医療機関にかかるとき、多くは最初に内科を受診する。一方で内科医は、総合的に鑑別診断して的確に判断しなければならない。しかし患者の体に生じている症状は多岐にわたるため、症例の少ない疾患は医師の経験・知識の限界を超えることもある。日本内科学会では診断のツールとして、「診断困難例ケースサーチJ-CaseMap」を公開している。ただ、このシステムはあくまで希少な疾患を対象としているため、医師には、AIが生成する情報の真贋を鑑別する能力が求められる。
特集 「AI時代」の医療 内科医の鑑別診断を支援する2万5000症例のデータベース
文/茂木登志子
診断支援システム「診断困難例ケースサーチJ-Case Map」(以下、J-CaseMap)は、2020年8月、日本内科学会の会員向けにVer.1がリリースされた。同学会地方会で報告された症例約6000例を構造化したデータベースに任意の医学用語を入力すると、AIがキーワード同士の関係を判断し、鑑別診断の候補となる疾患を挙げる仕組みだ。このシステムを利用することで、未診断症例の類似症例検索、さらに症例の組み合わせによる原因疾患の推測が可能となり、医師が鑑別診断をする際の支援となる。
患者を総合的に診なければならない
この支援システムの基礎となるデータベースは、自治医科大学の医師をはじめとする約150人の内科医が中心となり、約3000例の日本内科学会地方会症例の論理を図式化して構築した。AIは画像やグラフなどのパターン認識は得意だが、文章の読解は不得手だ。しかも約150人の手による記述は統一が取れていなかった。そのためリリースに当たっては、同大の永井良三学長がすべて修正し、さらに自身で数千症例を追加、用語整理を施した約6000例を利用したという。そこでJ-CaseMapの生みの親ともいえる永井学長に、開発の趣旨や経緯について聞いた。
永井学長は開口一番、内科医には患者を総合的に診る使命があると断言した。
「内科学は多くの疾患を対象とするため、総合的に学ぶことは大変困難です。そうした背景もあって内科学の専門分化が進んできました。しかし、内科医の前に現れる患者の体に生じている症状は多岐にわたることが多い。多くの患者さんにとっての受診の入り口である内科医は、専門性を発揮する以前にまず患者を総合的に診なければなりません」
臨床医として内科学を総合的に学ぶ方法の一つが、多彩な症例の学習だ。この学びの機会として、かねて永井学長が注目してきたのが日本内科学会地方会だった。
「1990年ごろ、日本内科学会の関東地方会から刊行される演題抄録は、私にとって貴重な情報源でした。抄録は500字程度ですが、フォーマットがほぼ統一され、かつ診断が確定している症例です。しかも、医学の教科書には外国での症例が載っていますが、これには、日本人の、現実の臨床における症例が記載されています。まさに多彩な症例の学習にうってつけの教材だと思い、1993年ごろ、東京大学医学部附属病院の病棟医長、助教授時代にパソコンで3000例のデータベースを作りました。これは研修医向けの本の付録として配布しました」
それから10年以上たった頃、全国の地方会症例報告はデジタル化され、やがてその総数は6万例を超えた。
「そこでこれらをデータベースとして活用すれば、総合診療診断の支援に貢献できると考えました。2009年当時、私が日本内科学会理事長を務めていたこともあり、東京大学の大江和彦教授(当時・東大病院企画情報運営部長、現・順天堂大学特任教授)、荒牧英治助教(現・奈良先端科学技術大学院大学教授)に依頼し、症例報告に記載された医学用語の高速検索システムである『症例くん』を作成していただきました」(図1)
図1 日本内科学会と日本循環器学会の症例報告検索システム(2009年)「症例くん」はキーワード検索によって、症例報告の演題(抄録)とその発表者、所属、疾患の分類などが表示されるシステム。例えば上図で「発熱 血小板減少 意識障害」と入力すると、下図のように類似症例が表示される。
「こんな病名は思いつかなかった」
この検索システムは現在も稼働中で、多くの内科医に利用されているという。しかし、検索システムでは、多くの情報がヒットするものの、陽性所見と陰性所見を区別したり、症例の文脈を読んだりすることができない。
「蓄積された症例報告を活用して、文脈を追える仕組みを作りたいと思い至りました」
永井学長は放射状に情報を提示するマインドマップというソフトがあることを知り、コツコツと作業を始めたという。2016年に、日本医療研究開発機構(AMED)の臨床研究等ICT基盤構築研究事業「人工知能による総合診療診断支援システムの開発」として採択され、また2019年度 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)推進のための協調領域データ共有・AIシステム開発促進事業「医療情報を横断的に統合した診療支援AIシステムの開発」支援を受けられることになった。永井学長が執筆と総監修を務め、検索アルゴリズムは小田啓太特別特命准教授(元Googleエンジニア、現・自治医科大学)、今井健特別特命教授(自治医科大学、東京大学准教授 兼任)、佐藤寿彦医師(AI研究者、企業代表取締役)が分担して開発した。
「共同研究者の皆さんと共に、症例報告の文脈と、鍵となる医学用語の関係をグラフ表示し、これを検索や診断支援のためのシステムとして創出したのが、J-CaseMapなのです」
例えば「発熱」「血小板減少」「意識障害」などのキーワードを入力すると、AIがデータベースからキーワード同士の関係を判断し、鑑別診断の候補を挙げる仕組みになっている(図2)。
図2 AI診断支援システムJ-CaseMap「J-CaseMap」は例えば「発熱 血小板減少 意識障害」と入力すると(上)、鑑別診断候補リストが提示され(中)、これらの疾患の症例報告と、主訴や各種所見等のツリー構造を閲覧できる(下)。
J-CaseMapは、鑑別診断をする際、よく分からない場合に似たような症例を検索する、あるいはこの方向でよいのかと確認するのに使われる。
「とりわけごくまれな疾患の場合、え、こんなことが起こるの? というところから、こんな病名は思いつかなかったというレベルまで、幅広く想起させるという点で、かなりの支援になります。また、このシステムは、地域医療で診断困難な症例に遭遇した際に、可能性のある病名の整理に役立ちます」
永井学長はその理由を次のように説明する。内科医は総合診療医であることが求められる。だが一方で、基本的に専門医や高度医療機関との連携が困難な地域で医療を担う医師には、総合診療を行うとともにある程度は専門的医療に関する知識も求められている。これには極めて広範囲の臨床的知見が必要で、従来は医師個人の知識・経験に依存していた。だが、J-CaseMapのような診断支援システムがあれば、補完の一助になるのではないかという期待があるからだ。
しかし、永井学長はくぎを刺すことも忘れない。
「誤解しないでいただきたいのは、症例報告を用いたこのAI診断支援システムは、あくまでも比較的まれな疾患を想起するものとして活用するものです。また鑑別診断は医師自身が行います。J-CaseMapは、判断の代行はしません」
J-CaseMapでは過去の症例報告がデータベースとして活用されている。実は症例報告というのは、見る目のある人にとっては宝の山だと永井学長は言う。病名、症状、所見、患者の訴えといった情報が記載されているからだ。
「症例報告というのは一種の事件簿です。主たる疾患という真犯人がいて、合併症という共犯者がいる。真犯人と共犯者がそれぞれ患者にどのような被害、すなわち症状や所見をもたらし、どういう経過をたどり、どういう結果を迎えたのかが記述されています。臨床医の経験と知見をもってこの事件簿から、医学ストーリーを読み解いていくわけです」
永井学長によると、例えば「後頭部痛を伴った椎骨動脈解離」という症例報告を、症状や所見から読み解くと、椎骨動脈が解離して血腫が生じ椎骨動脈からの枝である後下小脳動脈が閉塞して小脳梗塞を引き起こしたという一つの文脈が見えてくる。
「それだけではありません。椎骨動脈の血腫が神経を圧迫して後頭部の痛みが生じたというもう一つの文脈も学ぶ必要があります」
これを構造化すると、本筋すなわち主因となる疾患と合併症が明確になり、患者の身にどういうことが起こっていったのか経過がたどれる。逆に、こういうことが起こるということは、こんな原因が考えられると推定することも可能だ。
「症例報告によって、こういうトレーニングができるのです」
2万5000例に到達した症例数
このように症例報告から読み解いた情報や知見を、次の患者に生かすのだが、こうした事件簿の読解が臨床医のスキルアップにもつながると永井学長は言う。
しかし、いくら宝の山だといっても、雑然と積み上げているだけでは宝の持ち腐れになる。
必要な情報を取り出して活用するためには、体系化と分類、そして辞書をしっかりと作る必要がある。
「私は今でも隙間時間を利用して、J-CaseMapの症例を追加し辞書の整理を毎日行っています。症例報告をデータとして生かすには、体系と分類、システムの構造を熟知していなければなりません。特に文脈を読み取り、記述内容や用語を校正する作業で逸脱が生じてはいけません。そこでVer.1からの最終監修者である私が、こうした地道な仕上げ作業をすべて遂行しています」
登録症例数約6000例で始まったJ-CaseMapは、毎年更新されて、2024年9月1日現在はVer.5になった。症例は2万268例まで増えた(現在は2万5000例に到達)。加えて、症例が増えても検索速度が低下しないように、アルゴリズムも改善されている。
最近はAIが下書きをするようになったが、すべての症例を永井学長が修正する作業は今なお継続されている。移動の時間など少しでも自由に使える時間ができると、愛用のノートパソコンで毎日こうした地道な校正作業を行うという永井学長。大変だろうと察するのだが、決して苦ではないという。
「この作業に取り組んでいると、臨床医としての勘が鈍らないからです。症例報告を読み進めるのは、実際に患者と向き合っているのに近く、臨床の模擬体験をしているようなものです。法律家が判例を勉強するのと同じです。医師である限り、現場の、臨床医としての感覚を、失ってはいけないと考えています」
医療の質の向上を目指した医療AIは、とても新しい試みのように見える。だが、永井学長は指摘する。
「道具と手段が変わっただけで、医学の発達の過程で情報の蓄積とその分類、検索、活用は連綿として行われてきました」
ここでいう情報とは、患者のカルテ、症例報告、最新医学の文献などを指す。永井学長自身が医療のデータベースを作り始めたのは、1970年代からだという。コンピュータを使うようになったのは、1981年からだ。
「きっかけは、恩師の教授から『明治以来のカルテを整理せよ』という指示が出たことです。その当時、医学情報の蓄積、整理、活用は、もっぱらカードで行われていました」
情報の真贋を鑑別する能力が不可欠
カードにキーワードとなる見出しを書く。情報を簡潔に記載する。作成したカードを体系に沿って分類し、必要なときに検索して活用する。この作業が期せずして学習となり、頭の中で情報の構造化ができるという。
「そうした手作業をこの機会にコンピュータで行おうと考えました。これも時代の流れでした。しかしメモリが28KBしかなく、データはテープに格納し、プログラム作りも大変でした」
電子カルテの普及のみならず、患者の安全や医療従事者の業務効率化などを図るために病棟のDX化(デジタル技術を活用して病棟の業務やシステムを改善し、効率化を図る取り組み)も進みつつある。この勢いは止まらないだろう。
「J-CaseMapを用いると、医師にとって、鑑別診断が早くでき、より早く患者に治療を提供できます。そうしたスピードが速くなることは、鑑別に費やす時間を効率化できるので、長時間労働などの課題を抱える医師の働き方改革につながります。患者側にも、診断や治療までに要する時間が短くなるのはメリットです」
このようにうまく使いこなせば、ツールとしての医療AIにはメリットがある。その一方で、課題もあると永井学長は指摘する。
「ハルシネーションが、今後の医療AIの大きな課題となるでしょう」
ハルシネーションとは、幻想という意味で、AIが事実と異なる情報や、現実には存在しない情報を生成してしまう現象を指している。まるでAIが幻想を見ているがごとく、あたかも正しいかのようにうそ情報を出力するため、このように呼ばれている。
「確率的には、この現象の発生はゼロにはならないといわれています。これをどのように防止するのか。AIをツールとして使いこなす医師には、AIが生成する情報の真贋を鑑別する能力が不可欠になるでしょう。逆に言うと、そういう鑑別能力を備えていないと、AIをツールとして使いこなせないということです。ですから、自身で真偽をチェックする習慣をつけておかないといけないでしょう」
医療AIの進化とともに、使いこなす側の知識とスキルの進化もまた求められている。
医学史から見たAIへの思い
「パリ医学」と「ドイツ医学」
病気というコンセプト(概念)を思い浮かべて、病状や所見を理解します。それらを組み合わせて病気の概念をつくる。そのような体系は古代ギリシアのピポクラテス時代から行われており、完成したのが18世紀のフランスにおける「パリ医学」です。主に病院での観察と病理解剖を通じて発展しました。
その後、ドイツにおいてヒトの体をメカニズムで理解するという科学革命が起こりました。その頃、日本は開国。当時のドイツの医学が世界最先端であったことから、明治政府は「ドイツ医学」を導入しました。
戦後日本に流入した「アメリカ医学」
一方アメリカでは、ヨーロッパで学んだウィリアム・オスラー医師が、当時の最先端の医学を持ち帰り、それらをバランスよく取り入れて「アメリカ医学」の基礎を固めました。パリ医学の体系とドイツ医学のメカニズムの両方の特徴を持つ医学です。
第二次世界大戦後、占領軍が日本国民向けに日比谷の日東紅茶のパーラーを図書館にしたことで、学生、社会人、学者が通ってアメリカの情報に触れました。アメリカ医学の最新文献も、その図書館に入ってきました。医局の先輩たちは競ってこの図書館に通い、最新医学誌を夢中になって読み込み、そこで得た情報をカードに整理して、仲間と共有しました。こうした熱心な学びを通して、新たにアメリカ医学が入ってきたのです。これを終戦直後、掲載する論文のなかった日本内科学会雑誌に掲載しましたが、その多くは症例報告でした。
症例報告集は先輩たちの努力の結晶
J-CaseMapには日本内科学会地方会の症例報告集を用いました。地方会の前身は東京大学内科学教室が大正時代から開催していた内科集談会です。大学での研究が困難になった戦時中にも継続して開催され、終戦の年には、東京大空襲(3月10日)の1週間前の土曜日(3月3日)まで毎月1回、空襲警報を気にしながら、東京大学医学部内科講堂で開催されていました。症例や病理標本の提示があり、パリ医学とドイツ医学を踏まえながら、症例研究に取り組んでいたのです。
症例報告をデータベース化すると、困難な時代や環境においても、体系化と分類の視点をもって研究し、猛烈に文献を勉強した先輩たちの思いを感じます。こういう努力の延長線上に、今日の新しいツールである医療AIがあると思います。






