気になる人の「気にする食卓」第70回 狩野舞子

構成/編集部  写真/細田 忠

HEALTHIST INTERVIEW

狩野舞子(かのう・まいこ)

(元バレーボール日本代表)

1988年7月15日生まれ、東京都出身。15歳で全日本代表候補に選ばれ、高校卒業後は久光製薬スプリングスに入団。全日本代表として国際大会にも出場。2010年からは二大海外リーグに挑戦し、2012年ロンドン五輪出場。2018年に現役を引退し、バレーボール教室の講師など幅広く活躍中。

偏食の激しかった自分を反面教師に
食事の大切さを子どもたちに伝えています

バレーボール名門校のエースとして注目され、社会人チーム入団後も開幕戦スタメンと順調なスタートを切った狩野舞子さん。全日本代表メンバーにも選出され、国際大会で活躍する一方でケガに泣かされることもあった。その裏には、自分の偏食が大きく影響していたと自己分析し、現在は子どもたちに食事の大切さを伝えている。

狩野舞子さんに、まずはバレーボールを始めたきっかけについて伺った。

母がママさんバレーをやっていて、小さい頃から一緒に練習へ行き、小学生になるとパス練習などをしていました。それで小学4年生のとき、地元のクラブチームに入り、5年生からスパイカーとして試合に出場しました。入ったときの身長は158㎝でしたが、5年生のときには170㎝と背の伸び方が他の人よりもすごくて、いつの間にかチームで一番背が高くなっていたのです。学校でも先生より背が高いので、周りからは特別な感じで見られていたと思います。

身長が一挙に伸びたという狩野さんだが、当時の食生活はどうだったのだろうか。

食事に関しては、好きなお肉とご飯しか食べない子どもだったんですよ(笑)。嫌いな物は野菜で、ジャガイモ、ダイコン、モヤシなどの白系野菜は食べられますが、味の濃い緑黄色野菜は一切ダメで食べませんでした。バレーボールの練習からおなかを空かして家に帰ると、お肉とご飯、味噌汁という三角形で食べていたので、母に野菜も食べなさいとよく言われていました。学校の給食で嫌いな野菜が出たときは、全部食べ終わらないと遊びに行かせてくれないので、牛乳と一緒に無理矢理飲み込んでいたのを覚えています。

中学でバレーボールの名門校に進学し、高校からは寮生活となるが、偏食のため練習よりも食事面での苦労が多かったという。

八王子実践中学校でバレーボール部に入部し、顧問の先生も私が食事面で好き嫌いが激しいのを知っていたので、きちんと食べるように言われていましたが、自宅から通っていたため無理に食べる必要はありませんでした。でも高校に進学すると寮生活になり、食生活で本当に苦労しました。授業後の16時から約3時間が部活動でしたが、練習はきつくて地獄なのに、その後の食事も顧問の先生が一緒で地獄でした(笑)。食事は先生の奥さんが中心となり、生徒の身体を気遣ったいろいろなメニューを考えてくれ、保護者が手伝って用意してくれていました。メインの料理が私の好きな物ならいいのですが、嫌いな物ばかりの日もありました。特に試合前になると疲れが取れるようにと、鉄分多めのメニューが増えるのです。肉は好きなのですが内臓系はダメで、レバーがよく出てきたのでつらかったです。食事は絶対に残してはいけないため、最初に嫌いな物を口の中へ詰めて水で流し込んでいました。最後に残していたら絶対に食べられないので……。だから、高校時代に食事を楽しむということはなかったです。

仕事の都合上、外食が多くなってしまうため、バランス良く食べられる和食の定食屋に行くことが多い。ある日の夕飯は、ハンバーグおろしポン酢、鮭の香味揚げをメインにチョイス。(写真提供:狩野舞子)

運動と栄養摂取の組み合わせが大切

社会人チームで、栄養士から食事の大切さを学んだことで、嫌いな物も食べるようになっていく。

高校卒業後、社会人チームに入団すると栄養士が食事のサポートをしてくれて、身体をつくっていくための食事や疲れを回復させるための食材などを初めて学んだのです。それで、ケガすることが多かったのは、私の偏食が原因の一つだったのかもしれないと思うようになり、嫌いな物も我慢して食べました。その後、海外リーグにも挑戦したのですが、初めての一人暮らしで、練習後に自分でスーパーに行き、イタリア語を調べながら食材を買って調理していました。本格的な調理はできませんがパスタなどを中心に、野菜も調理の仕方や味つけの工夫をして一緒に食べていました。2012年のロンドン五輪のときには、帯同している栄養士が、練習や試合終わりに必ず、おかかのおにぎり、フルーツ、オレンジジュースの3点セットを用意してくれていました。何を食べるかも大切ですが、食べるタイミングも大事で、食事はスポーツにとって欠かせない重要なポイントであることを改めて学びました。

現役引退後は、栄養学とバレーボール指導を組み合わせた教室で全国を回っている。

引退後、バレーボール教室の仕事をするようになったのですが、そこでは栄養学も含めて指導をしています。指導をするのに、栄養のことを何も知らないのはいけないと思い、アスリートフードマイスターの資格を取得したのですが、子どもたちからは、何を食べたら回復しますか、何を食べたら成長につながりますか、という質問が多いですね。私は子どもたちに、好き嫌いが多かったことを正直に伝えており、でも活躍していたから関係ないのでは?と質問されると、その代わりにケガをするよと言っています。私も小さい頃から周囲の大人に食事のことでうるさく言われてきましたが、なぜ食事が大切なのかをきちんと理解できていなかったので、その経験を活かしてわかりやすくひもときながら子どもたちに伝えています。20代半ばまで、嫌いな食べ物を泣きながら食べていた私の経験を反面教師に、立派な選手に育ってほしいですからね。

また、運動、食事、睡眠が大事な三本柱ということも保護者の方々に伝えています。練習ばかりではダメだという最低限の知識を大人が持っていないと、子どもの成長をサポートできないと思っています。そのため、子どもの部活動を応援するために、まずはご両親が必要な知識をしっかり勉強することも大事だと思います。

2016年からはPFUブルーキャッツのスパイカーとして活躍し、2018年5月の黒鷲旗を最後に現役から引退した。(写真提供:スポーツビズ)

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2021年11月10日発行
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