
母の背中、飛び出した外の空気までひっくるめた食の記憶
最近は朝食にはパンを食べる、という話をよく聞く。確かにパンの朝食は時間が限られる朝にはうってつけだろう。
けれども、私は朝は断然ご飯派である。
子どもの頃から、朝食を抜いたことはほぼない。食べないとエネルギー切れを起こしてまったく使い物にならない。
洗顔か、朝食か、と言われたら迷わず朝食を選ぶたちなのだ。
朝、炊きたてのご飯の香りを嗅ぐと、今でも条件反射的にあるものを思い出す。
湯気の立った白いご飯の上に、小さな黄色い塊。醤油をさっとかけたほかほかのバターご飯である。茶碗の中でじわりと溶け合って、なんとも言えない香りを立ち上らせる。
母が作ってくれた、バターご飯だ。
小学校低学年の頃、釧路に住んでいたときのことである。朝、どんなに時間がないときでも、必ず朝ごはんを食べてから学校に行っていた。時には、玄関先に誘いに来たお友達に待ってもらっていたこともあったように思う。
急いで食べる朝ごはんといえば、バターご飯か納豆ご飯だった。
納豆ご飯は、私はあまり好きではなかった。
当時の納豆には、たれは付いていなかった。そのため、各家庭で納豆をどんな味で食べるのかは結構違っていたように思う。
私がなぜ、そんなことを覚えているのかというと、学校で納豆の味つけの話になったとき、みんな同じような食べ方だろうと思い込んでいた私は、うっかり納豆に砂糖を少しかけるとおいしいよ、と言ってしまった。そうしたら、クラスメートに、納豆に砂糖かけるの?気持ち悪い、と言われてしまったのだ。クラスメートは、お菓子みたいに大量の砂糖をかけることをイメージしたのだろうか。
私の父は納豆の味つけに醤油、辛子と少しの砂糖を加えて混ぜて食べるのが定番だった。一家のお父さんがこの食べ方なのだから、当然、家族みんな同じ食べ方をしていた。
最近の納豆に付いているたれの味は結構甘い。やはり納豆には、甘味がある味が合うのだと思う。
食の記憶というのは不思議なもので、手の込んだ料理よりも、こういうシンプルなもののほうが、何十年たっても色あせずに残っていることがある。
大人になってフランス料理を学び、レストランで食事をして、いろいろな料理を食べ歩いてきた。それでもふとした瞬間に、あのバターご飯の味が恋しくなる。
先日、久しぶりにバターご飯を作ってみた。
炊きたてのご飯に、良質なバターをひとかけ。醤油をさっと垂らして、バターが溶けるのを少し待つ。
口に入れた瞬間、あの朝の台所がよみがえってきた。
レシピでも料理でもない、ただの組み合わせ。けれども、なんとも言えないおいしさがある。それは、もしかしたら母が無意識に渡してくれた何か、時間がなくても、温かいものを食べさせたいという、言葉にならない気持ちのようなものだったのかもしれない。
作り置きができる煮魚は朝食向き
なぜ料理とも言えないようなシンプルな組み合わせがこんなに強く五感の記憶として残っているのだろう、とずっと思っていた。
栄養学を学ぶうちに、少しだけその答えが見えてきた気がした。
食の記憶は、味覚だけで形成されているわけではない。その食べ物を食べたときの状況、一緒にいた人、感じていた感情、その場の温度や光、そういったものがすべて絡まり合って、一つの記憶になる。
特に幼少期の食体験は、脳の記憶と感情に、密接に連動していて、感情とセットで刻み込まれやすいのかもしれない。
つまり私が思い出しているのは、バターご飯の「味」だけではないのだろうと思う。
時間がないのに温かいものを用意してくれた母の背中、炊きたてのご飯の湯気、急いで食べて飛び出した玄関と外の空気、そういうものを全部ひっくるめて、あの一杯のおいしさを覚えているのかもしれない。
改めて、私が好きだったバターご飯と味噌汁の朝ごはんの食材を栄養学的に眺めてみると、これがなかなか侮れない組み合わせだということが分かる。
まずご飯。白米は糖質を主体としたエネルギー源で、忙しい朝に脳と体を動かす燃料として申し分ない。そこにバターが加わることで、脂質が補われる。脂質はエネルギー密度が高く、少量でも持続的なエネルギー供給を助ける。さらに脂溶性ビタミンの吸収を促す働きもある。
そして味噌汁の味噌。大豆を発酵させた味噌には、植物性たんぱく質に加え、発酵によって生まれたアミノ酸などが含まれる。腸内環境を整える発酵食品としての側面も見逃せない。醤油も同じく発酵調味料で、少量で深いうま味をもたらす。
糖質・脂質・たんぱく質という三大栄養素がそろい、さらに発酵食品の恩恵まで受けられる。忙しい朝の食事としては、実は理にかなっていたと思う。もう少したんぱく質が多ければ、完璧だ。
バターと醤油の組み合わせは、今でこそ「バター醤油味」として北海道ラーメンやいろいろな料理に登場する味つけの一つだが、そのおいしさの理由は、乳脂肪のコクと発酵調味料のうま味が重なり合うことにあると思う。うま味成分であるグルタミン酸やアスパラギン酸、ペプチド、コハク酸が相互に引き立て合い、単独では出せない奥行きが生まれる。シンプルに見えて、実は味の構造がしっかりしているのだと思う。
最近の私の朝ごはんの定番は、もち麦ご飯、煮魚に超具だくさん味噌汁である。
朝から煮魚とはびっくり、と思われるかもしれないが、実は、煮魚はほぼ作り置きである。煮魚は作り置いても身がパサつかないし、電子レンジで温めればまるで出来たてのようにいただける。しょうがを入れたり、梅干しを入れたり、味つけもいろいろ変えられるし、魚の種類も季節によって変わるのでまったく飽きない。一年中何も変わらない鶏肉や豚肉、牛肉とは違って、季節を感じられるのも良いところだ。
最近は、主菜はほぼ肉ばかりで魚をほとんど食べない家庭も多いようだ。
一から手作りが難しければ、缶詰を利用するところからでもよいので、ぜひ魚のおいしさを味わってほしいと思う。
ご飯1杯、味噌汁、煮魚1切れ、そんな地味すぎる朝ごはんが最高においしく、意外にも記憶に残るごはんなのかもしれない。
写真:イメージマート








