暮らしの科学 第44回 もっと楽しく上手に歌いたい!

文/茂木登志子  イラストレーション/木村智美

3月の卒業式、続く4月の入学式。そこには常に歌があった。だが、歌に苦手意識がある人にとっては憂うつなひとときだ。そこで今回は、オンチ克服をキーワードに、歌が上手な人はもっと上手に、苦手な人は正しい音程で歌えるようになる方法を探ってみた。

〈今月のアドバイザー〉小畑千尋(おばた・ちひろ)。宮城教育大学教育学部音楽教育講座准教授。博士(教育学)。専門は音楽教育学。1994年、東京音楽大学音楽学部ピアノ専攻卒業。千葉大学大学院教育学研究科、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程修了。2011年から現職。オンチ克服に関する特許を取得。著書に『オンチは誰がつくるのか』(パブラボ)、『さらば!オンチ・コンプレックス〈OBATA METHOD〉によるオンチ克服指導法』(教育芸術社)など。

音程が外れることや音程が不安定な人を指して、我々は一般的に「オンチ」と感じる。

「漢字では“音痴”と表記しますが、語源はただの俗語です。国語学者・言語学者の金田一京助さんによると、学生たちの間で音程が外れて歌う人へのからかい言葉としてできあがったのだそうです」

オンチについて語源から解説してくれたのは、宮城教育大学准教授の小畑千尋さん。専門は国語、ではない。音楽教育学だ。教員を目指す学生たちに音楽を教える一方で、オンチ克服の指導法研究に取り組んでいる(本文では、からかいの精神を排除する意味で“音痴”ではなく“オンチ”と記述することにした)。

小畑さんはこれまでの実践例の蓄積と地道な研究から、オンチを克服する独自の“小畑メソッド”を開発し、特許を取得した。そのせいか、「オンチはなおりますか?」という質問をよく受ける。質問の根底には、正しい音程で歌えないことへの誤解があるという。

「オンチは遺伝でも病気でもありません。音程が合わせられなくても、それは、歌唱の“発達途上の段階”です。適切な指導次第で、練習すれば上達しますし、大人になってからでも克服できます」

歌唱のメカニズム

オンチ克服方法には興味津々だが、その前に知っておきたいことがある。そもそも私たちはどのようにして歌っているのだろう? なぜ正しい音程で歌える人がいたり、音程を外してしまう人がいるのだろうか?

歌は声で奏でる。つまり、歌うときには、私たちそれぞれの体が楽器になる。そこで、音楽的な視点と身体科学的な視点から疑問を解き明かしていこう。

まず音楽的な視点から。西洋音階を例に挙げると、音の高さには、ド・レ・ミ~と、それぞれ名前が付けられている。そして音は、ド・レ・ミ~と、らせん階段のように一定の高さで次第に高くなっていく。この音の階段を“音階”という(図1)。建物の階段には、足をしっかりのせられるように奥行きと幅が確保されている。音の階段ではどうだろうか。

図1 音階のイメージ音の階段を上がったり下がったりしながら、声でメロディーを奏でる。
(『オンチは誰がつくるのか』P84・86をもとに作成)

「音の高さは周波数で示されます。例えばラの音は国際標準音高では440Hzですが、440Hzぴったりの音でなければ『ラ』と認識されないのかというと、決してそんなことはありません。建物の階段と同じように、音の階段にもそれぞれ許容範囲があり、その範囲内であればその音の高さとして認知されます」

2つの音同士の、高さの隔たりを音程という。例えば隣り合うドとレのようにその隔たりの距離が短いものだけでなく、低い音の階段からいきなり高い音の階段にジャンプするような距離の長いものなど、隣り合う音の組み合わせで音程は変化する。この音程の変化、音の組み合わせで生まれるのが、メロディーだ。

鼻歌でも、歌詞をメロディーに乗せて歌う場合でも、私たちは音の階段を上ったり下りたりしながら声を出している。

「歌を覚えるときに、皆さんはどのように覚えますか?楽譜を入手して、譜面を見ながら覚える人はほとんどいないでしょう。きっと何回も聴いて、聴きながら一緒に歌ったりもして、歌詞やメロディーを覚えるのではないでしょうか」

お手本の歌を聴きながら、一緒に歌う。小畑さんはこうした歌唱のメカニズムを、身体科学的な視点から、図2のように説明する。

図2 歌唱のメカニズム聴いた(入力)音の高さを仕分けし(マッピング)、同じ音で歌う(表出)。それを聴き(入力)、正しい音か判断し(内的フィードバック)、外れていたら修正して歌う(表出)。
(『オンチは誰がつくるのか』P96をもとに作成)

お手本となる歌声が耳に入る。これが“入力”だ。入力したお手本は、脳内で情報処理が行われる。お手本の声の音の高さを聴き分け、自分の頭の中にある音の高さを示す地図に、音の高さの位置を割り当てるのだ。

「ド、レ、ミなどの音階ではなく、この音はこのくらいの高さかなという感じで判断し、お手本の歌声と同じ音の高さを頭の中にある地図で探していきます」

小畑さんはこれを“マッピング”と呼んでいる。こうして音の高さが割り当てられた地図は、いわば歌のナビゲーションマップのようなものだ。この地図を頼りにして、私たちはお手本と一致していると判断した高さの音を発声する。これが“表出”だ。

入力から表出までの一連のプロセスは超スピードで行われている。だが、これで終わり、ではない。

「正しい音程で歌うためには、“内的フィードバック”が不可欠です」

音程のチェックと修正

小畑さんの言う内的フィードバックとは、発した声の高さが、お手本の音の高さと一致しているかどうか、自分の声を聴きながらチェックする技術を指している(図3)。

図3 内的フィードバックができているか試してみようサポーターと同じ高さの声で歌えたか確認する。実際に出た高さと本人の認知が一致しているかどうかで判断する。
(『さらば!オンチ・コンプレックス』P54をもとに作成)

「実はプロの歌手も、常に歌いながら自分の音高をチェックし、思ったよりも音が高かったり、低かったりすると、瞬時に微妙な音の高さを修正しながら歌い進めています」

正しい音程で歌うということは、一発必中で正しい音の階段を踏むことではない。声を出して音の階段を移動する際に、隣り合う音の距離(音程)の目測を誤ったり踏み外しそうになったりしたらサッと体勢を戻し、正しい音の階段に着地できるように、歌いながら確認と修正の作業を行っているのだ。したがって、この確認と修正の力が未熟だと、本来とは全く違う音の階段に着地してしまうことがある。つまり、世間一般でいわれている、“音程を外す”ということだ。

「自分自身で音程が合っているかどうか分からないとすれば、その原因は、この内的フィードバックがうまくできないことです。ですから、自分が発している声の高さのチェックと修正ができるようになれば、正しい音程で歌えるようになります」

私たちは幼少期から、成長・発達とともに内的フィードバックの技術力を高めていく。それは、日常生活の中で言葉のシャワーを浴びながら育つうちに、話せるようになるのと同様だ。だが、生育環境などにも影響されるので、内的フィードバックの発達には個人差が生じる。しかも、保育園や幼稚園などに通うようになると、教育プログラムの一環としてみんなで歌う機会は増えるが、正しい音程で歌うための歌唱技術を学ぶ機会はほとんどない。小学校入学以降も、音楽の授業で、音程を合わせるための根本的な指導がなされているかどうかは疑問だ。

小畑さんは研究のために千葉県内のある小学校で、4年生を対象に内的フィードバックがどのように発達していくか、卒業までの3年間、調査した。その結果は、4年生の6月で内的フィードバックができる児童数は全体の約50%で、学年とともに上昇するものの、6年生の卒業直前の2月でも、男女とも約25%は内的フィードバックができていないか不安定なままの状態だったという。

声を聴いて合わせる

小畑さんは前述のマッピングやこの内的フィードバックを、歌唱技術として位置づけている。例えば水泳も息継ぎ方法を学べばそれなりに楽に速く泳げるようになる。音程を合わせて歌うための具体的な方法を指導されないことは、息継ぎの方法を習わないまま泳ぐようなものではないかと、小畑さんは指摘する。

では、どのようにしたら、マッピングや内的フィードバックを向上させることができるのだろうか? 小畑さんが開発したのは、音程が合っているかどうか判断できる指導者または協力者と一緒になって声を響かせ、音程の認知能力を段階的に伸ばす方法だ。

成人の場合は基本的にマンツーマンで行う。指導者または協力者に「あー」と声を出してもらい、同じ高さの声で「あー」と合わせる。同じ高さの音が出せない場合には、先に「あー」と声を出し、指導者や協力者に同じ音の高さの声を出してもらう。ここで重要なことは、同一の音高で合ったときに、声量を増やし、共鳴感覚を体感することなのだという。

子どもの場合も同様なのだが、授業などに取り入れる場合には、音程の取れる子もうまくできない子も心おきなく一緒にゲーム感覚で楽しく練習できるような工夫が必要だ。そこで小畑さんは、声の“けんかゲーム”と“仲直りゲーム”を編み出した(図4)。

図4 けんかゲームと仲直りゲーム1人が発した声に対し、他のメンバーが違う高さの声を出し合うのが“けんかゲーム”。1人が発した声に、みんなが同じ高さの声で合わせるのが“仲直りゲーム”だ。ピアノの鍵盤にある音に限定する必要はなく、はじめに発する1人は、歌いやすい高さで歌えばよい。(『さらば!オンチ・コンプレックス』P88・99をもとに作成)

「志願者を募り、好きな高さで『あー』と声を出してもらいます。けんかゲームは、残りのみんながその音と“違う音”の声を出し合います。次は仲直り。みんなで同じ高さの音を発声します。こどもたちが輪になって“仲直りゲーム”でボリュームを上げて発声すると、まるで教室に『声の山』がたくさんできるような、心地よい空間になります」

こんなふうに、声を出し合う中で同じ高さの音が出せると、指導・支援する側とされる側の2人の声が、あるいはクラス全員の声が、響き合う。

「楽器の音や他の人の声に、自分が出している声の音の高さをうまく合わせることを、音楽用語でピッチマッチといいます。歌で重要なことは、このピッチマッチ以上に、自分で『あっ! 今、音程が合っている』と分かることです。また、年齢に関係なく歌の発達途上にある人にとって、声の共鳴はなかなか感動的な体験で、『これが同じ高さの音なのだ!』と体感できます」

感動は練習のモチベーションやエネルギーになる。こうして相手と自分の声が同じ高さで共鳴する感覚を得る経験を何度も繰り返すことで、相手の声の高さを聴き分け、同じ高さの音を発声できるようになる。やがて、自分が発した声が相手と同じかどうかも聴き分けられるようになり、自分の音程が外れた場合には修正する力が発達する。このようにしてマッピングや内的フィードバックが向上すると、徐々に難しい曲でも歌えるようになるのだと言う。

「1曲だけを練習して歌えるようになっても、次の曲ではまた一から練習しなければなりません。しかし、音程が合っていることを自身で自覚できる、すなわち内的フィードバックができるようになると、自信も出てきて、自分だけで歌う練習ができるようになります」

楽しく歌いたい!

オンチ克服の練習では、指導者や協力者などサポーターの人選が大事だと小畑さんは言う。

「この人の前なら、下手でも歌える。この人となら、一緒に歌ってもいい。そう思える人が練習のサポーターには適しています」

音程が取れるというだけではなく、歌にコンプレックスを持っている人に寄り添う優しさや誠実さを備えた人が望ましい。なぜなら歌が苦手な人は、年齢に関係なく、からかわれたり、もの笑いの種にされたりしてつらい思いをしていることが少なくない。そのため、音楽面と心理面の、両面サポートが必須となるからだ。

また、子どもの場合、音楽の授業などで音程が少し外れるだけでも、からかいやいじめにつながることがある。小畑さんが子ども向けメソッドに声のけんかゲームや仲直りゲームを取り入れているのも、そうしたことが生じないようにという配慮が背景にある。

「私がこれまでに関わらせていただいた対象者の皆さんに共通しているのは、オンチと思ったきっかけや他人にオンチと指摘された体験を、消えない苦い思い出として、年を経ても癒えない心の傷とともに抱えていることです」

小畑さんの研究事例には、正しい音程で歌える学生と小畑さんの指導でオンチを克服した学生がサポーターとなり、内的フィードバックができない学生のオンチ克服を支援した例がある。内的フィードバックができ、歌うことが得意な学生は音楽面をリードし、オンチ克服経験のある学生は、音楽面だけでなく心理面も支援するような役割を担った。レッスンを受けた学生は、サポーターの支援のもと、伸び伸びと声を出し、着実に歌う力を発達させていくことができた。

この事例では、オンチは克服できるし、克服後には同じ悩みを抱えた仲間の支援も可能だということを示している。

「彼らは保育者・教員志望の学生です。小・中学校では、音楽の授業だけではなく、学校行事でも歌う機会は少なくありません。教育現場に立ったとき、オンチがからかいやいじめにつながらないように、みんなで楽しく歌えるように、このピア・サポート(仲間同士の支援)体験が役立つと期待しています」

自分のことをオンチだと感じたことのない読者の中には、「どうしてこんなにまでしてオンチを克服したいのか?」と疑問に思う人もいるかもしれない。

「友達や職場の人とカラオケに行くなど、歌は娯楽であり親しく交流する場でもあります。学校を卒業して音楽の授業がなくなっても、歌との縁は切れません。歌うことが苦手な人こそ、恥ずかしい思いや苦い思いをすることなく、楽しく歌いたいのです」

いまだになかなか終わりの見えない新型コロナウイルス感染症の影響により、みんなで心を一つにして大きな声で合唱することが難しい。安心して楽しく歌える日が来るのを待ちながら、ソーシャル・ディスタンスの維持など防疫に配慮しつつ、自分自身の素晴らしい声という楽器を使って、歌の練習をしてみてはいかがだろうか。

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ヘルシスト 266号

2021年3月10日発行
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