特集 「歯と口」の健康 心身の健康に影響する口腔機能の低下

構成/渡辺由子  イラストレーション/千野六久

フレイルとは、筋力や認知といった体の機能が加齢に伴い低下していく症状のことで、口腔の機能低下をオーラルフレイルという。オーラルフレイルでは嚙む力が弱くなるため、軟らかいものしか食べられなくなってさらに咀嚼機能が低下していく―という「負の連鎖」が起きる。栄養の低下に直結し、また、摂食嚥下障害などの原因ともなり、健康維持に大きな影響を及ぼす。オーラルフレイルを防ぐには、まず歯を大切にすること。そして、口腔の筋肉を鍛えることが肝要だという。

東京都健康長寿医療センター歯科口腔外科部長/同センター研究所研究部長

平野浩彦(ひらの・ひろひこ)

1990年、日本大学松戸歯学部卒業。東京都老人医療センター、国立東京第二病院にて研修。東京都老人医療センター主事・医長を経て、2009年に東京都健康長寿医療センター研究所専門副部長。2016年から同センター歯科口腔外科部長、2020年から同センター研究所研究部長(併任)。専門は老年歯科学。日本におけるオーラルフレイル研究の第一人者。

日本は、世界に冠たる長寿国です。生活習慣病に代表される死亡リスクの高い病気は、世界トップクラスの日本の医療技術により、ある程度コントロールができるようになりました。しかし、自立して生活できる健康寿命と平均寿命の差は、2019年の時点で男性は約9年、女性は約12年と、要介護になってから長い年月を過ごさなければなりません。

心身の機能低下につながる「負の連鎖」

そこで国が主導して、健康の維持と健康寿命の延伸を目指して、危険な老化のサインの早期発見と早期対処といった、「フレイル対策」が進められています。フレイルとは、加齢に伴い筋力や認知機能、社会とのつながりなど心身の活力が低下し、健常から要介護へ移行する中間の段階を示しています。

フレイル対策の一つに、2018年に厚生労働省と日本歯科医師会がスタートさせた「オーラルフレイル対策」があります。フレイルに、「嚙む」「飲み込む」「しゃべる」といった口の機能を表す「オーラル」を組み合わせました。食事でむせる、せき込む、硬いものが嚙みにくいなど、口腔内で起こる機能の衰えを示す日本独自の概念として、当センターと東京大学高齢社会総合研究機構との研究グループが編み出した造語です。

オーラルフレイル対策では、「軟らかいものしか食べられない」「食事中にむせてしまう」といった、これまで「年だから仕方がない」と片付けられていた、口腔に関する「ささいな衰え」をきっかけに、口腔機能の障害が、栄養の低下や摂食嚥下障害など、心身の機能低下までつながる「負の連鎖」に陥ると、警鐘を鳴らしています(図1)。

出典:『歯科診療所におけるオーラルフレイル対応マニュアル2019年版』日本歯科医師会(一部改変)

図1 オーラルフレイルの負の連鎖東京大学高齢社会総合研究機構との共同研究で実施した大規模調査「柏スタディ」から、自覚のないまま進行するオーラルフレイルの放置は、全身のフレイルへのきっかけとなることが示された。

口腔領域のヘルスプロモーションとして、国民の認知度が最も高いものの一つに、「8020運動」があります。「80歳でも20本以上の自分の歯を保つ」啓発運動で、1989年に当時の厚生省と日本歯科医師会によって始まりました。1981年の調査では、その達成率は7%程度で、平均残存歯数は4~5本だったのが、2016年の調査では51.2%でした(図2)。わずか30年余りで、現代の高齢者は自身の歯を数多く残せるようになったのです。

図2 8020達成者推移グラフ「8020運動」の普及や、国民の口腔ケアへの意識の変化から、8020達成者は2016年の時点で5割を超えるまでになった。今後は口腔機能を重視したオーラルフレイル予防へとシフトすることが求められる。

ただし、別の調査では半数近くが局部義歯(部分入れ歯)や総義歯(総入れ歯)を使っており、中でも総義歯の方は約3割に上ります。口腔機能のうち、歯と密接な関係があり、歯の本数が少ないと顕著に落ちるのが、ものを嚙み、粉砕する咬合力や咀嚼機能です。一方で、嚙んで粉砕したものを唾液と混ぜ合わせて飲み込みやすい形状にし、喉へ送って飲み込む舌の力は、咬合力などと比べると歯の本数の影響をあまり受けません。口腔機能は歯だけに限らず、口腔内の筋肉や唾液腺から分泌される唾液など、さまざまな機能が複雑に絡み合っており、歯がたくさん残っていれば、口腔機能にまったく問題がない、とはいえないのです。

口腔内のさまざまな筋肉の衰え

口腔内では、実にさまざまな筋肉が働いています(図3)。舌は筋肉の塊です。本来、筋肉は始めと終わりが固定され一定の体の動きを起こしますが、唯一舌は終わりが1カ所に固定されず、前後左右上下に自在に動かし、食べる、話すなどのさまざまな機能を支えています。また、唇の開閉は口輪筋が、頰を膨らませたりすぼめたりする動きは筋・大頰骨筋・小頰骨筋が、飲み込み動作は口蓋帆挙筋をはじめとする筋肉群が働いています。これらの筋肉は、手足の筋肉と同様に、加齢に伴って衰えていきます。

図3 口の周りの主な筋肉「食べる」「話す」「呼吸する」ために、口の周りの細かい筋肉が連携して働いている。脚や腕の筋肉と同様に加齢によって筋力が衰え、「むせる」「せき込む」「会話が減る」など、口のささいな衰えを招く。

唾液は、1日に1~1.5ℓも分泌され、食べ物を飲み込みやすくまとめたり、消化を助けたり、口の中の潤いや洗浄などの衛生環境を担っています。唾液腺が加齢によって萎縮して唾液の分泌量が減れば、咀嚼や嚥下への影響だけでなく、歯周病やむし歯の原因菌、風邪やインフルエンザなどが繁殖しやすくなってしまいます。

加齢による歯の本数の減少や歯茎の衰えに加えて、口腔内のさまざまな筋肉の衰え、唾液分泌低下などによって起こるオーラルフレイルは、日頃何気なく行っている「嚙む」「飲み込む」「しゃべる」といった動作に影響を与えます。

もしも脚の衰えを自覚したら、運動をするとか、何らかの対策を講じる方が多いでしょう。ところが、オーラルフレイルになっても、「年だからしょうがない」「軟らかい食べやすいものにすればいい」などと、加齢を理由に「仕方がないこと」と考えがちで、放置されやすいことが問題です。全世代を対象としたある調査では、「嚙みにくい」と訴える人の割合が、60代から急速に上がるというデータを示しています。

口腔機能の低下の速度は遅く、自覚のないまま進んでしまうことが多いのが特徴です。現代の食品は軟らかくて食べやすいものがあふれているので、前述した調査結果で「嚙みにくい」と訴える方は、口腔機能の低下がかなり進んでいると考えなければなりません。

「ブクブク」うがいと「ガラガラ」うがい

8020運動が目指した「たくさんの歯を残す」という目標に加え、「残っている歯をいかに使うか」「口の機能をいかに維持するか」という、機能面へと目標をシフトさせた、オーラルフレイル対策を重視する段階になっています。

当センターと東大では、歯科口腔機能の衰えと全身の健康状態との関係を調べるため、2012年から千葉県柏市の65歳以上の高齢者約2000人を対象に、大規模長期縦断追跡健康調査(柏スタディ)を行いました。約4年間の追跡調査でわかったのが、オーラルフレイル該当者と非該当者(口腔健常者)を比較したところ、4年間でオーラルフレイル非該当者と比べ、オーラルフレイル該当者は、身体的フレイル(全身のフレイル)2.4倍、サルコペニア(筋肉量の低下)2.1倍、要介護認定2.4倍、総死亡リスク2.1倍でした。以上の結果から、ささいな口の衰えであるオーラルフレイルは、さまざまなリスクを高める要因であり、同時にオーラルフレイルを改善できれば、4年後の要介護や総死亡リスクを半減できる可能性が示されます。

栄養面では、オーラルフレイル群は、多くの栄養素、食品群別摂取量で低値が認められました(図4)。特に、高齢者にとって重要なたんぱく質や脂質の摂取量が低いことが気になります。以上の結果は、オーラルフレイルにより、食べる量全体が少なくなり、同時に栄養バランスが崩れるのだと解釈することができます。

Motokawa K, Mikami Y, Hirano H, et al. Relationship between Chewing Ability and Nutritional Status in Japanese Older Adults: A Cross-Sectional Study. Int. J. Environ. Res. Public Health, 18(3), 2021.

図4 口腔機能低下と栄養オーラルフレイル(咀嚼機能不良)群は、多くの栄養素、食品群別摂取量で低値が認められた。栄養素、食品の摂取を低下させないために、口腔機能の維持・改善は重要となる。また、食べやすい大きさや軟らかさを工夫する必要があると考えられる。

2018年には、オーラルフレイルが進んだ状態に、「口腔機能低下症」という新しい病名が付けられました。保険診療で検査などが可能で、歯科医の適切な治療で症状を悪化させない対策が取れるようになっています。歯科医院などで口腔機能に関する7つの検査(①舌苔の付着程度、②口腔粘膜湿潤度または唾液量、③咬合圧検査または残存歯数、④舌口唇運動機能(滑舌)検査、⑤舌圧検査、⑥咀嚼能力検査、⑦嚥下機能検査)を行い、3項目以上で低下が確認されると、口腔機能低下症と診断されます。当センターの調査結果、その発症率は、65~69歳で29.1%、75~79歳で42.9%、85歳以上で71.9%と、高齢になればなるほど非常に高くなることがわかっています。

オーラルフレイルのレベルであれば、適切な対策を講じれば改善できるので、まずは、自分の口腔機能をきちんと評価し、自分の口腔の問題を自分事にすることが重要です。口の健康状態を評価する「オーラルフレイルのセルフチェック表」が作成されていますので、ぜひチェックしてみてください(表)。

表 オーラルフレイルのセルフチェック表
質問事項 はい いいえ
半年前と比べて、硬い物が食べにくくなった
2
□お茶や汁物でむせることがある 2
義歯を入れている
2
口の乾きが気になる
1
半年前と比べて、外出が少なくなった
1
さきイカ・たくあんくらいの硬さの食べ物を嚙むことができる
1
1日に2回以上、歯を磨く
1
1年に1回以上、歯医者に行く
1
歯を失ってしまった場合は、義歯等を適切に使って硬い物をしっかり食べることができるように治療することが大切。
自分の口の健康状態を簡単に確認できるチェック表。合計の点数が0~2点はオーラルフレイルの危険性は低い、3点は危険性あり、4点以上は危険性が高い。口のささいな衰えを見逃さないようにしたい。

オーラルフレイル予防には、いろいろなトレーニング法があるのですが、実際にはなかなか長続きさせるのが難しいとのコメントも耳にします。そこでお勧めしたいのが、皆さんも日に何回も行っている「口ゆすぎ(ブクブクうがい)」と「うがい(ガラガラうがい)」です。どちらも、口の中と喉の絶妙な連係プレーが必要な、運動の一種だと考えています。

口をゆすぐには、水を口に含みブクブクとしますが、水は鼻にも喉にも回らず、口から飛び出ることもありません。口輪筋をはじめとする口の中の筋肉をしっかりと緊張させつつ、なおかつ頰を動かしています。

水を口に含み、やや上向きでガラガラとするうがいは、さらにすごい技を使っています。声帯を開け放しているのに水は気管に入らず、しかも口からこぼれないように絶妙な息の出し方をしています。

歯応えのある硬いものを口にする

例えば、太ももの筋肉を鍛えるスクワットは、エクササイズの代表的な運動で、太ももの大腿四頭筋という筋肉に効果がある、ということがはっきりとわかっています。口ゆすぎとうがいも、いわば「口のスクワット」といえる運動で、どの筋肉を使っているのかを意識することで、効果的かつ長続きのするトレーニングになり、私はこれを「長生きうがい」とあだ名をつけて患者さん方にも紹介しています。

食事については、嚙んで食べる行為は、口や舌、顎の筋肉を鍛え、唾液腺を刺激して唾液を分泌させるなど、口腔機能を鍛えるトレーニングになります。1品でよいので、歯応えのある硬いものを口にすることも継続すると立派なトレーニングになります。

特に、むせたり、飲み込みの悪さを改善するには、筋肉の塊の舌を積極的に動かして舌の力を高める、2種類のトレーニングを勧めます。1つは、舌をできるだけ前に出して、左右に10秒間動かしたら、次は唇に沿って時計回りと反時計回りを各1周(図5)。これを3回行って1セットとし、1日に3セット行います。もう1つは、口をゆっくり大きく開ける開口運動です。起床時など体がほぐれていない時間帯は避け、痛みを感じない程度にゆっくりと10回行います。

図5 舌トレーニング❶~❸を3回行って1セットで、舌を無理なくゆっくり動かすのがポイント。1日に3セット行うのが目安となる。舌の筋肉群が鍛えられて、食べ物が飲み込みやすくなり、むせにくくなる効果がある。

そして、定期的な歯科検診を受けるのはもちろんのこと、かかりつけの歯科医に定期的に通って、歯や口腔内の状態を確認してもらうことも大切です。オーラルフレイルは、日々の努力で取り戻せる機能です。高齢者に限らず、若い人もオーラルフレイルのことを知り、早い時期から対策に取り組んで、健康寿命の延伸を目指しましょう。

(図版提供:平野浩彦)

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ヘルシスト 278号

2023年3月10日発行
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