関心を集めているのが「ブルーカーボン」だ。ジャパンブルーエコノミー技術研究組合(JBE)理事長の桑江朝比呂氏は、いち早くブルーカーボンの可能性に注目し、CO2吸収の新しい一手にするべく実装化を企画している。桑江氏の説明によると——。
「ブルーカーボンとは、海洋生態系によって取り込まれ、長期間、海洋に貯留される炭素のことを指します(図1)。2009年に国連環境計画の報告書で初めて使われた用語で、対して、陸上の森林生態系に取り込まれる炭素はグリーンカーボンと呼ばれています。
CO2を吸収するブルーカーボン生態系には海草藻場、海藻藻場、湿地・干潟、マングローブが挙げられます。大気CO2(大気中のCO2。以降の「CO2」は原則的に大気中のCO2を指す)由来の有機物は海洋生態系の植物体の中にもたまりますが、枯死した後に海底の土壌中に堆積したり、難分解性の有機物を生産して放出したり、陸棚や深海にも堆積します。ブルーカーボン生態系は、数百年、数千年という単位でCO2由来の有機物を保持することから、温暖化対策にとって非常に重要な場所だと認識されるようになりました」
- *3 海草と海藻:海草はアマモなど海中の種子植物。海藻はコンブなど海で生活する藻類。
ブルーカーボンへの取り組みは、日本が世界の先頭を走っている。2024年の国連への報告では、マングローブによる吸収量に加えて、世界で初めて、海草藻場と海藻藻場の吸収量を合わせて算定した。ブルーカーボンによる吸収量を測る技術はまだ発展途上にあるが、桑江氏は、藻場など浅海の炭素循環に興味を持ち、以前から研究を続けてきた。
海藻を食べる食文化があったからこそ
「2019年、藻場を含むブルーカーボン生態系のCO2吸収量を日本で初めて132万tと推算しました(図2)。こうした研究を進めてこれたのも、日本に海藻を食べるという食文化があったからこそだと思います。日本は海に囲まれていて昔からワカメやコンブ、ノリを食べ、養殖もしていました。生産量を上げるなどの品種改良技術、成育環境の知識が蓄積されており、日本ほど藻場や海藻に関する科学的な知見を持っている地域は他にほとんどありません。その文化がブルーカーボンにつながっていると考えています」(桑江氏)
ところが、日本の中心的なブルーカーボン生態系である藻場は今、厳しい環境にある。桑江氏の2019年の論文の数値は、2000〜2010年に測定したデータから算定している。
海藻類の藻場が日本のブルーカーボン吸収量の約77%を占めるので、そのときの藻場の吸収量は100万t程度と計算できる。しかし2024年4月に国連に提出した数値は2022年の実績値で35万tほど、約3分の1となっている。ブルーカーボン生態系には関心が集まり、日本は先端を行くものの、一方でCO2吸収の中心地、藻場がその機能を果たせなくなっているという。
「海水温が上昇し、藻場が磯焼けという現象を起こしていることが原因の一つです。これは南の海から北上してくる黒潮が大きく蛇行しているためといわれています。これまでも磯焼けが起きることはありましたが、短期で、かつ地域も限定されていました。今回はすでに7年ほど日本の沿岸に居座っており、藻場への影響が全国的になっているという状態です」(同前)
藻場の磯焼けは、漁業に深刻な影響を与える。基本的に海藻類は低い水温を好むが、黒潮の水温は非常に高く、海藻類の成育を妨げる。黒潮はまた、貧栄養で海藻類が育たない上に、黒潮には海藻類を大量に食べる、活性の高い魚や食用にならないウニなどが生息していて、海藻類への食害もあるという。冬でも水温が下がらないため、魚類の活性が落ちず、食害も減らない。藻場の海藻類にとって厳しい条件が重なる。桑江氏によると、そこで各地の漁業者は、藻場の再生に積極的に乗り出した。地域によって、藻場の不全の要因が異なるので、徹底的にウニや魚を駆除したり、肥料を与えたりして回復させたという。
地域の活性にもつながる取り組み
こうした取り組みは、当初、地域のブランドとなっているコンブやノリ、ウニといった特産品を守るための活動だった。そこにブルーカーボンという概念が登場し、活動に新たな意味が加わることになった。桑江氏は言う。
「私たちJBEは、2020年度に、藻場などブルーカーボン生態系のCO2吸収量をクレジット認証し、CO2対策を実施する企業・団体などと吸収量の売買取引を行う『Jブルークレジット』制度を創設しました。
Jブルークレジットの申請はプロジェクト単位で、申請者が藻場や干潟等の種別や、CO2の吸収量、算定方式などを申告すると、審査を経て、認証・登録されます。これまでに全国41のプロジェクトが認証されています。漁業者にとっては、昔から浅海で行ってきた漁業を盛り上げながら、Jブルークレジットを得ることができ、藻場の再生面積を広げるなど地域のブルーカーボン生態系保全活動の新たな資金源とすることもできます。申請のために、海藻の大きさを測ったり、撮影をしたりといった多少の手間は増えることになりますが、行政や研究機関などとチームを組んで、地域の活性にもつながる取り組みとなっているようです」
Jブルークレジットに登録されているようなプロジェクトに続けと、各地で藻場の活用が注目されるようになった。その一つ、千葉県では木更津市の盤洲干潟で、コアマモの藻場を活用して江戸前アサリを育てるプロジェクトを企画している。
千葉県水産総合研究センターの石井光廣氏によると、「現在、アサリの漁獲高は全国的に激減しています。東京湾のアサリも例外ではありません。不漁の原因には、植物プランクトンの減少による餌不足や鳥などによる食害が挙げられます。東京湾では海水の栄養分の減少により、植物プランクトンも減っています。鳥の食害に関しては、漁業者が囲い網や被覆網を設置して防いでいますが、網などの設置は負担が大きく、操業できる範囲も限られてしまいます(図3–①②)。この状態をコアマモの藻場を利用して解消できないか、と考えたのです。
コアマモは、厳密には藻類ではなく種子植物(顕花植物)ですが、浅海に生息して藻場を形成しています。東京湾の中でも盤州干潟は現在、アマモ、コアマモの一大生息地になっていますが、群生している場所ではアサリの操業ができなくなったり、ノリに交ざって品質が悪くなったりするため、漁業者にとっては邪魔ものでしかなく、除去されることもありました。
しかし、コアマモは、根が非常に張っているため、群生している場所では稚貝が集まりやすく、また鳥には食べられにくい。コアマモが枯れれば養分になりますし、コアマモにプランクトンや微細藻類が生息して、有機物を蓄える場にもなっていると思われました」
石井氏は、「コアマモの下にはアサリがいる」という漁業者の言葉が頭に残り、発想を転換してコアマモを上手に利用できないかと考えた。
「調べてみると、コアマモが群生している場所には、確かにアサリがたくさんいました(図3–③)。環境的にも、コアマモの生えている土地では有機物が多く、栄養塩(窒素、リン)が高いという結果が出ました。干潟が肥沃化してアサリの餌も豊富になるのです。コアマモの地下茎によって稚貝が流されてしまうこともなく、アサリが波に流されず集まります。この環境を利用して、アサリを藻場で育ててから、コアマモを間引いてそこに付着した稚貝を採取し、すでにある囲い網の中に放流して収穫する。さらに間引いたコアマモを工業製品として利用し、CO2を固定することを組み込んだサイクルがつくれないかと考えています」
5000万t程度を海で吸収する
1200㎡の試験区で行った2年にわたる実証実験では、コアマモを間引いた場所から、1年目に57kgの稚貝、2年目には成貝も含み423kgものアサリが採取できたという(図3–④)。間引いたコアマモは各年720kgほどで、製紙会社の協力を得て、紙の原料として使われている(図3–⑤)。今後、Jブルークレジットの申請も検討している。
「江戸前のアサリが増え、刈り取ったコアマモを再利用することでCO2の吸収になる、という両輪でこの取り組みを進めていきたいと考えています」(石井氏)
沿岸の藻場を再生しCO2を吸収する取り組みは各地で進んでいるものの、それだけでは日本の削減目標に到達するのは難しい。そこでJBEが検討しているのが、海藻・海草を沖合で大規模に生産して吸収・固定するエンジニアリングだ。カーボンニュートラルに向けた将来への取り組みを桑江氏はこう語る。
「2050年のカーボンニュートラルに向け、80%程度しか達成できないのではないか、という厳しい予測もあります。雑ぱくな計算ですが、約11億tの排出量のうち吸収しきれないのが20%とすると、約2億tのCO2を除去する何らかの方法を考えなくてはなりません。日本の自然界の吸収は森林が中心で、今は5000万t程度ですが2030年には3000万tになるという予測もあります。私は、CCSや藻場の再生に加えて、5000万t程度を海で吸収するようなドラスティックな方法が不可欠だと考えています。
- *4 CCS:Carbon dioxide Capture and Storageの略。発電所や工場などから排出されたCO2を集めて地中深くに貯留・圧入するCO2固定の方法。
そこで検討しているのは、沖合での大規模な海藻類の養殖です(図4)。成長が早くCO2を多く吸収する海藻類を育種し、それを沖合で成長させ、そのまま海底に沈めることで、CO2由来の有機物を長期間貯留することができます。日本の排他的経済水域は世界第6位、日本海溝は1000m以上の場所も多いなど、条件が整っていると考えています。技術的には年間5000万tの吸収も可能だという計算が出ているので、現在、企業や省庁などとも検討を重ねています。
漁業者や一般市民の方が食の現場としての藻場を再生して、かつ、クレジットを得ながら活動していくことと、沖合での大規模な回収工場との二刀流で進めていくことで、ブルーカーボン生態系を温室効果ガスの吸収や削減に有効に活用していきたいと考えています」
ブルーカーボン生態系に対する世界の関心は高く、JBEの元には、世界各国からさまざまな問い合わせがくるという。日本の食文化を担う藻場が発信する温暖化対策に期待が高まっている。