特集 科学的防災のススメ 災害時の感染症対策の要諦は普段の生活の延長線上にある

構成/飯塚りえ

密集する場所では感染症は必ず起こる。しかし密集を避けられないのが災害時の避難所。では、避けられない感染症をどう制御するか―。重要なのは、適切な対策と流行の兆候を監視する体制なのだという。東日本大震災のときは、岩手県で専門家と行政の感染制御支援チームが感染症の発生動向を調査し、集団感染を小規模に抑えることに成功している。一方、コロナ禍を経て、密集する場所での感染症対策は社会に浸透してきている。この経験は無駄ではないはずだ。

東八幡平病院危機管理担当顧問/感染制御医

櫻井 滋(さくらい・しげる)

1955年、岩手県盛岡市生まれ。1981年、金沢医科大学医学部医学科卒業。1990年、医学博士。同年、アメリカ・ワシントン大学医学部呼吸器・集中治療部門客員研究員。1991年、金沢医科大学病院呼吸器集中治療部門副部長。1994年、岩手医科大学医学部第三内科講師。2003年、同大附属病院医療安全管理部感染症対策室室長。2009年、岩手医科大学医学部臨床検査医学講座准教授。2010年、同大医学部睡眠医療学科教授・学科長。2021年4月からみちのく愛隣協会理事、東八幡平病院危機管理担当顧問。

感染症を制御するには、適切な感染対策が行われているか、感染症流行の兆候がないかを監視する体制が必要です。災害時、避難所の健康支援は医療スタッフや保健所職員が行いますが、感染症の予防に取り組むには、専門知識を持った人材を介入させることが望まれます。

私は、岩手医科大学附属病院で院内感染対策を担当していたことから、東日本大震災をきっかけに避難所の感染症対策に携わるようになりました。そうした立場の私たちから見ると、「人が密集する所では100%感染症が起こる」という認識であり、避難所での感染症流行は避けられないと考えていました。

避難所を北から南に向かって順に視察

まず、東日本大震災発生当時の様子から説明しましょう。感染症を制御するのは保健所の役目なのですが、当時、保健所の職員も被災 していた上に、動ける職員は被災者の身元確認や生存確認で手いっぱいになり、本来の業務ができない、それどころではないという状況でした(図1)。

図1 2011年3月17日の岩手県・大槌町津波による浸水が3階建て家屋の高さに達した。全県で数日間に及ぶ停電に見舞われ、約5万人が避難生活を余儀なくされた。

一方で、病院としては、もし避難所で集団感染が起こり、何十人もの患者が発生しても受け入れる余力がないという事情がありました。通信や交通のインフラが絶たれて、甚大な被害を受けた沿岸地域の避難所の状況がまったくわからず、現状を把握して感染症の流行に対応するため、私は、感染対策に携わる薬剤師と2人で岩手県の避難所を北から南に向かって順に視察することになりました。発災3日後の3月14日から、収容人数が100人以上の避難所を巡回し始めたのですが、保健所でもない、災害派遣医療チーム(DMAT)でもない、他県から応援に来た医師でもない、何の権限もない2人が感染症の調査に来たということで、活動が限られてしまったことを覚えています。

岩手医科大学附属病院の名刺だけを頼りに、「生き残った人たちを感染症の危険から守るため」と訴え調査を続けていたところ、4月には保健担当部局まで私たちの活動が伝わり、国立感染症研究所および県としても情報を必要としていることから正式に組織化しましょうということになりました。被災後、さまざまな制約がある中で広域の感染制御を行うとなると、大学病院だけでは限界があり、行政との連携が必要だと実感していたので、岩手県庁に本部を置く「いわて災害医療支援ネットワーク感染制御支援チーム(ICAT)」が発足したことは、感染症対策に向けての大きな一歩でした。

避難所を訪ねて、まず調査したのは衣類、食事、居住に関する実態と衛生環境です。上下水道や電気、燃料などのインフラが打撃を受け、復旧に時間を要する場合、その期間が長くなるほど衛生的な環境が失われ、基本的な生活基盤が崩壊することによって、感染症のリスクが高まります。

普段の生活での対策では足りない

日本は上下水道がほぼ整備され、ごみ処理が適正になされていることで、安全な水と衛生環境が維持されています。それを当たり前として生活していますから、非常時の感染症対策に関しては、知識が十分とはいえません。皆さん、避難所でも対策してはいるのですが、不特定多数の集団が長期にわたり一緒に暮らす環境では、普段の生活で行っているような対策では足りないわけです。

例えば、避難所で、手指消毒用にアルコール消毒液が設置され「アルコールで手を洗いましょう」と貼り紙で啓発しながら、手を拭くための共用タオルが置いてあり使い回していた、という場面を見たときには、「大変だ!」と痛感しました。現在は新型コロナウイルス対策によって「アルコール消毒液は手に塗りつけるもの」であり、多くの人とタオルを共用することが感染リスクをより高めることも一般的に周知されています。これは正に私たちが目指した「基本的な感染症対策を文化にする」ということが実現したともいえます。こうして身に付けた知識や習慣は、災害時の健康リスクを軽減することにつながります。

食べ物の調達方法にも感染リスクが伴います。学校給食などでもわかるように、集団に食事を提供するときは本来、衛生的な服装で、手袋をし、器具も消毒して使います。しかし避難所では物資がないためそこまでの対策が及ばなかったり、土足で入る物置小屋を調理場にしている所もありました(図2)。ボランティアによる炊き出しも各地で行われていました。ありがたく温かい行為ではあるのですが、実は多くの感染リスクが存在するといえます。

図2 物置小屋を調理場にしていた事例奥には泥の付いた草刈り機やくわが置いてあり仕切りはない。土足で歩く床にガス炊飯器を直に置いて炊飯していた。水道がないのでトイレ前の水道から長いホースで水を引いている。

私たちは、これらの感染リスクを減らせるように、正しい情報を提供し、人々に適切な知識を身に付けていただいて、できる限り多くの人々が元気なままで避難生活を送り、復旧に向かっていけるよう支援することを活動の目的としました。

一般的な避難所における基本的な感染対策は「予防」です。なるべく早い段階でリスクを把握し、改善できるよう適切に支援すること、また、感染症が発生しそうな兆候が見られたら、状況に応じて衛生用品の手配や予防薬の調達をすることが求められるため、感染制御の実務経験者や専門教育を受けた者が支援者として介入することが望ましいのです。

被災直後の避難所は、インフラや衛生状態が十分でないことが前提であり、完全な感染対策はできません。環境やリソースに制約がある中でも、創意工夫して現場の状況に応じた最善の策を講じる。そういった地道な対応を重ねていくことが、感染症の制御につながります。

予防接種は災害時の感染予防として効果的

災害後に起こる感染症は、おおむね時期が決まっていて、これは国内外問わず多くの事例で共通しています。発災直後はけがが原因となる感染症が目立ちます(図3)。がれきやくぎなどを踏んだりつかんだりすることで生じた傷や、けがをした足で泥の中を歩くなどの行為には、破傷風やガス壊疽のリスクがあります。感染すると命の危険につながる可能性もあるので、大きな傷ではない、我慢できると思って放置せず、消毒などの処置を受けたり、医療従事者に申し出る必要があります。外傷からの感染症にも潜伏期間があることも覚えておきましょう。

出典:日本環境感染学会編「大規模自然災害の被災地における感染制御マネージメントの手引き」

図3 災害後に問題となる感染症と発症(流行)時期初めは災害に特異的な感染症が現れ、続いて避難生活や衛生環境の悪化に関連する感染症が増え始めていく。

次に見られるようになるのが、インフルエンザや肺炎、子どもは手足口病など、呼吸器の感染症です。新型コロナウイルス感染症もこれに含まれます。これらは飛沫感染で広がっていくので、マスク、手洗い、くしゃみやで飛沫が飛んだ部分の消毒で予防します。平時から予防接種を受けておくことも、災害時の感染予防として非常に効果的です。

被災地への支援が始まると、食事に関連する感染症が増えてきます。避難所で発生する感染症の中でも下痢や嘔吐は最も一般的で、ほとんどがノロウイルスによるものです。調理や食事の前には手を清潔にする、調理場を衛生的に保つ、食器は使い捨てか消毒したものを使う、なるべく作り置きはしない、食べ残しを保存しないなどの対策が必要になります。

どこの災害の現場でも、こうした感染症の流行に一定のパターンが認められますが、あくまでも経験値であり、科学的な検証がなされているわけではありません。被災時に、科学的な検証や比較ができるデータを集めることは、極めて困難だからです。災害が起こるたびに症例報告を集め、経験則としてのデータを地道に積み重ねていき、どのようなパターンが現れるのか、どのような動向が見られるのか、共通点を見いだして対策していくことが優先だと考えています。

岩手県の避難所を巡回して情報を集めていたとき、防衛医科大学校の教授から「インターネットを使ってサーベイランス(感染症の発生動向調査)をやりませんか?」と声をかけていただきました。加來教授が津波被害の調査で東南アジアへ派遣されたとき、下痢が流行していて、どこでどのくらい下痢が発生しているのかというサーベイランスをしたそうです。その経験から、インターネット経由で各地から共通フォーマットでデータ入力できるデータベースアプリを開発していました。それを活用して効率的にデータ収集しようということになったのです。

通信キャリア会社の協力で、タブレット端末を50〜60台貸し出してもらえることになり、4月7日から順次、避難所に配布して定期的に入力してもらうことにしました。入力項目は発熱、下痢、腹痛などの症状があるかどうか。また、感染症に伴う症候も入力できるようにしました。入力データはGoogleマップにプロットし、コメント欄に全体および各避難所における感染症の発生動向を表示するようにしました(図4)。

図4 入力されたデータをGoogleマップにプロット端末の設置状況と各避難所における感染症の発生動向を表示。健康情報は登録者が基本的に毎日入力。岩手県全体の動向も確認できるようになっていた。

重要なのは専門家の目で避難所を見ること

サーベイランスシステムを使った避難所の感染症発生動向の監視は、8月まで継続して、仮設住宅への入居による避難所の閉鎖・縮小に伴って終了しました。ICATメンバーによる巡回との相乗効果で、感染症発生の兆候を早期に把握し、迅速に対応できたことから、近県と比べても感染症の集団感染を小規模(30人程度が2回)にとどめることができました。

アメリカには連邦緊急事態管理庁(FEMA)や疾病予防管理センター(CDC)があり、災害時のサーベイランスやデータバンクの仕組みが構築されていますが、日本では災害が起こるたびに状況に応じた態勢や仕組みが構築され、事態が収束すれば解散となります。

ただ、感染症はなくなりませんから、その都度、対応を積み重ねていくうちに、少しずつ感染対策・感染予防のインフラも整備されるだろうと考えています。岩手県ではICATが県議会の承認を経て正式な組織として2012年6月から常設されることになりました。ICATの活動にたくさんの方が目を向けてくださるようになったのは一つの成果です。

私たちの活動が政府にも認識されるようになり、厚生労働省防災業務計画(2017年7月)に、被災した自治体は「日本環境感染学会等と連携し(中略)、感染対策チーム(ICT)の派遣を迅速に要請すること」という一文が記載されました。これは非常に画期的なことで、将来的には感染対策が法令化されることを期待しています。

災害時の感染症制御で重要なのは、専門家の目で避難所を見ることです。治療や処置をする医師や看護師だけではなく、感染症の予防や衛生状況に落ち度がないかを監視する役が現地には必要です。感染制御とは、マクロな視点で環境全体を整備することなのです。

一方で、新型コロナウイルスのパンデミックにより、一般の方たちの感染予防リテラシーが高まったのは、つらいコロナ禍にあってプラスの側面です。人が密集する所ではマスクが当たり前になりましたし、避難所に入る前に熱を測ったり、健康状態をチェックしたりすることに違和感はないでしょう。

もしリスクの高い人がいれば、念のため隔離なり行動制限なりをして周囲への感染を防ぐ。日常で行っている、そういった感染対策を、災害が起きたら強化すればよいわけです。

普段の生活の延長線上に災害時の感染対策があり、不自由な状況にあってもできる限りのことを行うという意識が求められるのです。

(図版提供:櫻井 滋)

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2023年1月10日発行
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