気になる人の「気にする食卓」第74回 増田惠子

構成/編集部  写真/細田 忠

HEALTHIST INTERVIEW

増田惠子(ますだ・けいこ)

(歌手)

1957年9月2日生まれ、静岡県出身。1976年にピンク・レディーのケイとしてデビューし、数々のヒット曲を出して1981年3月31日に解散。同年11月のソロデビュー曲「すずめ」は40万枚の大ヒットを記録して各音楽賞を受賞。2022年はソロ40周年の記念活動を展開中。

心がいつも笑顔でいれば
食事もおいしく楽しむことができます

「ペッパー警部」「渚のシンドバッド」「UFO」「サウスポー」など、ヒット曲を次々に出して人気を博したピンク・レディーのメンバーの一人、増田惠子さん。解散後はソロで活動しており、今も多忙な毎日を送っているが、仕事の合間を縫い、ご主人とキッチンに立って旬の食材を使った料理を作るなど、2人で食事を楽しんでいる。

増田惠子さんに、まずは芸能界デビュー前の食生活について伺った。

私は小さい頃からおてんばで、運動が大好きで体力にも自信があり、好き嫌いなくよく食べていました。中学時代はバスケットボール部に所属していたのですが、お弁当は必ず2つ持って行っていました。1つをお昼休みに食べて、放課後のクラブ活動が始まる前にもう1つを食べていました。女の子としては結構大きめのお弁当箱で、かなりの大食漢だったんですよ。それで高校卒業後、芸能界デビューが決まって上京した当初は、事務所の寮でお世話になりました。最初は、朝食でトースト4枚と目玉焼きを食べていたのですが、ある日からトーストは2枚までと制限されてしまいました。どうも事務所から寮母に、痩せさせろとのお達しがあったようなのです。当時は、おやつやお菓子も絶対に食べてはダメと制限されていたのですが、どうしても食べたくてベッドの下に隠していたら、寮で飼っていた犬がお菓子をくわえて寮母のところへ持って行き、見つかってしまったこともありました。

ピンク・レディー時代は忙しすぎて、どんな食事をしていたのか記憶がないという。

1976年8月の正式デビューが決まってからは、プロモーション活動で睡眠時間は1日3時間くらいになりました。その流れでデビューしたので、いつから売れ出したのかとか、急に忙しくなったという感覚はなかったですね。TVやラジオの本番が終われば、すぐに次の現場へと衣装のまま移動したりしていましたので、楽屋でゆっくりとお弁当を食べた記憶もありません。当時の食事といえば、移動用の車の中で、リンゴやバナナを食べていたという記憶くらいしかないのです。食べる時間も、寝る時間もほとんどなく、デビューから半年後には10㎏も痩せていました。衣装が日増しにどんどん大きく感じるようになっていき、あるとき(デュオの)ミーに「この衣装はミーのじゃないの?」と言ったら、「私のはここにあるよ」と言われたんです。衣装のサイズも合わなくなるくらいに、痩せてしまっていたのです。歌って踊ってと、激しい運動をしていたのに、解散するまでの5年間、どこかでゆっくり食事をするということもなかったですからね。

ある日の夕飯は、甘みがあり栄養価の高い阿波尾鶏のミンチとクレソンの鍋(左)。出汁も自分で取った増田さん自慢の料理の一つ。副菜は、小アジの南蛮漬け、豆腐のじゃこサラダ、季節のジュンサイ添え(右)。(写真提供:増田惠子)

だしから取る料理が評判の煮込みの女王

解散後は生活が一変して、時間にも余裕ができ料理をすることも楽しむようになる。

ピンク・レディー解散後、ソロになってからは食事や睡眠の時間を十分に取れ、TV局でも楽屋でゆっくりと過ごすことができました。でも、楽屋が珍しくてウロウロしたりしていましたが(笑)。本格的に料理をするようになったのもその頃で、お店へ食事に行ったとき、おいしいと思った料理はレシピを教えてもらい自宅で作っていました。それで料理をするのが楽しくなっていき、結婚を機にさらに腕前がアップしました。野菜の煮物、魚の煮付け、シチューやカレー、おでんなどの煮込み料理がおいしいので、主人からは、“煮込みの女王”と呼ばれています。しっかりとだしから取るので、友達が家へ遊びに来てくれたときも煮込み料理を振る舞うと喜んでくれます。また、和・洋・中とジャンルを問わずレパートリーも豊富で、デザートも作ります。先日、小柳ルミ子さんが家へ遊びに来てくれたときも、いろいろな料理を楽しんでもらって、最後のデザートに手作りの蒸しプリンを出したら、おいしいとすごく喜んでくれました。

また、60歳代になってからは、食事の量よりも質を考えるようになりました。野菜、肉、魚をバランスよく食べるだけではなく、日本の各地からおいしくて体にいいものを取り寄せて、料理をしています。

クラシックバレエを30年くらい続けており、姿勢や踊りは若い頃よりもバージョンアップしている。

運動は大好きで、ジャズダンスや水泳などをやったのですが、すべて長続きしませんでした。でも、クラシックバレエは30年近く続いていて、今でも週に1回は通っており、ピラティスは月に1回で12年くらい続けています。クラシックバレエは、体力維持だけでなく、立ち姿や指先の動き、表情などの勉強にもなっています。姿勢も良くなったので、ステージでライトを浴びたときに、顔までしく見えるようになりました。もちろん踊る姿も、昔よりバージョンアップしています。ソロデビュー40周年の今年はいろいろと活動していくので楽しみにしていてください。

最後に、これからの目標と自分の経験を生かした読者へのアドバイスを伺った。

主人とは、一緒に長生きできるように食と健康には気をつけていこうねと話しています。それでお互いに時間があるときは、2人で一緒にキッチンに立って、旬の食材を使った料理を作ったりしています。そのように、自分の心がいつも笑顔でいられることを見つけることが大切だと思います。心が笑顔でいれば、食事もおいしく楽しむことができるはずです。

●増田惠子ソロデビュー40周年記念アルバム『そして、ここから…』7月27日発売。詳細はビクターオンラインストアへ。

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ヘルシスト 274号

2022年7月10日発行
隔月刊

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