暮らしの科学 第75回 ハイキングの極意は楽に! ゆっくり!

文/茂木登志子  イラストレーション/古泉香苗

新緑がまぶしい季節だ。気軽に自然に触れてみたいと思う読者も、多いのではないだろうか。近くの山でハイキングを楽しむのは、健康にも良さそうだ。ところが、その“歩き方”によって、得られる健康効果は大きく変わるという。

〈今月のアドバイザー〉山本正嘉(やまもと・まさよし)。鹿屋体育大学名誉教授。専門は運動生理学とトレーニング学。東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学)。秩父宮記念山岳賞、日本山岳グランプリなど受賞歴多数。登山歴は50年余り。ヒマラヤやアンデスでの初登はん記録も持つ。著書に『登山と身体の科学』(講談社)『登山の運動生理学とトレーニング学』(東京新聞出版局)など。

登山とハイキング、そしてウォーキング、どこがどう違うのだろうか? この疑問に答えてくれたのは、山歩きの運動生理学を長年研究してきた山本正嘉さんだ。

「登山は、標高差が大きく、長時間にわたって歩く本格的な山行を指しています。5時間以上歩くことも珍しくなく、荷物も重くなります。日帰りであっても、しっかりとした体力と準備が必要です。また、登山には、山小屋泊やテント泊を伴う縦走(1つの山頂に登って下山するのではなく、尾根稜線を伝って複数の山々を山頂から次の山頂へ歩きつなぐスタイル)も含まれます」

一方、ハイキングは半日程度、登り下りそれぞれ500m以内、3〜4時間で終わる山歩きを指す。

「私はハイキングを“軽登山”と表現しています」

山本さんは、ハイキング〜軽登山で最も重要なのは、「ゆっくり歩くこと」だと指摘する。なぜなら、標高差がそれほど大きくなくても、速いペースで登れば、運動強度は一気に上がるからだ。

つまり、同じ山でも、歩き方次第で“軽いハイキング”にも“本格的な厳しい登山”にもなるのだ。そして、ウォーキングとの違いもここにある。

「ウォーキングは主に平地で行う運動です。健康目的として、山歩きが推奨されることも少なくありません。しかし、平地と山は事情が違います。山には登り下りがあるため、同じ時間でも平地よりはるかに負荷が大きいので、ゆっくり歩くことが大事なのです」

運動はきついほど健康に効果がある。そんな思い込みを、私たちはどこかで抱えていないだろうか。だが、山においては、それが逆効果になることもあるという。そして山本さんは、こう指摘する。

「多くの人が、山で“歩くのが速すぎる”のです」

速すぎると脂肪は燃えない

山本さんによると、安全で健康的な山歩きの目安は「1時間に300m程度の上昇」だという。ところが、山本さんらの調査によると、多くの中高年登山者は、1時間に500〜600m前後のペースで登っているという。これは、運動強度でいえば、ランニングと同じレベルだ。

「息が切れるほど速く歩くと、体は脂肪ではなく炭水化物を主な燃料として使います。その結果、脂肪燃焼効率は下がり、筋肉疲労が起こります」

つまり、ダイエット目的で山に行っても、強すぎる運動強度では、脂肪が思うように燃えないのだ。

「さらに問題なのは、筋肉疲労です。登りで筋肉疲労が起こると、下りで脚のコントロールが乱れ、転倒事故につながりやすくなります」

実際、比較的低い山でも事故は少なくないと、山本さんは指摘する。

「また、強すぎる負荷は一時的に免疫機能を低下させることも知られています」

頑張って山に登った翌日に、どっと疲れが出たり、体調を崩したり。そんな経験がある人も少なくないのではないだろうか。

こうした理由から、速さではなく、運動の“強度の適切さ”こそが、ハイキング〜軽登山で健康効果を得る鍵なのだと、山本さんは断言する。

では、どのくらいの強度が適切なのか?

「主観的運動強度という考え方を、私は推奨しています。自分が感じるきつさを基準にする方法で、“非常に楽”から“非常にきつい”までを、段階で評価します。適度な強度の目安は、きつさを感じる手前。具体的には、口を閉じて鼻呼吸で歩け、かつ会話も楽にできて、それを何時間でも続けられるくらいの余裕がある状態です」

図1 運動時の「きつさ」を測るボルグスケール

いつもの平地を歩いているときの感覚からすると、かなりゆっくりペースに感じるかもしれないが、それでちょうどいいのだという。なぜなら、ゆっくり歩けば、脂肪がよく燃え、心肺にも適度な刺激が入り、免疫機能も良い方向に働く。無駄な休憩を挟まずに済むため、結果的に思ったよりも時間がかからず、しかも安全で快適。翌日も爽やかに過ごせるという。

「山歩きというのは、平坦ではない所を2〜3時間歩きます。ややきつい強度では、体力が持たないのです。長時間、無理なく続けられる強度こそが、実は最も効率的な健康効果を得られるのです」

坂道は日常の“山”になる

ハイキングとはいえ、いきなり山を歩くのはハードルが高い。そう感じる読者もいるのではないだろうか。実は、日頃の運動不足を解消しつつ、山歩きのトレーニングにもなる方法がある。坂道を歩くことだ。山本さんはその理由を次のように述べる。

「平地と比べると、坂道では消費エネルギーが格段に増えます。また、上りでは心肺機能が刺激され、脂肪代謝が高まる一方で、下りでは筋肉がブレーキをかけながら伸び縮みするため、筋力維持に役立つからです」

山本さんの研究では、1カ月当たりの上り下りのそれぞれの累積がどちらも2000mを超える人は、生活習慣病の有病率が低い傾向が見られたという。

「例えば、標高差50mの坂道を毎日往復すれば、1日で上りも下りも50m。30日でそれぞれ累積標高差が1500mに達します。そこに月1回、標高差が500m程度の山でのハイキングを加えれば、十分な運動量になります」

駅から我が家までは緩やかな上り坂が延々と続いている。地図で調べると、標高差は25mだった。毎日2往復してハイキングに月に1回行くか、毎日1往復してハイキングに2回行くと、十分な運動量になるということか。そんな机上の計算をしていると、山本さんがこんな助言をしてくれた。

「無理はしなくていいのです。毎日の通勤路の坂も、買い物帰りの上り坂も、ただ歩くとつらいかもしれませんが、大事なのは、それを“健康貯金”の一つと、発想の転換をしてみることです」

「生活活動のメッツ表」「運動のメッツ表」
(厚生労働省地域健康政策推進事業委託事業 2026年1月版)から抜粋して作成

図2 運動強度メッツで見るハイキングメッツは、ある運動に使うエネルギーが安静時の何倍かを示している。多くの場合、6メッツの運動であれば安全だが、7メッツになると心臓突然死が起きる確率が急増するといわれている。ハイキングでは、6メッツ台のペースを保って歩くことが重要だ。

山本さんの助言は続く。

「もちろん、日常の坂歩きはその日の体調や気分に応じて歩き方を変えてもいいでしょう。元気な日は少し速めに。疲れている日は疲労を回復させるつもりでゆっくりと。大切なのは、合計としての量を積み重ねることです」

楽に! 楽しく!

さて、新緑のハイキング、どこに出かけようか?

「運動不足の人や初心者には、ケーブルカーやロープーウェイのある山を推奨します」

山本さんはその理由を次のように説明する。

「ゆっくり登る、つまり、息が切れない程度のゆっくりしたペースで歩くと、脂肪が非常によく燃えますし、免疫機能を高める効果があります」

下りは登りよりも筋肉への負担が大きく、疲労による転倒事故が起こりやすい。

「自力で登り、帰路は乗り物を利用すれば、転倒などのトラブルを防ぎ、翌日も爽やかに過ごすことができます」

運動とか健康効果というと、つい、頑張ろうと気負い込んでしまう。

「息を切らさなくていい。無理をしなくていい。これが、ハイキング〜軽登山を楽しむコツです」

この春、ぜひ“ゆっくり”新緑の中を歩いてみよう!

Column

負担の少ない歩き方は、
快適な靴で、小幅で、ゆっくり

下りは登りよりも筋肉への負担が大きく、疲労による転倒事故が起こりやすい。そうした事故を防ぐ歩き方として「小幅で歩く」ことを山本さんは推奨する。「前足のかかとと後ろ足のつま先が、あまり離れないように意識する」ことが重要だという。また、「靴が快適でないと、それだけで疲労が大きくなる」という。装備は見かけの良しあしではなく、快適さと安全性を優先すべきであり、靴選びは安全な登山の基礎であると強調している。もちろん、ハイキングでも同様だ。

体力の低下を自覚し
適切に休憩を取る

コロナ禍などで座りがちな生活が続いた人などは、本人が思っている以上に体力が落ちている可能性がある。そのため、山歩きではより慎重なペース配分が必要だ。また、休憩の取り方は、「登山だったら50分歩いて10分休憩が標準」だが、「慣れていない人なら30分に1回でなど、より短い間隔でもよい」という。休憩中は、水分とエネルギーの補給、汗拭きや衣類の調整で体温調整をこまめに行う。休憩は「疲れ切ってから」ではなく「調整のため」に取るのがポイントだ。

油断大敵!
山を侮るなかれ

標高599mの高尾山(東京都)は、都心から近く、国内外から多くの観光客や登山者が訪れ「世界一登山客が多い山」として知られている。ところが、警察庁が公表した統計によると、日本で一番遭難事故が多い山でもある。なぜなら、多くの人が高尾山を「観光地」だと思い込み、ハイキングや登山をしている自覚がない。そのため、サンダルやヒールといった山歩きに向かない靴を履いているなど、装備が不適切だからだ。低い山でも油断大敵! 準備をしっかりしよう。

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ヘルシスト 297号

2026年5月10日発行
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