細胞と遺伝子 第33回 生命と音の不思議な関係

イラストレーション/北澤平祐

河合香織(かわい・かおり)

ノンフィクション作家。『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。近著にアンチエイジング研究の最先端を取材した『老化は治療できるか』(文春新書)がある。

発酵過程で音楽を聞かせておいしくなったという酒や味噌、醬油などがある。半信半疑に思ってしまうが、音波を細胞に直接伝える研究が成功し、約190種類の遺伝子が音に応答することが初めて明らかにされた。微生物の細胞レベルで音が何らかの作用を及ぼした可能性は否定できない。さらに音波刺激には、脂肪細胞の成長分化を抑制する効果も確認されている。なぜ細胞が音に反応するのか、生物にとって音とは何か——生命との関連の追究は始まったばかりだ。

京都大学大学院生命科学研究科分子情報解析学分野助教

粂田昌宏(くめた・まさひろ)

1980年、静岡県生まれ。2004年、京都大学総合人間学部卒業。2010年、同大大学院生命科学研究科博士号取得(生命科学)。同年から現職。

「音は耳と脳がある生物だけのもの——本当にそうでしょうか?」

そのような問いから始まる、生命と音の不思議な関係に挑む研究が、2025年4月京都大学から発表された。細胞が音に反応し、約190種類の遺伝子が応答することが明らかになったという。

微生物が音に反応しているのでは?

「これまでの常識や解剖学では、音は耳の内耳組織で受容した後、脳でそれを処理して音として認識しているというものでした。でも、それなら耳や脳がない生物や細胞にとって音は意味がないのでしょうか? 今回の私たちの実験では、細胞がそれ自体で音に応答することが明らかになりました」

この研究を主導したのは、京都大学大学院生命科学研究科の粂田昌宏助教。粂田氏が音と生命の関係に新たな光を当てた研究のきっかけは、意外なところにあった。

「私はお酒と音楽が好きで、発酵させるときに音楽を流して聞かせるとおいしくなるという触れ込みの音楽熟成ワインに興味を持ちました。他にも、日本酒やビール、味噌や醬油など、音楽を聞かせるという食品のほとんどが発酵食品だったのです。ひょっとすると、微生物が音に反応しているのではないかと考えました」

発酵とは、酵母や乳酸菌といった微生物の働きによって、食品などが変化することである。微生物は当然のことながら、単細胞生物で、耳も脳もない。それにもかかわらず、音楽が熟成に影響を与えるとすれば、音が細胞レベルで何らかの作用を及ぼしている可能性があるのではないかと粂田氏は話す。

音と細胞の関わりといえば、臨床的には骨折した箇所に超音波を照射することで回復が早まることなどが知られており、超音波治療法として広く利用されている。だが、なぜこうした効果があるのかを細胞に着目して調べる研究は始まったばかりで、未解明の点は多い。

さらに、超音波と比べてエネルギーが微弱な人間の耳に聞こえる高さの音(可聴域音波)が細胞にもたらす作用については科学的な先行研究がなかった。

「細胞は生命の最小単位として、外の世界のさまざまな情報を受容して、自分で自分の運命を決めて生きているんです。その中で音に着目した研究はまったくなされていないことが分かりました。それなら私がやろうと、哺乳類の細胞を使って、音を浴びせることでどんな変化が起こるのかという研究を始めたのです」

「まったくゼロからのスタート」ということは、どのように実験すればいいのかという実験方法から作り上げなければいけない。

「まず大きな問題として立ちはだかったのは、細胞にどう音を届けるかということです。最初は普通のスピーカーを細胞培養ディッシュ(シャーレ)の上に置いて音を当てて実験してみました。しかし、空気中の音は培養液の中までほとんど届かなかった。実は、音波の99%以上が水面で反射されてしまうんです」

試行錯誤の末、京都大学の研究資金を得て、粂田氏は音響工学の専門家と協力し、水中スピーカーのように振動板を水の中に浸けて音を発生する装置を開発した。工夫を重ねながら、細胞に直接音波を伝えることがようやく可能となったのだ。

細胞は音を情報として受け取る

音波のうち、人が聞き取れるのは約20㎐から20k㎐の周波数である。この実験では、マウス由来の筋芽細胞に対して、可聴域の中から少し低い音(440㎐)、高い音(14k㎐)、ホワイトノイズ (すべての周波数を含むランダムなノイズ音)の3種類の音波を照射した。その結果、42種類(2時間後)および145種類(24時間後)の遺伝子が音に応答してその働きを変化させていた(図1)。

図1 細胞による音波の受容応答メカニズム細胞に音波刺激が加わると、細胞接着部で応答が起き、細胞接着が増大して接着面積が増えるとともにシグナル伝達が起きる(①)。音波刺激に対応した初期遺伝子応答が誘導され(②)、脂質代謝の応答が活発化し(③)、後期遺伝子応答が引き起こされる(④)。一連の応答によって約190種類の遺伝子の働きが変化し、細胞接着や細胞運動が向上し、長期的には脂肪細胞分化の抑制などが引き起こされる。

「この働きが変化した遺伝子の中には、細胞接着に関係する遺伝子が多く含まれていました。音の刺激は、細胞接着の活性化を介して、遺伝子の応答へとつながることが分かりました」

音の刺激は細胞を機械的に揺らすだけではない。細胞がそれを情報として受け取り、その中で反応を起こしていることが明らかになった。例えば、Ptgs2(Cox-2)という遺伝子は、炎症や代謝の調整に関わることが知られているが、音刺激を受けた細胞ではこの遺伝子の働きが強まっていた。この遺伝子の発現には、細胞が物理的刺激を感知する際に働くFAK(フォーカルアドヒージョンキナーゼ)という酵素が深く関与していたことも確認された。こうした反応は、単に細胞の表面が揺れているというだけではなく、音という外からの刺激が、細胞の中で「連絡網」のように信号を伝えていき(シグナル伝達)、最終的には遺伝子の“使い方”にまで影響を与えていたということになる。

注目すべきは、こうした応答が細胞種によって異なる点である。さまざまな細胞種を調べたところ、筋芽細胞や骨芽細胞に加えて、最も大きく応答したのは脂肪細胞だった(図2)。

図2 音波による脂肪細胞分化の抑制効果マウスの脂肪細胞を使った実験で、細胞に440㎐の音波を継続的に、もしくは1日2時間断続的に当てたところ、成熟した脂肪細胞の割合(棒グラフの薄い緑と濃い緑の部分)が有意に減少した。現在はマウスの生体内の脂肪組織でもこの効果が見られるかどうか検証している。

「脂肪細胞に音波を照射したところ、脂肪の蓄積が抑制されました。脂肪細胞が成熟する過程では、最初は痩せている細胞がどんどん脂肪を蓄えていって、中が脂だらけになるのですが、この過程を音で抑制できることが分かりました。つまり音波刺激には脂肪細胞の成長分化に抑制的な効果があったということです」

この論文は大きな反響を呼び、さまざまな問い合わせが来たという。

「例えば、音波刺激を与えることで、人の脂肪組織を外からコントロールできるようになったら面白いなと考えています。肥満治療など医療の他にも、ダイエットや美容などでも応用可能かもしれない。音は薬剤のように残留しないし、スイッチのオン・オフで即時に制御できる。非侵襲的な細胞のコントロール手段として大きな可能性があります」

一方で、意外にも皮膚の細胞である上皮細胞や神経細胞、がん細胞ではあまり強い応答が見られなかった。

なぜ細胞種によって応答が違うのか。粂田氏は、細胞同士が接着する「細胞接着部」の強さによるものではないかと仮説を立てているという。

「細胞同士が接着する部分の強さが、音に対する感受性に影響を与えている可能性があります」

実際に、音を当てると、細胞の接着が増えて、上から見ると卵をフライパンに落としたときのように、面積が広がっていく様子が観察された。

「また、音によって働きが変化する遺伝子の中には、1日の体内時計を決める概日リズムに関連するもの、あるいは細胞死を引き起こすアポトーシスに関する遺伝子なども含まれています。音が細胞の機能に広範な影響を及ぼしていることが示唆されます」

音への反応は生命の根源に関わる現象?

そもそも細胞が音に反応することの意味とは何か。粂田氏は基礎科学に携わる研究者として、生物にとって音とは何かという根源的な問いを明らかにしたいと考えている。

「音(聴覚)は五感の一つで、とても重要なのに、これまで細胞との関係がほとんど知られてきませんでした。音は空中よりも水中のほうがずっと効率的に伝わります。海洋微生物とか、さらには単細胞生物として海の中で生まれた原始生命は、音にどう反応していたのでしょうか。もしかすると、水中で音に反応してそちらに向かったり逃げたりすることで、熱やエネルギーを得たり敵から逃れたりして生きる確率を上げることができていたのかもしれません。そう考えると、音への応答は生命の根源に関わる現象かもしれません」

音は耳で聞くだけではなく、より根源的な生命活動に深く関与しているのかもしれない。一細胞レベルで音をどうやって利用しているのか、その解明への扉は開かれたばかりだ。

「今は“ピー”という単一周波数の音など、シンプルな音を使っています。しかし音のバリエーションは無限にあるので、その影響をどう拾っていけるか、さまざまなパターンや複雑な音源を組み合わせて研究に取り組んでいます」

粂田氏は文理融合で知られる京都大学総合人間学部から生命科学研究科へと進んだ。

「大学時代は主専攻が生物学で、副専攻は東洋哲学でした。そして大学のオーケストラ部の活動に力を注ぎ、5歳から習っていたバイオリンを演奏していました。指揮者も務め、最終学年ではオケのために1年留年したくらいにのめり込みました」

大学院では細胞内の仕組み、特に細胞内での分子の輸送を研究テーマとしたという。博士号取得後すぐに京大の助教となり、自ら資金を獲得しながら10年がかりでこの研究を形にした。

「みんなが研究職に就くのに大変苦労している中、自分は幸運にもすぐに研究職のポストに就けたので、これは何か自分にしかできない新しいチャレンジをしなければいけないと思い、この研究を始めました。それでも成果が出ない時期が長くて、5年間ほど何の成果も論文も出せないときもありました。すごく怖かったし、ちゅうちょした時期もありましたが、腹をくくり、何度も試行錯誤を繰り返しました。結果が出たと思ったら、それは音の影響ではなく、装置の熱によるものだったこともあります。自分の研究に自分で幾度もちゃぶ台をひっくり返しました」

それでも研究を続けてこられたのは、必ず音と細胞の関係はあると確信していたからだという。

「メカノバイオロジーという、物理的に何かが当たったり水流などによって環境から力を受けたときに、細胞がどう応答するかという研究が発展していた時期でした。その知見と照らし合わせると、計算上は音のエネルギーでも細胞応答があってしかるべきではないかと思っていました」

これまで生命科学では外的な刺激が細胞にどのような影響を与えるかについては多くの研究が進んできたが、それらは物質に着目したものが主流であったという。

「イオンや、ホルモンなどの生理活性物質は、実際に手に取って測ったり投与したりして扱うことができますが、そのような物質に比べ、非物質は扱いにくいものです。同じ研究を同じ条件で世界中で行うのが難しいからです。だから、非物質の研究は後回しになっていました。その中でも温度や光など、近年目覚ましく研究が進んできている分野もあり、音もその一つになるのではないかと考えています」

音の種類によって細胞の反応は変わるか

今後は、音の種類やパターンごとの反応の違いをさらに詳しく探り、細胞の応答機構を多角的に解明していく予定だ。また音楽のうまい・下手の違いが、細胞レベルで違う反応を引き起こすことがあるのかを確かめる研究なども行っている。

ちなみに当初のきっかけとなった音楽熟成ワインについても研究してみたいと思い、京大で唯一醸造ができる農学部の研究室に相談に訪ねたこともあった。研究室の教授はオーケストラ部の先輩だった。話を聞いてみると、お酒の醸造はすごく繊細で、10人の学生が同じ材料を使って同じ工程で醸造しても、10通りのまったく違うお酒になるのだという。

「そうなると、音だけの効果が科学的に証明できそうにないので、醸造はいったん諦めましたが、もうちょっとシンプルな、例えば酵母や乳酸菌だけを使った方法なら研究できる余地はあるのではないかと考えています」

そして、何より大切にしているのは、生命にとって音とは何なのか、を自分なりの方法で追究したいという基礎科学者としての思いだ。そのため、音楽学や脳科学、心理学など他分野の研究とコラボしながら、また工学系や理論物理系も含め、生命科学でも別分野の研究者と協力しながら、細胞と音の関わりを多角的に追究していきたいという。

音楽をこよなく愛し、研究者として追究してきた粂田氏にとって音とは何だろうか。

「地球上に最初からあった現象ですから、生命は誕生以来、その傍らには常に音がありました。音は我々が思っている以上に生命にとって根源的な意味を持つファクターではないかと考えています。細胞と音の関係性を明らかにしていくことで、音があることで我々生物の世界がこれだけ豊かになったんだ、というところまでつなげられたら面白いと思います」

(図版提供:粂田昌宏)

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