がんは、損傷したDNAを持つ細胞が修復されずにたまることが原因だ。DNAは簡単に傷つくため、私たちは “がんの芽”を常に持っている状態だという。しかし体には傷ついた細胞を排除する仕組みが備わっていて、簡単にはがんにならない。がんになるかどうかにはさまざまな要因が絡むが、生活習慣の影響が極めて大きい。がんの多くは生活習慣の改善で最大60%の予防効果が得られ、残り40%のほとんどは早期発見で対応できるという。がんを遠ざける確かな方法が分かってきた。
〈シリーズ〉がんから身をまもる
第2回 進化する「予防・検査・診断」 最大60%の予防効果! 生活習慣改善のすごさ
構成/飯塚りえ イラストレーション/小湊好治
早期に見つけて治療するのは、どのような病気にとっても大切な一歩です。風邪の症状が出たときに、早めに薬を飲んで休んだので、ひどくならなかったという経験を持つ人は多くいると思います。がんに関しても早期発見・早期治療の有効性は計り知れません。
がん細胞化を抑制する4つの仕組み
がんはDNAに傷がついた細胞が修復されずにたまってしまうことが原因です。と言っても、細胞のDNAは思いのほか簡単に傷がつきます。屋外で紫外線を浴びるだけでも、顔の皮膚組織には、DNAが傷ついた細胞が至る所に存在するという状態になります。私たちの体にはそうした異常のある細胞が常に5000個程度はあるともいわれています。いつも“がんの芽”を持っている状態なのです。
そして私たちの体には、その小さな傷を排除する仕組みが4つ備わっています。
1つは、DNAを修復するための酵素です。私たちの体には、DNAの損傷を見つけて素早く塩基を修復する仕組みがあります。2つ目に、傷が修復できない場合、細胞が自死するプログラム「アポトーシス」が動き出し、その細胞は死んでしまいます。3つ目は、異常細胞を見つけたらそれを除去する免疫です。
4つ目は、最近知られるようになった細胞競合です。細胞集団の中にやや異質な細胞が交ざっていると、周辺の細胞がその異質な細胞を集団の中から押し出して排除してしまう機構です。
これら4つのメカニズムは、どれも将来がんになり得る異常な細胞を排除する、私たちの体に備わった仕組みです。
しかし、こうした傷を持つ細胞が排除の仕組みをすり抜けることがあります。それが蓄積され、例えば大腸であれば、異常を来した粘膜上皮にある上皮細胞が増殖してがんとなっていきます。
ただし、異常を来した細胞が必ずしもがんになるとは限りません。検診などで見つかってもその時点でがんでないとなれば、経過を観察する措置が取られます。
国が推奨しているがん検診(対策型)で扱う5大がん(肺がん、大腸がん、乳がん、胃がん、子宮頸がん)は、次のような理由から、科学的な根拠に基づいて、検診の意義があるがん種として選定されています。
1つは日本人の罹患率とともに、そのがんが原因の死亡者数が多いこと。大腸、胃、肺はいつもトップ3に入ります。2つ目に、この5つのがんは、放置すれば亡くなってしまうこと。3つ目に、がんの進行速度と1年に1回、2年に1回、といった検診サイクルが見合っていること、そして5年生存率を見ると、早期発見・治療が奏効するがんであることです。
膵がんなどの進行の速いがんは、たとえ早期で見つかっても治療が難しい場合があり、また発見が難しいのも現実です。
膨大なデータによる有効性の高い方法
他方、多くの甲状腺がんや前立腺がんといった進行の遅いがんは1年に1回の検診では頻度が高すぎるかもしれません。例えば、前立腺がんは、死亡時、男性の7割ほどに見つかるようながん種です。言い換えれば、このがんが原因で亡くなる方が少ないがん種です。甲状腺のがんについては韓国の例が有名です。がん検診の対象に甲状腺を入れたところ、最も多く見つかるがん種となってしまいました。ところが、検診を続け早期に発見して措置しても、死亡率自体に変化が見られなかったのです。これもまた「死なないがん」であり、ゆっくりと治療していきましょう、あるいは治療しなくてもいいでしょう、と判断してよいがんなのです。
5大がんの検診方法もまた、膨大なデータを基に、コストと検出率を勘案しながら選定された有効性の高い方法です。私は大腸がんを専門としているので、大腸がんの検診方法である便潜血を調べる検査について説明しましょう(図1)。
私たちを構成する細胞は、血管から酸素や栄養を得たり、二酸化炭素や老廃物を排出したりするために、必要に応じて、自身の周囲に血管を作っていきます。細胞は血管から1㎜も離れることはできません。こうした血管との関係は、がん細胞も同様です。しかし、がん細胞の増殖は非常に速く(細胞分裂すると2乗で増殖する)、がん組織は突貫工事で血管を作っていきます。ルールもなく作るのでがん組織の周辺には細くもろい血管ができあがります。このがん組織周辺を便が通ると、ボロボロの血管とすれ合って出た血液が便に付着します。がん検診の便潜血検査は、この血液を検出するものです。そのため採便の際には、検査用の棒を便に突き刺して便を回収するのではなく、優しく便をなでるようにして棒の溝に便をくっつけ、回収するのが正しい方法です。便潜血の検査は2回行うこととされていますが、先述した検査の意味が分かれば、2回という意味も理解できると思います。日を置いて2回、便を回収したほうが、出血を捉える確率が上がるのです。
国立がん研究センターの多目的コホート研究によると、1990年の研究開始時点のアンケート調査で、対象者の17%が、過去1年間に便潜血検査を受けたと回答していました。その人たちと大腸がん検診の受診をしていない人たちとで、その後の大腸がんによる死亡率を比較したところ、大腸がん検診受診なしの人と比べ、大腸がん検診受診ありの人では大腸がんによる死亡率が大幅に低下していることが分かりました。便潜血検査は、手軽に、安価で実行できる優れたスクリーニング法であり、がんの可能性があるとなれば大腸内視鏡などの二次検査を受けることで、早期発見率はぐんと上がります。
ただ、残念なことに精密検査が必要になった人のうち、実際に精密検査を受ける人が7割弱にとどまっています。大腸がんは罹患率が増加する中、早期に見つけて治療すればさまざまな負担も軽く、治療が可能ながんの代表です。ぜひ、受診してもらいたいと思います。
ここまで述べてきたのは、「がんで死なない」ことを目標にした二次予防についてですが、がんにならないための一次予防も大切です。
繰り返し言われることですが、がんの多くは生活習慣病です。つまり生活習慣によって一定程度の予防をすることができるのですが、実際には、喫煙が最も認知されている程度で、睡眠や運動、食生活などが具体的にどのように影響するのか、生活習慣の改善のすごさを実感できない人も少なくないと思われます。
残りの4割は早期発見で対応する
国立がん研究センターの調査では、生活習慣の改善によって、最大6割のがん予防効果が得られると考えられています。残りの4割のほとんどは、がん検診などを利用して早期発見をすることにより、症状が出る前に対応することができます。生活習慣の改善は、遺伝子多型に起因するがんリスクをも下げることが知られています。つまり、ある程度、遺伝子で決まっていることすら、変える力があるのです。
例えば、心筋梗塞などの遺伝学的リスクの高い人が生活習慣を改善すると、遺伝学的リスクの低い人で生活習慣病になりやすい生活をしている人のリスク値とほぼ同じになることが報告されています(図2)。
中でも、日本人ががん予防のために特に注意すべき生活習慣があります。
国立がん研究センターでは1990年から生活習慣とがんとの関係について調べてきました(図3)。
その結果、5つの生活習慣を心がけ、実行している人は、まったくしていない、もしくは1つしか実行しない人に比べて、男性で43%、女性で37%、がんになるリスクが低くなりました。
5つの生活習慣とは、1. 非喫煙(過去喫煙は含まず)、2. 節酒、3. 塩蔵品を控える、4. 活発な身体活動、5. 適正なBMI値——のことです(図4)。
禁煙は大きな効果があります。図3で示されているように、日本人男性のがんの原因の第1位が喫煙です。昨今、副流煙(たばこの先端の燃焼部分から立ち上る煙)を含め、たばこを吸わないことが、がんの予防に有効であることが広く知れ渡り、成人男性でも喫煙率は3割を切ることができました(27.1%。男女計では16.7%。2019年、国民健康・栄養調査より)。分煙も進み、職場のデスクが煙で見えなかった時代と比べて、職場環境も大変良くなりました。「がん対策推進基本計画」では、「成人喫煙率を12%とすること」と「妊娠中および20歳未満の者の喫煙をなくすこと」が目標とされていますので、実現に向けてさらに禁煙を進めていく必要があると思われます。
がんから身をまもる「あいうえお作文」
飲酒は、日本人男性を対象とした研究から、1日当たりの平均アルコール摂取量が、純エタノール量換算で23g未満の人に比べ、46g以上の場合で40%程度、69g以上で60%程度、がんになるリスクが高くなることが分かっています。純エタノール量23gは、日本酒で1合、ビール大瓶(633㎖)で1本、焼酎・泡盛は原液で1合の3分の2、ワインならグラス2杯程度に相当します。女性のほうが飲酒の影響を受けやすいともいわれます。
塩分を摂りすぎると胃がんのリスクが高くなることや、野菜・果物を積極的に摂ることで食道がん、肺がんのリスクが減るという報告もあります。
また、適度な運動によって何らかのがんになるリスクが低下することも分かっています。健康づくりのために推奨される運動量は、18歳から64歳でウォーキング程度の強度の運動を1日60分程度、息が弾み汗をかく程度の運動は1週間に60分程度、65歳以上では、強度を問わず、身体活動を毎日40分程度とされています。
私は、京都の小学生にこの習慣を「あいうえお作文」で覚えてもらっています。
大人でも、これくらいなら普段から意識することができそうです。
日本人のがんの主な原因は、喫煙の他、感染症(ヘリコバクター・ピロリ、肝炎ウイルス、ヒトパピローマウイルス)も指摘されています。感染症に関しては、抗生剤、抗ウイルス剤、ワクチンなどの薬剤が開発されています。では、生活習慣に深く関わるがん(大腸がん、乳がんなどは肥満関連がん)に対して、予防的に作用する薬はないのでしょうか。
私たちのグループは、腺がん(上皮細胞から発生するがん)に抗炎症剤が予防効果を示すことに注目して、大腸がんに対する低用量アスピリンの発がん予防効果を研究しています。
大腸ポリープのあった人に低用量アスピリンを服用してもらったところ、大腸ポリープの再発が対照群と比べて4割減少しました。また、生涯がん発生率が40〜100%である家族性大腸腺腫症の患者さんに低用量アスピリンを服用してもらったところ、5㎜以上の大腸ポリープの増大が対照群と比べて6割減少しました。大腸ポリープは、がん発生の母体となる前がん病変ですので、アスピリンは大腸がん予防が期待される薬剤です。
家族性大腸腺腫症はがんのハイリスクグループで、大腸の予防的切除が標準治療となっていますが、大腸を失うことによるQOLの低下は想像に難くありません。これを、アスピリンという、発売から約120年もの歴史があり、副作用も十分に知られている薬で解決できるとしたら素晴らしいことです。現在、薬事承認に向けた最後の臨床試験を行っているところですので、近い将来、がん予防薬が利用できる日が来ると信じています。
がん予防薬は、ある程度長く(4年程度)服用する必要がありますので、安全で安価である必要があります。しかし、これまで民間ではがん予防薬の製薬という事業がなく、一般に概念が普及しないのががん予防薬開発の現状です。がん予防薬の存在を多くの人に知っていただき、市民権を得るところから始めなければならないのかもしれません。
がんの制御は総合戦しかありません。がん検診、そしてがんを起こさない生活習慣改善に加えて、がん予防薬のように「がんの発生を積極的に抑制する」という「先制医療」を組み合わせていくのがよいのではないかと考えています。