特集 新時代の栄養学 〈巻頭インタビュー〉
「環境」「社会」にも貢献する栄養という科学

構成/飯塚りえ  イラストレーション/小湊好治

栄養学を取り巻く状況は大きく変化している。背景には、持続可能な社会と、すべての人々が健康で栄養バランスの取れた食事にアクセスできる環境の両立が、不可欠になったことがある。加えて、複雑化する個々の栄養状況や、バランスを考慮した食事を心がける集団と、カロリーは高いけれども栄養価の低い食事で肥満になる集団の二極化にも、栄養学は対応しなければならない。新時代の栄養学が求められている。

神奈川県立保健福祉大学学長/日本栄養士会会長

中村丁次(なかむら・ていじ)

1948年生まれ。1972年、徳島大学医学部栄養学科卒業。新宿医院で臨床実践。東京大学医学部より医学博士号授与。聖マリアンナ医科大学病院栄養部部長などを経て現職。日本栄養学教育学会理事長、日本臨床栄養代謝学会名誉会員、日本栄養・食糧学会参与。著書に『臨床栄養学者 中村丁次が紐解くジャパン・ニュートリション 日本の栄養の過去・現在、さらに未来に向けて』(第一出版)など多数。

栄養学はこれまで、「生命の維持」「健康増進」「疾病予防」という目的のために、どのように栄養を摂るかを中心に研究が続いてきました。しかし今、持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)という概念が登場し、栄養はもっと多目的な科学であるべきではないかと問われています。

とりわけ環境問題とは密接な関わりがあります。人口が増え続ける中、私たちが今までと同じような形で「健康になるための栄養」を続ければ、いずれ環境負荷が甚大になり、大量の温室効果ガスを排出することになります。2050年には、地球上に存在するすべての人々が健康で文化的な生活を送るための食料と環境が手に入らなくなるという予測も出ており、現在の栄養摂取量や食事の内容は適切なのかという議論も起きています。そこで持続可能でかつ個人の健康を維持するという2つの軸を両立させる食事を模索していくことが栄養学に求められているのです。

食事は個人だけの問題ではない

2019年、WHO(世界保健機関)が、健康な食事について、健康面だけでなく、環境面、社会的・文化的な面と、3つの領域に分けてガイドラインを出したことも、食事は個人の健康だけの問題ではなくなってきていることを示しています(表)。

健康上の面 1 生後間もなく母乳哺育を開始し、6カ月齢まで完全母乳哺育で育て、2歳齢およびそれ以降も母乳哺育を続け、適切な補完的栄養と組み合わせる。
2 高度な加工食品および飲料製品を制限しつつ、さまざまな非加工食品または最小限の加工食品により、食品群全体を通じてバランスが取れている。
3 全粒穀類、豆類、ナッツ類、さらに豊富で多様な果物と野菜を含む。
4 中程度の卵、乳・乳製品、家畜、魚、および赤身の肉を含めることができる。
5 安全で清潔な飲料水。
6 成長と発達、さらにライフスタイル全体に対して活動的で健康な生活ができるエネルギーと栄養素が、必要量を満たすが過剰ではなく適正に含まれる。
7 食事に関連した非感染性疾患のリスクを軽減し、一般の人々の健康と幸福を確保するWHOガイドライン(脂肪:総エネルギー比で最大30~35%、飽和脂肪から不飽和脂肪への移行、遊離糖:エネルギー比で10%未満、塩:5g以下)と一致している。
8 食中毒を起こす危険性がある病原体、毒素、および他の物質を最小限のレベルで含むか、または、もし可能であれば含まない。
環境への影響 9 温室効果ガス、水と土地の使用、窒素とリンの使用、および化学汚染物質が目標設定内に収まっている。
10 作物、家畜、森林由来の食物、水性遺伝資源などの生物多様性を保護し、魚類や動物の乱獲を避ける。
11 食料生産における抗生物質とホルモンの使用を最小限にする。
12 食品の包装におけるプラスチックおよびその派生物の使用を最小限にする。
社会的文化的側面 13 食品ロスと廃棄物を減らす。
14 食品の調達、生産、消費の方法が、地球の文化、料理の仕方、知識、消費パターンの価値に基づいて構成され、尊重されている。
15 アクセスしやすく、好まれるものを含む。
16 食品や水の購入や調理、および燃料の取得の時間配分が、ジェンダー問題に影響しないようにする。

表  WHO 「持続可能な健康な食事」のための指針(2019年)『臨床栄養学者 中村丁次が紐解くジャパン・ニュートリション~』より

肉食について再考すべきではないかと思わせる報告も増えてきました。

2018年、英国の医学雑誌「ランセット」はEAT-ランセット委員会を発足し、翌2019年に環境負荷と健康問題を両立させる「1日の食事のあり方」のガイドラインを策定しました。その食品構成では、家畜の排出する温室効果ガスを問題視して、肉食は環境負荷が大きいため、1日の牛・羊肉摂取量を14gに抑えるなどとしています。提言は賛否両論を呼びましたが、少なくとも、私たちはたんぱく質摂取のために多くの肉を食べる必要があるのか、では大豆などの植物性たんぱく質に置き換えて人々の健康や幸せを守れるのか、という議論を始める契機となりました。

英国オックスフォード大学のEPIC(European Prospective Investigation into Cancer and Nutrition)では、ベジタリアンに関する大規模コホート研究を実行し、「人類にとって肉食は必要なのか」という論文を出しています。肉食の人、肉を食べない魚食の人、ベジタリアンの3群についてがん、脳卒中、虚血性心疾患による死亡率のリスクを示したものですが、それによると肉食のグループは、心筋梗塞のリスクが他の群に比べて1.4倍ほど高くなる一方、逆にベジタリアンは肉食と比べ、脳卒中発生リスクが20%高いという結果が出ました。確かに、戦前の日本では動物性たんぱく質の摂取が少なく、死因も脳卒中が多かったのです。

今は、魚を中心にして肉を少なめに、野菜と果物、牛乳・乳製品、大豆も摂りましょう、という話に落ち着いています。

栄養学は生き物の関係性を解明する科学

EAT-ランセット委員会では、環境、社会、文化という視点から肉食を減らそう、EPICでは健康面から植物性食品ばかりがいいとも限らないようだ、という報告がなされたわけですが、どちらにせよ、何を、どう食べるべきかと問われる時代なのです。

こうした時代にあって私は、栄養学という概念を改めて整理しなくてはならない、と考えています。次の図には、栄養学のあり方を示しました。

図 栄養学の構造食べ物と生き物に関するすべてのレベルで、栄養が関連している。細胞とある種の栄養素など、個別の関係性だけでなく、包括的に考えることが必要。
(図版提供:中村丁次)

食物には栄養素とエネルギーが含まれています。これらを摂取するためのものが、栄養サプリメントや食品。そして食品を組み合わせた献立・調理からできたものを摂取することを「食事」といっています。献立・調理の中には、食品の生産、加工、流通、貯蔵、消費という過程があり、これらに影響を与えているのが「環境・文化」です。

一方、生き物において、体内に入った栄養素は、細胞レベルで処理され、臓器があり、人間がいて、保健、福祉、治療、教育、経済などに影響していきます。この「人間」は地域で生活し、国家、さらに地球に存在しています。

栄養学の研究は多岐にわたり、細胞と特定の栄養素や食環境と地域など、各分野同士の部分的な解明が進んでいますが、今後は栄養の全体像を解明すべく的な視点が必要です。私たちは、食べ物と人間の命の関係を経験的に知っていますが、栄養素は食べ物の中にも含まれているし、人体を構成する成分でもあります。食べ物と人間、この両者に共通する成分が栄養素であり、栄養学は食べ物と生き物との関係を科学として明らかにしている学問だといえるのです。

SDGsの17項目のうち半分以上が栄養に関連していることから、栄養がSDGsの問題解決に重要な役割を果たすと期待される中で、2021年12月には、日本で「東京栄養サミット」が開催されます。

環境に負荷をかけずに健康な食事を実践するという課題の解決に、日本の栄養が果たす役割は大きいでしょう。日本には、自然を尊重して四季折々の変化を楽しみ、自然を征服しようとしない食文化があります。戦後は、古来の食文化を軸としながら近代栄養学を取り入れて、限られた食資源の中で栄養改善運動を推進し、バランスの取れた食事をつくり上げて世界一の長寿国になるという成果を挙げてきました。

新しいタイプの肥満と低栄養

私は、日本から発信するメッセージとして、「栄養不良の二重負荷(Double Burden of Malnutrition)」の問題に注目したいと思っています。栄養不良の二重負荷とはつまり、過剰栄養で悩む人と低栄養で悩む人が同じ場所に同時に存在したり、個人の生涯にわたって2つの状態を行き来したりすることです。以前のように、食事を享受することによる過栄養は北半球の先進国、食料不足による低栄養はアフリカや南米など南半球と、分布が明らかな時代には二重負荷という状態にはなりません。貧しい地域の低栄養は、国家が豊かになれば自然に解消される経済の問題として栄養問題が存在していたといえるからです。

ところが現在、所得格差の問題が現れた先進国では、富裕層は健康意識が高く健康な食事を選び、ジムに通って運動もするので肥満が少なくなりました。他方、貧困層は栄養素が少ない一方で安価なカロリーである油と糖分の摂取によるエンプティ(栄養が空っぽ)な食事によって新しいタイプの肥満と低栄養が出現することとなりました。先進国のみならず、発展途上国の中でも経済発展によって所得格差が生まれ、先進国と同様の状況になりつつあります。つまり、今は、北半球・南半球といった単純な分け方はもとより、豊かな国と貧しい国という区分も成立しにくくなっているのです。同時に、一人の個人においても中高年は肥満で、加齢に従って低栄養、しかもエネルギーは過剰だがたんぱく質やビタミンは欠乏しているというように、過剰栄養と低栄養が混在しています。

日本にも同じような状況が見えています。先頃、国民健康・栄養調査が所得格差と栄養の問題を取り上げたように、欧米に比べて少ないとはいえ、それでも栄養格差が生まれつつあります。エンプティな肥満は、個々のレベルでは心筋梗塞といった生活習慣病にかかりやすくなり、国家のレベルでは、医療費が増大するという問題につながっていくわけです。貧困層はさまざまな条件によって健康な食事にアクセスできないという状況もあります。この問題の解決に必要なことは2つ。安価で栄養価の高い食事が、誰でも、どこに行っても食べられるという食環境をつくり出すということと、貧困層においても栄養の教育を受けることができるような仕組みをつくることです。

今後、栄養学には食べ物の価格という経済の軸を採り入れるべきです。日本では、食べ物の栄養価値と価格の問題が置き去りにされていますが、海外では、栄養の経済分析に専門家がいて、たんぱく質を1g摂るのに最も効率の良い食品は何かといった、価格に相関する栄養素の研究が盛んで、それに基づいた指導も行われています。

さらに欧米では食品自体の評価方法の研究も始まっています。例えば、同じたんぱく質を摂るにも、卵と肉と魚ではどう違うのか、その栄養の価値を総合的に評価していく研究が必要でしょう。つまり、肉の中にもたんぱく質だけではなくビタミンやミネラルなどの栄養素が含まれているのですから、その食品がたんぱく質の必要量のうち何割を供給できて、ビタミンやミネラルはどれぐらいを供給できるか。一方、肉には動脈硬化のリスクになる飽和脂肪酸があるのでその寄与率を計算して栄養価から引くとすると、総合評価は○○点となり、ある肉が持つ総合的な栄養価値を点数化していくことができます。それを全食品に適用し、食品の栄養的な価値を明らかにするのです。ここに経済の視点を加えれば、安価で栄養価の高い食事にアクセスするにはどうすればよいかが見えてくるのです。

世界で評価される日本の栄養

私は、日本の現状は、この栄養格差の解消に成功しつつあるかもしれない、とも考えています。

日本人の長寿世界一には、栄養学が大きく貢献しているからです。

戦前から始まった日本の栄養学は、極端な低栄養との闘いでした。戦後は、アメリカから供給された粉ミルクと小麦によって栄養状態は少しずつ改善され、その後、20~30年ほどは過剰栄養も低栄養もない、バランスの取れた状態が続きましたが、食事の欧米化によって肥満が増え、生活習慣病の問題が浮上します。そこで日本は「健康日本21」を提唱して、メタボリックシンドローム健診などの保健指導に着手しました。生活習慣病対策に取り組んで、肥満にも歯止めがかかりつつあります。今は、糖尿病予備軍が減り始め、平均値を見れば過剰栄養も低栄養も少ない良い状態になり始めているのです。さらに、学校、病院、地域、企業といった施設に管理栄養士を配置して栄養バランスが取れた食事を提供すると同時に、栄養教育も行いました。そこまで徹底した栄養教育と集団給食で、平均値を動かすことに成功し、国民の栄養状態を改善したのです。

食生活が欧米化しているといっても、日本人の栄養状態は依然、世界のレベルから見れば良い水準にあります。中食や外食が増えていますが、日本人は「ちょっと野菜を足そう」などバランスを心がけたメニューを選ぶ意識を持っていますし、そうした食事を提供する場も多く、アクセスしやすい。さらに学校給食制度があって、栄養士がバランスの良い献立を作り提供して、子どもにもそうしたメニューが浸透しています。日本の栄養は世界で評価され、私も海外で話す機会があります。アメリカの研究者に、日本の公立小・中学校に清涼飲料水の自動販売機はない、と言ったところ驚かれ、「どうしてだ?」と言うので、「誰から言われたのでもなく、文化として根付いている。導入されたらニュースになるほど異例だ」と答えました。

世界中の人々が、栄養の大切さを認識しているにもかかわらず、なぜ栄養不良の二重負荷のような栄養不良が起こるのか。何か、栄養関係者が見落としているものがあり、日本の栄養の現場で行われてきた数々の試みにその改善の鍵が隠れているのではないか、という思いがあります。これからそれを解明し、世界に伝えていくことで、栄養という科学が人類に貢献することになると思っています。

この記事をシェアSHARE

  • facebook

特集
SPECIAL FEATURE

もっと見る