がん治療薬の進歩は目覚ましく、効果的な新薬が続々と登場して、進行がんでも5~10年以上の長期生存が可能になった。もはやがんは治る病気として認識されているが、一方で、薬剤価格の高額化は止まらず、高額療養費制度で上限額が設定されていても、個人負担額は相当なものだ。新薬は治療成績も良く、副作用も軽いことから使用する患者が増えている現状は、国全体の医療費圧迫につながる。進化する新薬と高騰する治療費のジレンマを解消する試行錯誤が続いている。
〈シリーズ〉がんから身をまもる
第7回 がん治療の光と影 続々登場する効果的な新薬と高騰する治療費のジレンマ
構成/飯塚りえ イラストレーション/小湊好治
医療費の増大の問題には、個人の負担と社会の負担という2つの側面があります。
がん治療を例に取ると、個人の場合、がんが疑われた段階で、さまざまな検査が始まり検査費用がかかります。最初の検査費用は数万円ほどですが、その結果、さらに詳しく調べる必要があってPET検査や病理検査を行うと、十数万円ほどかかることがあります。
1錠2万円を超える分子標的薬が多くある
次に、治療を始めると、どのような治療を行うかによって費用は大きく変わります。例えば、生検のために内視鏡検査をしたら悪性だったという場合、検査と同時にがんを取りきってしまってその他の治療は不要となったり、外来でできる内視鏡切除であれば、そこまで高額にはならず費用の負担も一時的です。しかし入院して胸腔鏡や腹腔鏡などで手術が必要な場合、ある程度まとまった金額がかかります。
最近、問題とされているのは、薬物療法を行うことで一気に費用が跳ね上がることです。効果的な治療薬が続々と開発され、以前であればステージ4のがんにしか使わなかった抗がん剤を、手術の前後に補助的に使うなどといったことが増えているのです。すると、手術よりも、その前後に使う薬のほうが高くなることがしばしば起こります。手術と薬物療法を組み合わせることで高い効果が期待できますが、費用は途端に高額になってしまうのです。
薬物療法は、従来使われているような殺細胞性抗がん剤であれば費用を抑えることができます。しかし、分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬といった比較的最近登場した薬剤は、多くの場合、非常に高価です。分子標的薬を例に取ると、種類によって価格は異なりますが、1日の薬価が2万円を超える分子標的薬が複数あります。ひと月当たりの患者の薬剤費が100万円弱になることも珍しくないのです。このような薬を使う患者はほとんど、高額療養費制度の上限額を自己負担することになります(図1)。これらの新しい治療薬は治療成績が良く副作用が軽いため、使用する患者の比率が徐々に増えてきているのが実状です。
厚生労働省「高額療養制度を利用される皆さまへ」を引用して改変
図1 高額療養費制度での自己負担額(多数回に該当する、69歳以下の月額)年収は目安。制度適用は、標準報酬月額と課税所得によって判定される。抗がん剤などで長期間にわたって治療を続けているなど、過去12カ月以内に3回以上、上限額に達した場合、4回目から「多数回」該当とな り、さらに上限額が下がる。
分子標的薬が日本で初めて承認されてから24年がたちました。それ以来、数多くの新しい分子標的薬が開発され、現在ではがん治療における中心的な役割を担っています。私の専門領域である肺がんの患者では、分子標的薬が効いて10年以上飲み続けている患者もいます。つまり、10年以上も高額療養費制度の上限額を払い続けているということです。分子標的薬に関しては、がんが寛解した後で薬の服用をやめても再発しない、ということが明らかになっていない現段階では、高額な医療費は大きな負担となりますが、副作用がほとんどないということから、途中でやめるケースはほぼありません。
治療成績の良い治療薬が続々と実用化
新しく出てきたがん治療薬の薬価が非常に高額なのは確かですが、では利益を得る製薬メーカーにその原因があるかといえば、必ずしもそうとは言えないでしょう。
薬価が決まるまでには、政治をはじめとする複雑な背景があります。日本の場合、がん関連で国が助成する研究費は年間で150億円ほどです。他方、がんの治療薬を開発している、あるグローバル企業を調べたところ、年間の研究開発費は売上額の約25%で、およそ1兆8000億円でした。そのうち3分の1ががんの薬の開発だとしても6000億円です。これには人件費も含まれているため、純粋な研究費としての比較はできませんが、それでも国が助成する研究費とグローバル企業の研究開発費にこれだけ大きな差があるのです。
がん治療薬を開発するグローバル企業は世界に10社ほどあります。そして各企業がこれだけの予算規模で研究開発をしているおかげで、治療成績の良いがん治療薬が続々と実用化されているのです。企業としては、新薬開発に投資した分を回収し、さらに次の治療薬の開発に投資するというサイクルを保つ必要があり、それらを鑑みて薬価を定めているのです。
もう一つ、日本で販売される薬の価格は、厚生労働省が決定します。しかし、この価格が世界の標準的な価格からかけ離れて安価になったりすると、海外の創薬企業は、日本での販売に懸念を示すことがあるかもしれません。市場で実際に販売するまでには多額の資金が必要なため、新しい薬の開発はいわゆるベンチャー企業が行い、その後、臨床試験などさまざまな手続きは大企業が行うという形が多かったのですが、最近、アメリカのベンチャー企業では、他国における新薬の治験から承認までを手掛けるケースが出てきました。そうした企業にとって、日本で適正な薬価が付かないとなると日本での臨床開発には魅力がありません。その結果、優れた新薬が日本に入ってこなくなったり、国内での承認が遅れるリスクが考えられます。
これは政治的な問題でもあり判断が難しいところです。薬の価格が高額にならないようにと、日本での薬価を低く設定すれば、新薬がなかなか入ってこないドラッグ・ロスが発生し、発展途上国のような状況になるかもしれません。今のところ、そのようなことは起きていませんが、将来的な危機感を持つ医師もいて、何かしらの打開策が望まれます。
高額療養費制度の見直しを検討している
薬価の上昇について、海外では2000年ごろから問題視する声が上がっていましたが、日本ではこれまであまり表面化していませんでした。その一番の理由は、日本の国民皆保険制度だと思います。高額療養費制度の上限額でも、個人の支出としては負担がかなり大きいのですが、それでも国が医療費の大半を負担しています。そのため、個人で薬価の高騰を直接的に感じる機会が少なかったのかもしれません。しかしながら、世界的に見ると新薬の開発は加速しており、このままのペースで進んでいくと薬価はさらに上昇して、国民皆保険が破綻するのではないかと危機感を抱いています。個人の負担と社会的な負担のバランスをどうするか、非常に難しい問題だと思います。
現在、政府は高額療養費制度の見直しを検討しています。2025年8月に予定していた上限額の引き上げは見送りになりましたが、現行の上限額でも負担額は決して少なくないと思います。例えば、69歳以下で年収約1160万円以上の場合、ひと月当たりの自己負担上限度額は25万円以上です。先述の通り、分子標的薬など高価な新薬を使った治療は長期間に及ぶこともあり、患者の負担は相当なものになります。
このまま医療コストを気にせず「医学の進歩」を求めるのは限界があるとして、がん治療において限りある医療資源をどのように使っていくか、検討していこうという取り組みが始まっています。全国の医療機関が参加する研究者主導の「日本臨床腫瘍研究グループ(Japan Clinical Oncology Group:JCOG)」は、がん治療の標準治療や診断方法を確立するための臨床試験を実施する組織です。この中に医療経済小委員会が設立され、がんの医療技術や治療法のコストと効果を分析し、費用対効果を評価する指針を示しています。
薬物、放射線、手術とそれぞれの治療法において概算費用を掲載し、費用とベネフィットを総合的に判断して、高価ではあってもベネフィットはコストに見合う場合は提言なし、治療が高価でそれに対するベネフィットを検討するデータ収集を必要とする場合は、医療経済評価研究を推奨したり、あるいは著しく高価でベネフィットが見合わない場合は、試験のデザインそのものを再検討するといった提言を行います。
従来、評価の対象は、患者の生存期間や副作用でしたが、それに加えて医療経済的にどちらの治療が優れているかという指標を盛り込んだ積極的な取り組みといえます。
ただ、実際の治療の場面において、費用対効果をどのように判断するかは個人の価値観によるところも大きく、線引きは非常に難しいと思います。例えば、肺がんの治療薬であるEGFR阻害薬の第1世代、イレッサは一番安いもので年間の薬剤費が50万円を切りますが、第3世代の薬は年間670万円ほどになり、高額療養費制度の上限額に達します。第3世代のほうが薬の効果が高く副作用も低いのですが、金額が大きく異なります。いざ、EGFR阻害薬を使おうとなったときに、どちらを選ぶかは、患者の経済的状況や人生観など、個々の事情によるでしょう。
特に判断が難しいのが、術後の補助療法で分子標的薬などを使う場合です。肺がんの場合、術後に薬を使わないと再発するとも限らず、手術でがんを取りきってしまい、そのまま治ってしまう患者が一定数いるのです。そういう方たちにもEGFR阻害薬の第3世代であるタグリッソを術後に使うとなると、3年間で2000万円以上かかります。何もしなくても治るかもしれない人にも、2000万円の医療費をかけるかどうかという話になってきます。医師の立場からすれば無理に勧めるものではありません。主治医とよく相談して最終的に患者自身が「補助療法は必要ない」と考えることもあると思います。
肺がんの場合、おおよその数字で、手術をしてそのまま治る人が50%、術後の薬を使っても再発する人が40%、術後に薬を使ったおかげで再発しなかった人が10%です。つまり、術後の補助療法の効果がある患者は10人に1人なのです。そうした現実を踏まえ、費用の面だけではなく副作用のつらさなども考慮して、術後の補助療法をやらない選択をする患者も少なくありません。逆に言うと、10人に1人しか効果がない治療に高額な医療費をかけているケースもあるのです。そうした実状を踏まえ、患者がどうしたいかを判断するものだと思います。
こうした薬剤の使用に対して、現在、科学的に判断する根拠がありません。今後、ゲノム検査の進展や優れたバイオマーカーの発見によって、再発リスク発見の確度が上がれば状況は好転するだろうと考えていますが、簡単には改善できない難しい課題です。
短期間でやめられる優れた治療薬の開発
世界全体の創薬の現状を考慮すると今後も薬価が上がっていくのは必至なので、価格のコントロール以外の部分で対策していかざるを得ないと思います。例えば、肺がんであればイレッサは保険適用のままで、タグリッソは保険適用外にするという考え方もあります。しかし、現状の日本では反対意見が多く、とても受け入れられないでしょう。ただし、薬価が下がればいいというものでもなく、長く使用されている薬の価格が下がって製薬会社は利益を上げられなくなり、製造終了になってしまった例もあります。長く使われている薬は、それだけ安全性が確立されている非常に良い薬なので、こちらも問題です。古い薬は安すぎるし、新しい薬は高すぎる、というアンバランスな現況ですが、多角的な視点から状況を捉え、何とか対策していかなければなりません。
JCOGでは第Ⅲ相試験(検証的試験)といって、検証対象となる治療の有効性や安全性を確認し、標準治療と比較する大規模な臨床試験を行っています。この試験には、対象となる治療の有効性を検証する優越性試験と非劣性試験があります。前者は、試験対象の治療が副作用などの毒性や長期間の入院などのデメリットを有するとしても、標準治療よりも有効性が高いことを検証するために行います。一方後者は、対象の治療が標準治療と比較して劣っていないことを検証するもので、その治療を標準治療と置き換えたり標準治療のオプションの一つとすることを意図した試験です。費用が安く済む治療法をデザインして非劣性試験を進めていく方法も、個人的には有効だと考えています。
誰もが望むのは、がんを治癒できる薬が開発されることです。現在、分子標的薬でもなかなか治癒まで結びつかず長期にわたって使用する状況ですが、より優れた薬が開発されれば1年ほど使用したらやめられるということになるかもしれません。慢性骨髄性白血病の治療薬イマチニブは、3年以上寛解が続いている一部の患者は安全に使用をやめられるようなので、他のがん治療薬もそのような形で進歩していくのが理想的です。まだ研究段階ですが、微小ながん細胞が残っているかどうかを確認する研究が数多く進められていますので、精度が上がり臨床試験に使えるようになれば、高額な治療薬が必要な患者を見分けることも可能になりそうです。世界全体で続々と薬が研究開発されていますから、新たなアプローチで有効性の高い治療法が登場することを期待しています。







