野本教授の腸内細菌と健康のお話40 「他人の釜の飯」

イラストレーション/小波田えま

東京農業大学生命科学部分子微生物学科
客員教授

野本康二

筆者が学んだ1975〜1979年の獣医学は4年制(現在は6年制)で、基礎から臨床まで履修内容が膨大であり、4年生時の指導は「とにかく獣医師国家試験合格を優先すること」であったから、所属研究室(家畜微生物学)では満足な研究修業に至らなかった。従って、卒業とともに企業の研究所(東京都国立市谷保)で希望する微生物学の研究職に就くことはできたけれども、何しろ基本ができていないから、入社してしばらくは自らの不出来に鬱々とした状況が続いた。

この意味で、20代後半、九州大学生体防御医学研究への1982年から2年間の研究生留学は大きな岐路となった。同研究所免疫学部門の野本亀久雄教授のご指導の下で、「乳酸による生体防御能の」をテーマとする研究を行った。福岡市・の九大医学部キャンパス内の基礎研究棟で、リステリア菌(Listeria monocytogenes)や緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)といった病原細菌の感染モデルを用いて実験漬けの毎日を過ごしたが、ご担当の見明俊治講師(当時は九大医学部細菌学教室、現・宮田病院総合診療科)には、まさに「何もできない」状態の筆者を、手取り足取りで研究指導していただい。茶色く日焼けした表紙の、当時の実験ノートを見返すたびに、「救われて、ここから始まった」ことを思い出す。ここで学んだ生体防御の考え方は、その後の「フルオロウラシル系薬剤による、内在性腸内細菌によるバクテリアルトランスロケーションを介する自発性感染の誘導」の研究につながっ

30代半ばには、場所をアメリカのニューヨーク州マンハッタンに移して、コロンビア大学包括がんセンタで1990年から2年余り、Prof. I. Bernard Weinstein(1930〜2008)にご指導を仰いだ。ここでは、病原菌から大腸がん細胞へと研究対象も変わり、主に食事や生体由来のリン脂質が大腸がん細胞の増殖や悪性化に及ぼす影響をテーマとし、培養細胞を対象とする分子生物学的な解析に従事した。Bernie Weinstein教授は、よく「先生方を敬いなさい。先生方があなた方を未来の世界へと導いてくれたのだから」(Moses Maimonides)を引用されていたそうであ。月に1回ほど、ラボの通信ポストに参考文献が差し込まれており、 “FYI. Let’s discuss! IBW.”の手書きメモを見ると胸が躍った。

  • 注) Moses Maimonides:1135〜1204年。医師、哲学者、中世最大のユダヤ人思想家。

同じ研究室には、大阪大学医学部第二外科教室(現・消化器外科学教室)から冨田尚裕先生(現・市立豊中病院大腸外科がん診療部 特任顧問〈外科兼任〉)が留学中で、分子生物学実験の右も左も定かでない筆者に、ご自分の研究も忙しい中、基本的な段階から懇切丁寧なご指導をいただいた。何とか、リン脂質の代謝酵素の過剰発現が大腸がん細胞の悪性化に寄与する、との内容で論文化することができ。研究のみならず、例えば、在米中に、ニューヨーク・シティ・マラソンに冨田先生と共に出場したが、その練習がてら、地図を片手に、大学のあるマンハッタン島北部(168丁目)からGeorge Washington Bridgeを経由してニュージャージー州Tenaflyまでの14㎞ほどを一緒に走って帰った(筆者は、さらに北のDemarestの自宅まで都合17㎞)。

上述のいずれの場所においても、研究の厳しさには冷や汗、脂汗の連続であったが、あらためて「他人の釜の飯の味はどれも格別だった」と思うし、このような多様な環境に身を置きながら、感染症やがんなどの疾病に対する生体防御、という筋の通った研究ができた。素晴らしい(productive)実験科学者たちの共通点として、「実験準備や後片付けをきちんとしている」、「実験ノートがきれいである」ことにも気づくことができた。

  • *1 九州大学生体防御医学研究所. https://www.bioreg.kyushu-u.ac.jp/
  • *2 Miake S, Nomoto K, Yokokura T, et al. Protective effect of Lactobacillus casei on Pseudomonas aeruginosa infection in mice. Infect Immun, 48: 480‒485, 1985
  • *3 Yokokura T, Nomoto K, Shimizu T, et al. Enhancement of hematopoietic response of mice by subcutaneous administration of Lactobacillus casei. Infect Immun, 52: 156‒160, 1986
  • *4 Nomoto K, Yokokura T, Yoshikai Y, et al. Induction of lethal infection with indigenous Escherichia coli in mice by fluorouracil. Can J Microbiol, 37: 244‒247, 1991
  • *5 Nomoto K, Yokokura T, Mitsuyama M, et al. Prevention of indigenous infection of mice with Escherichia coli by nonspecific immunostimulation. Antimicrob Agents Chemother, 36: 361‒367, 1992
  • *6 Columbia University Herbert Irving Comprehensive Cancer Center. https://www.cancer.columbia.edu/
  • *7 Kahn SM, Santella RM. I. Bernard Weinstein: In Memoriam (1930–2008). Cancer Res, 69: 1693‒1694, 2009. doi: 10.1158/0008-5472.CAN-08-4968
  • *8 Krauss RS, Ronai ZA. I. Bernard Weinstein September 9, 1930‒November 3, 2008. Cancer Cell, 14: 421‒
    422, 2008. doi: 10.1016/j.ccr.2008.11.007
  • *9 Nomoto K, Tomita N, Miyake M, et al. Expression of phospholipases γ1, β1, and δ1 in primary human colon carcinomas and colon carcinoma cell lines. Mol Carcinog, 12: 146‒152, 1995
  • *10 Nomoto K, Tomita N, Miyake M, et al. Growth inhibition, enhancement of intercellular adhesion, and increased expression of carcinoembryonic antigen by overexpression of phosphoinositides-specific phospholipase C β1 in LS174T human colon adenocarcinoma cell line. Jpn J Cancer Res, 89: 1257‒1266, 1998

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2024年7月10日発行
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