特集 農業革命 〈巻頭インタビュー〉
劇的に変化する状況——転換期を迎えた日本の農業

構成/飯塚りえ  イラストレーション/小湊好治

1999年、21世紀を見据えて日本農業の行方や農業政策の枠組みを定めた「食料・農業・農村基本法」が制定され、5年ごとに基本計画が策定されることになった。2024年、この「基本法」が25年ぶりに改正された。国内外の情勢変化、気候変動、従事者の高齢化に伴う農業人口減少など、農業を取り巻くさまざまな状況の劇的変化が背景にある。一方、スマート農業をはじめ持続可能な食料システムの構築など、未来の農業への取り組みも始まっている。農業は大きな転換期を迎えている。

女子栄養大学栄養学部教授

中嶋康博(なかしま・やすひろ)

1989年、東京大学大学院農学系研究科博士課程修了(農学博士)。東京大学農学部助手、同大大学院農学生命科学研究科助教授、准教授、教授を経て、2025年から現職。東京大学名誉教授。著書に『食品安全問題の経済分析』(日本経済評論社)、編著に『食の経済』(ドメス出版)、共著に『フードシステムの経済学』(医歯薬出版)など。現在、日本農林規格調査会会長、農林水産省国立研究開発法人審議会会長などを務める。

「食料・農業・農村基本法」(以降、基本法)は、1999年に制定されました。当時、食料の安定供給の確保、農業の持つ多面的機能の発揮、農業の持続的な発展、農村の振興という4つの基本理念を掲げて制定された同法は、国民の生活安定と国民経済の健全な発展を図ることを目的としていました。制定以降、この法に基づいて、基本計画が5年ごとに策定されています。

四半世紀ぶりの抜本的な改正

つまり基本法は、日本の農業・農村を維持・発展させて、ひいては食料をどのように確保するのかという方向性を定める重要な指針を示すものです。今回、最初に制定されてから劇的に変化した社会情勢を鑑み、四半世紀ぶりに抜本的に改正されることとなりました。ポイントは、次の6つです。

  1. 国民一人ひとりの「食料安全保障」を基本の理念に。
  2. 「環境と調和のとれた食料システム」を新たな基本理念に。
  3. 人口減少下における農業生産の方向性を明確化。
  4. 人口減少下における農村の地域コミュニティの維持を明確化。
  5. 「食料システム」の位置づけと関係者の役割を明確化。
  6. 改正基本法における次期基本計画の策定。

この中で注目すべきは、基本理念において「食料安全保障」という用語が用いられたことです。これまでの基本法では、「食料の安定供給」の視点から理念を定めていましたが、ここでは単に言葉を変更したということではなく、食料確保に関して根本的な考え方を転換したことを意味しているのです。

国際連合食糧農業機関では、食料安全保障という用語を「すべての人が、いかなるときにも、活動的で健康的な生活を送るために、必要とする食事や食のを満たす、十分で安全かつ栄養のある食料を、物理的、社会的、経済的に入手できる状況」と定義しています。ここには、次の4つの要素が盛り込まれています。

  1. フードアベイラビリティ(供給可能性)。食料が十分に生産、輸入、備蓄されて十分な量の食料が市場に出回っていること。
  2. フードアクセス(入手可能性)。経済的にも物理的にも、食料を購入したり、入手したりできること。
  3. ユーティリゼーション(利用)。衛生的な環境、調理知識、栄養に関する知識があり、食料を適切に調理し、栄養を摂取できること。
  4. スタビリティ(安定性)。上記3つの事項が安定していること。

これまで日本では、フードアベイラビリティ、つまり食料の安定供給さえ確保すれば食料安全保障は達成されるという理解が一般的でした。しかし日本でも、経済的な格差や過疎化による商業施設の不在、高齢者の移動手段の問題などの要因で、フードアクセスが困難になっていることは明らかです。そこで、これらの課題に対応するため、食料安全保障という概念を見直したというわけです。

このように、食料安全保障への取り組みは多岐にわたりますが、特に日本の場合は、やはりどのように国内で生産し、どのように海外から輸入するかという問題を最優先に検討すべきです。

ここで理解したいのは、日本の自給率を上げれば海外からの輸入への依存がなくなるのかというと、そうではないということです。国内生産だけでは日本の食料を賄うことが難しく、海外からの輸入は依然必要なのです。

現在、日本で消費される食料は、カロリーベースで考えると国内生産で4割、輸入で6割を賄っています(図1)。日本ではしばしば、自給率の低さが指摘され、それを何とか上げようという施策を模索してきました。その取り組みは間違っていませんが、そもそもなぜ自給率が低くなるのでしょうか。

図1 食料の安定供給の構図日本の食料供給は、カロリーベースで国内生産が4割、輸入は6割。輸入の中には国内で生産できない品目と、国内生産が可能でも不足している品目とがある。特に、畜産動物の餌となる飼料の多くは、海外からの輸入に頼っている。

懸念される日本の購買力の低下

1960年代、日本の食料自給率は約80%ほどでした。その後徐々に低下し、2000年には40%ほどになります。自給率が急激に下がった主たる要因は、戦後のベビーブームで人口が急激に増えたこと、そして食事内容が大きく変わっていき、国内の限られた農地では十分に生産しきれないほど食料消費が拡大したことです。特に小麦や油脂、そして畜産物を多く食べるようになりました。その需要を満たすために、小麦や油脂用大豆などは海外産に依存し続けています。一方、畜産物については国内生産を増やすことができたのですが、そのために必要な餌は海外から大量に輸入することになりました。こうした、農地面積の限界、食の変化、人口増加の3つの要因が重なり、自給率が低くならざるを得ないというのが日本の現状です。つまり、日本の食料安全保障のためには国内生産量だけでなく、海外からの安定的な輸入は必須である、ということなのです。

日本は戦後の長い期間にわたり、世界で最も多くの穀物を輸入することができました。しかし今後、世界人口の増加に伴って穀物の争奪戦が予想されます。一方、直近では、日本の購買力が低下していることが懸念されています。日本の1人当たりのGDPは、1999年の世界第9位から、2020年には13位に低下し、さらに2027年は16位と推計されていることから、今後これまでと同じように輸入ができるのか不安があります。

また世界各地で紛争が起きるなど地政学的な問題もあります。気候変動が原因で世界の主産地に大きな不作が生じ、それに伴って国際市況が高騰することも起こり得ます。こうしたさまざまな要因が日本の輸入にダメージを与える可能性を理解しておくべきです。

それゆえに国内生産の強化がいっそう求められていますが、直面している最も大きな課題は、人口減少による農業の担い手の減少です。現在の日本農業は高齢者世代に大きく依存していますが、彼らがリタイアしたときに農業を継続してくれる人材が大幅に不足しています。2020年に108万いた農業経営体は、2030年には54万に半減するという予測もあります(図2)。これは過去のを踏まえての推計で、厳密な分析を経たものではありませんが、現実的な数値として受け止められています。そして担い手減少の影響もあって、農地の荒廃も加速しています。今後、3割程度の農地が利用されない恐れがあるともいわれていますが、一部で既に現実のものとなっており、過去10〜20年間で耕作放棄地が大幅に増加しています。農地は、一度荒廃すると、再び回復させるには多大なコストがかかります。現在利用されている農地を確実に維持・活用することが取り組むべき課題です。

「農林業センサス」、「農業構造動態調査」および各種面積統計を基にした農林水産省試算

図2 農業経営体の減少農業経営体は、施策をしなければこのままの趨勢で減少をたどる。2030年には経営体が54万になり、約3割の農地が利用されなくなる恐れがある。

農業に新しい人材を呼び込むためには、農業がとして成り立つ仕組みも必須です。日本では長くデフレ経済の影響で農産物価格が上がらず、生産者の経営を圧迫する状態が続いています。その結果、収益性が上がらないために若い担い手を確保することも難しく、耕作放棄地が増え、新規投資も進まないという負のスパイラルが生まれていました。

担い手の減少、生産性の停滞など多くの課題を抱える日本の農業だからこそ、今回の基本計画では、より細かく現状を見定め、新しい取り組みを推進しています。

その象徴的な施策の一つが、基本法改正に合わせて制定されたスマート農業技術活用促進法です。先端技術を活用した農業を推進していくことを法的に定め、持続可能な農業システム構築を重要な柱として位置づけたのです。今回改正した基本法では、「初動5年間で農業の構造転換を集中的に推し進める」ことが掲げられており、スマート農業はそれを支えることが期待されています。

避けて通れない環境問題

スマート農業では、多様な情報技術、ロボット技術を活用することとなります。現在、GPS自動システムによる精密な農作業、ドローンを活用した農薬散布や生育状況監視、土壌センサーによる水分・養分管理、AIを活用した病害虫診断システムなどが実用化されており、これらの技術によって、作業時間の短縮、労働負担の軽減、作業精度の向上、生産コストの削減、品質の安定化などの効果が期待されています。戦後すぐの農地改革によって、日本の農業は1ha程度の規模の数多くの農家で構成されることになりましたが、だんだんとその規模では農業で生計を立てることは不可能な状況となり、農地は徐々に大規模経営に集まっていきました。それが近年、この規模拡大が一気に進みつつあります(図3)。これは情報技術に支えられたスマート農業的手法が利用できるようになったことで、農地の効率的な運営がさらなる“規模の経済性”が実現し始めているからでしょう。

農林水産省経営局農地政策課調べ

図3 農地集積率の推移国内の農業生産の維持には農地の確保とその有効利用を図る必要がある。農地面積は、宅地等への転用や農地が荒廃することなどで1961年に比べて、約179万ha減少している。他方、農業の担い手に農地を集積する取り組みが奏効して、農地集積率は60.4%になっている。農地の集積は生産性・収益性を高めるうえで欠かせない。

人口が減少し始めた日本では国内市場が縮小していますが、一方で海外の市場は拡大していることから、基本計画では輸出を拡大して「海外市場で稼ぐ力」を強化していくことも掲げています。この面からもスマート農業は重要な意味を持っています。国際競争力のある高品質な農産物を安定的に生産するうえで、精密農業技術による品質管理、データに基づいた生産管理などが有効です。収益性の高い農業は、若い世代の参入を促進することにつながるでしょう。

今回の基本法ではまた、「環境と調和のとれた食料システム」の確立が新たな基本理念として追加されました。例えば、水田からはCO2の約25倍の温室効果のあるメタンが大量に排出されています。洪水防止や生物多様性の保全など、水田は環境面でプラスに働く多面的機能を発揮する一方で、地球環境に負荷も与えており、農業分野の環境問題の解決は避けて通れない課題なのです。環境負荷の課題解決に向けて、2021年には農林水産省が「みどりの食料システム戦略」を策定して、食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現することを目指しました。2050年までに——

(1)農林水産業のCO2ゼロエミッション化の実現
(2)化学農薬の使用量をリスク換算で50%低減
(3)化学肥料の使用量を30%低減
(4)耕地面積に占める有機農業の取り組み面積を25%(100万ha)に拡大

——など全体で14の目標を掲げており、これらの目標の達成には、従来の農業の延長ではない革新的な取り組みが求められています。

今回の基本法にもこの理念が生きており、スマート農業が重要な役割を果たします。例えば、土壌センサーやドローンによって生育状態を監視することで、肥料や農薬の最適な投入を実現して、これまでの過剰使用を防ぐことが可能になります。スマート農業の普及には初期投資が大きい、技術習得が必要、通信ネットワークの整備などといった課題がありますが、スマート農業推進のために、さまざまなサポートが行われていく予定です。

日本の農業には、安定して食料供給を担うことが期待されていますが、社会状況が大きく変化する中で、その存続基盤が危うくなっています。誰もが健康的な食事を安定して得られる、持続可能な食料システムを再構築するために、生産者、消費者、政府、企業など皆で連携して取り組むことが求められています。それに向け、今、農業は大きな転換期を迎えています。

(図版提供:中嶋康博)

この記事をシェアSHARE

  • facebook
  • line
  • mail

掲載号
THIS ISSUE

ヘルシスト 293号

2025年9月10日発行
隔月刊

特集
SPECIAL FEATURE

もっと見る