「細胞と遺伝子」 第10回 中和抗体とともに産生される感染増強抗体

イラストレーション/北澤平祐

河合香織(かわい・かおり)

ノンフィクション作家。著書に『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』(大宅壮一ノンフィクション賞受賞)など。現在、東京大学大学院で生命倫理を学ぶ。近著は『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』。

ワクチンや感染で中和抗体は作られるが、同時に、ウイルスと細胞の結合を促進させ、中和抗体の働きを弱めて感染を増強させる抗体も作られていることが、新型コロナウイルスの研究で明らかになった。ワクチンはかえって重症化させるのではと不安になるが、一定数以上の中和抗体があれば感染増強抗体は作用しないので、心配無用という。中和抗体と感染増強抗体がどう作用し合うのか——今後の研究が注目されている。

大阪大学微生物病研究所免疫化学分野教授

荒瀬 尚(あらせ・ひさし)

1990年、北海道大学医学部医学科卒業後、同大大学院博士課程に進学。カリフォルニア大学サンフランシスコ校研究員、大阪大学微生物病研究所免疫化学分野助教授を経て、2006年から現職。

その論文を発表してからしばらくは、大阪大学微生物病研究所免疫化学分野・荒瀬尚教授の研究室には一般の人からの問い合わせ電話が鳴り止まなかった。

「ワクチンを打っても大丈夫でしょうか」

「1回接種したのですが、2回目はどうすればいいでしょうか」

「自己免疫の疾患があるのですが、ワクチン接種は可能でしょうか」

荒瀬教授は、できるだけ自ら電話に出て、丁寧に応答するようにしていた。個別の疾患に関しては主治医に相談してくださいと言うしかないのだが、わざわざ研究室まで電話してくる人は熱心で、自分が話さないと納得しないと考えたからだ。

荒瀬教授が2021年5月に、トップジャーナルであるCell誌に発表した論文は、研究者のみならず、一般の我々からも大きな関心を集めた。

良いものだと考えられてきた抗体の中に、新型コロナウイルス感染症の悪化に関わる抗体が見つかったという。体内の細胞とウイルスの結合を促す、つまり感染を増強する抗体で、6種類ほど存在することが明らかになった。

さらに、その「感染増強抗体」は、重症者から多く見つかっており、感染を防ぐ働きをする「中和抗体」の効果を弱めていたこともわかった。

中和抗体が十分にあれば作用しない

そして何よりも人々が反応したのは、ウイルスに感染するだけではなく、ワクチンによってもこの抗体が産生されるという内容であった。

最も多く寄せられる質問は、「ワクチンを打つと感染増強抗体により、かえって感染が重症化するのではないか」という質問だった。

荒瀬教授はこのように答えているという。

「感染増強抗体で重要なのは、中和抗体が十分にあれば作用しないということです」

感染増強抗体は、ワクチンだけではなく、ウイルスに感染しても産生される。そして、中和抗体の量は感染で産生される値より、ワクチンでのほうが高くなるという。

「中和抗体量と感染増強抗体量は比例します。軽度に感染した人より、ワクチンを打った人のほうが感染増強抗体も中和抗体もたくさん増える。ただし、重要なのはそれらの差ではなく、ある一定以上の中和抗体ができると感染増強抗体が作用しないということです(図1)。例えば中和抗体が10産生されれば、感染増強抗体が100でも1000でも問題がない。だから、中和抗体があるレベルまで産生されることが重要で、現状では感染増強抗体がワクチンによって悪さをするわけではないため、接種するメリットがあると思います」

図1 感染増強抗体と中和抗体のバランスある一定以上の中和抗体ができると感染増強抗体が作用しなくなる。そのため、中和抗体があるレベルまで産生されることが重要だ。

さらに、続いてよく質問されることに、「しばらく時間が経つと、中和抗体だけが減って、感染増強抗体だけが残ることはないか」という疑問だ。

荒瀬教授は、「確かに時間とともに中和抗体が下がるといわれていますが、感染増強抗体だけ残ることは考えにくい」と述べる。

新型コロナウイルス感染症が流行してすぐに、ワクチンを接種することでADEと呼ばれる抗体依存性感染増強が起きるのではないかという問題は指摘されていた。ウイルスから身体を守る抗体が、免疫細胞などにウイルスが感染することを促進することになりかねないという懸念だ。

これまでは、ウイルス粒子に抗体が結合すると、抗体の受容体である「Fc受容体」を発現している免疫細胞にウイルスが感染しやすくなって、かえって感染が増強されると考えられてきた。

しかし、荒瀬教授らの研究グループは、新型コロナウイルス感染者の血液から取り出した76種類の抗体の働きを解析して、人間の細胞の表面にある「ACE2」というタンパク質にウイルスが結合しやすくなる感染増強抗体を発見し、この問題の研究に重要な知見を与えた。感染増強抗体は、ウイルス表面の突起状になったスパイクの先端部分を変質させ、新型コロナウイルスが細胞へ感染するときの受容体であるACE2と3倍程度結合しやすくする働きがあったという。

「抗体に対する細胞の受容体としてはFc受容体というものが存在していて、これが発現する細胞に対して、抗体がウイルスと細胞を架橋するようにして感染します。そういう感染に関してはデングウイルスとかジカウイルスなどで関連があるといわれてきたのです。こういった受容体は特定の細胞でしか発現しておらず、モノサイトやマクロファージといった白血球の細胞にしかこのようなメカニズムは起こらないと思われてきました」

例えば肺の細胞には、Fc受容体は発現していない。

「今回わかった大きなポイントは、抗体がタンパク質の分子に結合すると、それによりタンパク質の構造が変わってしまい、感染性が高まるということでした。今までは、こういったものはモノサイトやマクロファージしか標的ではなかったが、肺の細胞にも感染性が高まるし、どんな細胞でも高まるのではないかと思います」

さらに、感染していなくてももともと感染増強抗体を持っている人がいることを、荒瀬教授らは論文で指摘した。

感染増強抗体をすでに持っている人も

「一部には感染増強抗体だけ持っている人もいれば、中和抗体だけ持っている人もいる。理由はまだわかっていませんが、風邪のコロナウイルスなのか他の感染症なのか、とにかく何らかの交差反応性によって、抗体を有している人がいました。そういう感染増強抗体をすでに持っている人が感染した場合は、そちらが中和抗体よりも先に産生されてしまい、重症化する可能性もあります」

そのために、感染増強抗体があるかを調べられるキットなどができれば、重症化のリスクの指標として活用することもできるかもしれない。

「感染増強抗体をもともと持っている人には、優先的にワクチンを打って、中和抗体を上げることもできるでしょう」

そして、この抗体を持っている人と持っていない人を比較していくことで、「なぜ重症化するのか」という、新型コロナウイルスの謎の解明につながる可能性もあるのだという。

「どうしてこのウイルスは特定の人だけが重症化するのか。若い人で重症化することもあります。何らかの過去の免疫反応が影響をしているのではないかという仮説も考えていますが、まだわかっていません。重症化のファクターが見つかれば、対処方法も見つかるかもしれません。例えばそういう人にワクチンを投与や入院を優先させることもできるでしょう」

荒瀬教授が今、最も懸念しているのは、変異ウイルスの問題だ。

中和抗体に認識されないように変異

「変異ウイルスでは、中和抗体より感染増強抗体の認識部位のほうがよく保持されています。ウイルスは中和抗体が嫌いで、逃れようとどんどん変異していくのですが、感染増強抗体はウイルスにとって都合が良い可能性があり、多くの変異ウイルスで感染増強抗体が認識できます」

日本で流行しているデルタ株ではどうだろうか。

「デルタ株でも中和抗体は有効ですが、他のいろいろな変異株で中和抗体が認識されないようになってきています。例えばL452Rという変異体が出ていて、これにはワクチンに対する抵抗性が関与しているのではないかともいわれています。株によって中和抗体の認識部位の変異が異なるのですが、いずれにせよ、ウイルスは中和抗体に認識されないように、どんどん変異を獲得していきます」

一方で、感染増強抗体は変異株でどんな変化があるのだろうか。

「今後どんどんと変異が進んでいって、ワクチンの中和抗体が効かなくなってくると、感染増強抗体が優位になる可能性も否定できません。それならもともと感染増強抗体を誘導しないワクチンを開発したほうがいいのではないかとも思います」

現時点では、日本において中和抗体が効かないウイルスがあるわけではないし、今後発生しないかもしれない。しかし、次世代のワクチンに向けての基礎研究は重要だという。

「まず、変異ウイルスでも中和できるワクチンですが、一番単純なのはスパイクタンパク質を、変異のスパイクタンパク質に変えてやればいいでしょう。あとは感染増強抗体を誘導しないほうが無難かと思います。感染増強抗体はスパイクタンパク質の特定の場所に付いたときだけ、増強効果を誘導するので(図2)、例えばその部分を認識するアミノ酸を別のアミノ酸に変えてやれば、感染増強抗体を誘導しないワクチンができるのではないかと考えられます」

図2 新型コロナウイルスのスパイクタンパク質スパイクタンパク質のある部分が、感染増強抗体で引っ張られることにより構造が変わり感染しやすくなる。

それらの感染増強抗体を誘導しないワクチンの開発は、かなり時間がかかるものなのだろうか。

「実はファイザー/ビオンテック社やモデルナ社などのメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンは、あっという間に変えることができます。おそらく数週間で可能だと思います。ただし、変えたところで、本当にそれで感染増強抗体を誘導しないのかを検証するには、マウスにワクチンを接種して調べないといけません。作ること自体は難しくないけれど、その設計、有効性、安全性を検証するのには時間がかかります」

現在のデルタ株を調べると、中和抗体の認識部位には経時的に変異が増えているが、感染増強抗体の認識部位には変化がないという。

「それでも、感染すれば感染増強抗体はどっちみちできる。それならワクチンを打って、まずは新型コロナウイルスに感染しないほうがいいかもしれません。ブラジルでは野生型に1回かかっても、変異したブラジル型にもう1回かかるというデータも出ています。ですので、感染による中和抗体ではなく、ワクチンによって十分、抗体値を上げることが重要です。もしも感染増強抗体ができても、重症化しないほうがメリットのある人もいるでしょう。またウイルス感染の防御には抗体だけでなく、T細胞も重要であり、現在のところT細胞が認識できなくなる変異ウイルスはありません。実際、ワクチン接種が進んでいる英国では非常に感染者が増加しているにもかかわらず重症化する人は少なくなっています」

さらに、中和抗体が高い回復者の血清を使った研究が国内外でなされているが、感染増強抗体が低いことを確かめた血清を選ぶことでより有効な治療になるとも述べる。

このような抗体は新型コロナウイルスだけで発見されているのだろうか。

「現時点ではまだそうですが、スパイクタンパク質のある部分が抗体で引っ張られると構造が変わって感染しやすくなるため、もしかすると他のウイルスのタンパク質でも同じことがあるかもしれません」

なぜ今まで発見されなかったのか。

「これまで抗体の機能は阻害剤として考えられてきました。中和抗体はウイルス分子が細胞の受容体へ結合するのをブロックします。ノーベル賞を受賞された本庶佑教授の免疫チェックポイント阻害剤も、免疫抑制化受容体にがん細胞の分子を結合しなくする抗体です。大阪大学の岸本忠三教授が見つけた関節リウマチの薬もサイトカインの受容体への結合を阻害する抗体です。このように抗体の機能は2つの分子の相互作用を抑えることがメインだと考えられてきました。しかし、今回の感染増強抗体については、阻害するのではなく抗体が結合することで標的分子の構造が変わるということが初めてわかりました。今までこういう解析はあまりされていませんでした」

感染増強抗体は除去できるか?

荒瀬教授は、これまでにもいろいろなウイルスが免疫からどのように逃れるかを研究してきたという。単純ヘルペスウイルスが免疫からどのように逃れるかを解析した研究はCell誌に、マラリア原虫の抑制化受容体を介した免疫応答がマラリアの重症化に関わっていることを発見した研究はnature誌に掲載されている。つまり、免疫学の視点から病原体と免疫系の分子との相互作用の研究をしてきたのだ。

また、自己免疫疾患の発症機構も研究してきたため、自己免疫疾患と新型コロナウイルスの抗体の関係も視野に入れている。

「現在の医学では、一度できてしまった抗体を取り除くことはできません。自己免疫疾患はいろいろな自己抗体ができて病気になりますが、その抗体をもしも取り除くことができれば治療につながるかもしれない。そうなれば感染増強抗体を取り除くこともできるようになるかもしれません」

荒瀬教授は取材時に、「もうすぐ私もワクチンを打つ」と話していた。ワクチン接種後の血清を詳細に調べることにより、中和抗体と感染増強抗体がどのように作用し合っているのかを経時的に分析するつもりだ。

それにしても、荒瀬教授は新型コロナウイルスに関わってまだたった1年半だという。ここまで大きな成果に短期間でたどり着けたのはなぜか。

「阪大の微生物病研究所が一丸となって、このウイルスの研究に取り組んでいます。これまではさまざまな病原体の研究をしていた研究室が、2週間に1度集まって新型コロナウイルスに関する研究会議をしています。これは互いの情報交換として大変有意義な機会になっています。また、僕はさまざまな病原体の研究をしてきたので、新型コロナウイルスにも対応性が高かったのかもしれません。自己免疫疾患の研究と、マラリアの研究をともにしている研究室は他にあまりないでしょう。このような一見、関連のないように見える研究でも、実は密接に研究はつながり合っているのだと思います」

(図版提供:荒瀬 尚)

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ヘルシスト 269号

2021年9月10日発行
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