体が必要としている食事とともに
毎日続けられる運動が大切
高校3年生でバレーボールの全日本代表入りを果たし、3大会連続でオリンピックに出場。日本のエースとして長年活躍してきた大林素子さん。体力の蓄積により、現役引退後は運動をしなくても衰えを感じることはなかったが、40歳を過ぎてからは年相応の不安を感じるようになり、意識して体を動かすとともに質のいい食生活を大切にしている。
バレーボール選手として世界の舞台で活躍した大林素子さんだが、幼少期はアイドル歌手に憧れる普通の少女で、スポーツとは無縁だったという。
子どもの頃の将来の夢は、アイドル歌手になることで、炭酸飲料と生クリーム系のケーキやお菓子が好きな普通の女の子でした。運動は好きではなく得意でもありませんでしたが、物心ついた頃には他の子どもより一回り以上も背が高く、小学6年生で170㎝ありました。そのため同級生の男の子たちから、ジャイアント素子、デカバヤシなどと呼ばれていじめられていました。そんなときに偶然テレビの再放送でアニメ「アタックNo.1」を見て、バレーボールなら背の高さを生かすことができる、オリンピック選手になれば今までいじめてきた人を見返すことができると思ったのです。
中学校でバレーボール部に入部し、自分が原因で試合に負けて悔しい思いをしてから、本格的に練習に取り組むようになる。
中学でバレーボール部に入りましたが、運動が得意でもなく体力もないため部活がしんどくて休みがちでした。でも、1年生の終わりごろに新人戦へ出場し、自分が原因で試合に負けて本当に悔しい思いをしてから、真面目に練習に取り組むようになりました。そこから努力と練習の積み重ねで技量はアップし、バレーの名門である八王子実践高校に進学しました。高校はバレー部だけが全寮制でしたが寮母などはいなくて、1、2年生の部員がマネージャーと一緒に食事を用意していました。担当になると朝4時45分に起きて、部員約30人分の朝食とお昼のお弁当を作っていました。ただし、他の人を起こす心配があるため目覚まし時計の使用は禁止だったので、最初の頃は寝坊しないようにずっと起きていたのですが、当番に慣れてくると時間になれば自然と目が覚めるようになりました。
高校在学中に全日本代表に選ばれた大林さんは、社会人チームやオリンピックなどでも活躍したが、けがにも悩まされて1997年に引退を決意する。
社会人チームでは、栄養士がバランスを考えた食事を毎日作ってくれていたので、何を食べればいいのかが自然と身に付きました。そのためオリンピック出場時、選手村のバイキング形式の食事で何を食べるべきかということは体が分かっていましたね。また、プロになってからも体づくりのための食事を摂っていましたが、膝に痛み止めの注射を打ってテーピングをするなど、常に限界ギリギリの状態で戦っていました。まさに満身創痍で、ベストな状態でプレーすることができなくなり、1997年3月に現役を引退しました。
意識して体を動かすように心掛ける
引退後、体を動かしたいという欲求はなく、体力面で不安に感じることはなかったが……。
引退した翌日から、体を動かしたい欲求は一切なかったためスポーツジムに通うこともなく、運動ゼロになっても何の違和感もありませんでした。ただ仕事で、体育会系のテレビ番組やバレーボール教室など、体を動かすものが多かったため、自然に体を動かしていました。また、バレーボールを17年間続けていたため、代謝の良さとか基礎体力は普通の人以上にあったようで、引退後10年間は体に不安を感じることはありませんでした。でも、40歳を過ぎてからは徐々に年相応になってきたのか、舞台をやっていると息切れをするようになりました。そのため、階段の上り下り、移動時に1駅ならば歩く、家でかかと上げやストレッチをするなど、意識して体を動かすようになりました。
大林さんは、食事の面でも現役時代の経験を生かして質のいい物を摂取するようにしている。
現役引退後は、食事もあまり気にすることがなかったのですが、やはり40歳を過ぎてからは質のいい物を摂取するように心掛けていて、キノコ、豆腐、納豆を中心にした食事が多いです。また、体を冷やさないように生野菜よりも温野菜を食べる、冷たい物よりも温かい物を飲むようにしています。特に今は仕事の中心が舞台で、最近CDも出しているので喉を大切にするためにハーブティーをよく飲んでいます。
最後に、大林さんから読者に向けて食事や運動に関するアドバイスを伺った。
人は年齢とともに、どうしても体の衰えを感じるようになるので、自分の好きなことを優先するのではなく、今の自分に必要な食事や運動をまず考えるようにして、体が欲している物を感じられるようになれたらいいと思います。そのためには、かかと上げや階段の上り下りなど、毎日続けることができる自分に適した運動を探すことをお勧めします。