アンチエイジングが注目され、老化に関する研究が進んでいる。老化には遺伝因子が関わっていることが分かっているが、環境や生活習慣など後天的要因の影響も大きく、半分以上を占めるともいわれている。後天的な要因の主たるものは、DNAをメチル化などして遺伝子の機能を制御するエピゲノムだ。エピゲノムの変化は、老化メカニズムの解明において重要な役割を果たすことから、老化の抑制や老化を病気と捉える治療の追究は今後、世界的に発展するとされている。
特集 ここまで分かったエピジェネティクス 老化は遺伝的要因だけでは語れない
構成/大内ゆみ イラストレーション/千野六久
同年齢でも、若々しい人もいれば、やけに老け込んでいる人もいるなど、老化の進み方に個人差があることは、誰もが経験的に分かっていることでしょう。ほぼ同じDNAを持つ一卵性双生児でさえも、成長過程での環境や生活によって老化が進むスピードも寿命も異なります。つまり、老化は単なる時間経過や先天的な遺伝だけではなく、環境や生活習慣など後天的要因が大きく影響しています。その影響は研究報告により異なりますが、先天的要因に対し、5割から8割を占めるといわれています。
後天的要因により変化するのが、エピゲノムです。エピゲノムは、DNAの塩基配列(遺伝情報)を変えずにDNAのメチル化、ヒストン修飾、クロマチン構造の変化などにより、遺伝子の機能(オン/オフ)を制御しています。全身の細胞は、みな同じDNAの塩基配列を持っていますが、脳の細胞は脳のエピゲノム情報、肝臓の細胞は肝臓のエピゲノム情報というように特異的な遺伝子発現パターンを持つことで、それぞれの組織が特有の役割を果たしているのです。
しかし、こうした細胞特異的なエピゲノムは、加齢とともに、DNAの損傷、代謝疾患や感染症などの罹患、生活習慣や社会的ストレス、紫外線や化学物質への曝露などの外的環境といった後天的な要因により変化していきます。例えるなら、DNAが押し入れ全体だとして、初めは整理整頓されていた押し入れの中が散らかった状態になってしまうのです。これでは組織に必要な物(遺伝子)を取り出すことができません。そこで、サーチュインなどの長寿遺伝子がハウスキーパーの役割を果たし、押し入れを整理してくれる。つまり、エピゲノムを修正して、必要な遺伝子を取り出せるようにすることで、組織の機能が維持されています。ところが、これらハウスキーパーも加齢とともに活性が低下し、押し入れの中は散らかったままになります。すると、だんだんと組織の機能が低下し、筋力や認知機能、免疫能の低下、皮膚の衰えなどの老化はもとより、疾患の発症までも招いてしまうのです(図1)。
図1 エピゲノムと老化(イメージ)加齢に伴う後天的な要因によりエピゲノムは変化し、エピゲノムを修正するサーチュイン遺伝子の活性も低下する。すると、散らかった押し入れから必要な物が取り出せなくなるように、組織機能の維持に必要な情報が使えなくなり、筋力や認知機能、免疫能の低下、皮膚の衰えなどの老化をもたらす。
12の「エイジング・ホールマークス」
また、エピゲノムの変化は長期間細胞や臓器に記憶されたり、細胞分裂を通じて継承されたりすることも分かっています。つまり、若い頃の暴飲暴食などの不規則な生活が将来的な老化に影響してしまうのです。
加えて、エピゲノムの変化とは別に、遺伝子の配列そのものが変わる突然変異でも老化は起こります。押し入れの例えでいうと、掃除機がほうきに変わってしまうようなもので、典型的な疾患ががんです。
現在、老化研究では、老化の特徴として、12の「エイジング・ホールマークス」が提示され、エピゲノムの変化もこの中の一つとして位置づけられています(表1)。重要なのは、これらエイジング・ホールマークスは独立して作用するわけではなく、互いに影響し合っていて、中でもエピゲノムの変化は老化のメカニズムを解明する重要な鍵となっています。
早野元詞. エイジング革命 250歳まで人が生きる日. p.116–117, 朝日新聞出版, 2024.
老化は単一の原因ではなく、エイジング・ホールマークスで示されるように、複数の細胞レベルの変化が積み重なることで進行する。中でもエピゲノム変化は、重要なホールマークの一つとされ、研究が世界的に活発になっている。
寿命をコントロールする老化研究は、1935年に世界で初めてラットの実験でカロリーを制限すると延命効果があると示されたことから、世界的に進んでいきました。とりわけカロリー制限による老化進行の抑制効果については、マウスや霊長類を用いたさまざまな研究結果から、その基本的なメカニズムとして、サーチュイン遺伝子の中でも、主にSIRT1がニコチンアミド・アデニンジヌクレオチド(NAD+)という酵素により活性化されるためであることも分かっています。SIRT1がエピゲノムを制御するタンパク質であることからエピゲノムが着目され始め、2型糖尿病治療薬として知られるメトホルミンや免疫抑制薬のラパマイシンなど既存の化合物も、エピゲノムに影響し、アンチエイジングや寿命延伸に効果がある可能性が示唆されています。さらに現在では、高齢者でも細胞の若返りを可能にする研究が進み、老化を病気と捉え、進行を抑制するだけではなく、治療する時代へと突入しつつあります。
ストレスが閾値を超えると老化が一気に進む
実は、2010年ごろまでは、老化を遅らせることはできても、戻すことはできないという考え方が一般的でした。しかし、本当に老化は不可逆的なのか、そして、老化はどのタイミングで起きてどう進行していくのか——そうした疑問から始まったのが、アメリカ・ハーバード大学のデビッド・シンクレア博士らと共同で開発したICEマウスです(図2)。
図2 ICEマウスの開発若いマウスに対しエピゲノムの変化を誘導すると、DNAの配列変化が生じずに老化が加速。このマウスにエピゲノムを再構築した結果、エピゲノムの改善が見られ、老化は元に戻せる可能性が示された。
ICEマウスは老化の加速化モデルで、開発にあたっては、若いマウスに対し、DNAの一部を人工的に傷つけることによってエピゲノムの変化を誘導する処置を3週間行いました。結果、DNA損傷が修復されていく過程において、DNAの配列変化は起こらずに、記憶、筋肉、視力、骨密度など組織の機能低下や白髪などの老化現象が促進していきました。そして、この老化を加速したICEマウスでは、DNAのメチル化、ヒストン修飾、クロマチン構造などのエピゲノムの変化が見られました。中でもマウスの筋肉においては、筋肉に特異的なエピゲノム情報が減少し、免疫や炎症に関わる領域のエピゲノムの修飾と遺伝子発現が増加していました。
こうした結果から、前述したように、後天的なストレス(DNA損傷)はエピゲノムとして細胞や臓器の中で記憶され、老化は、細胞や臓器特異的なエピゲノム情報が消失して起こることが証明されたのです。そして、エピゲノムが老化の速度やタイミングを決定することも明らかになりました。また興味深いことに、DNA損傷の期間を2週間に短縮したマウスでは、老化の進行は見られませんでした。このことから、エピゲノムの情報を消失させるストレスには閾値があり、それを超えると老化が一気に進むことが推測されました。
次に、このICEマウスに、山中因子を用いて、エピゲノムを再構築(リプログラミング)する実験を行いました。山中因子とは、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授らが発見した、さまざまな組織の細胞に分化できるiPS細胞(人工多能性幹細胞)に初期化可能な4つの遺伝子です。この実験では細胞増殖力が強く、腫瘍化リスクの高いc-Mycは使わずに、Oct3/4、Sox2、Klf4の3因子を用いました。これらの山中因子の誘導によって、メチル化DNAや部分的なエピゲノムの改善が見られ、老化を治療できる可能性が示されたのです。
その後、シンクレア博士のラボでは、ICEマウスとリプログラミング技術を応用した緑内障モデルで、視神経細胞を若返らせて視力低下を回復させることに成功し、2026年内には緑内障患者を対象とした臨床試験が開始される予定です。緑内障は視神経の損傷により視力の低下や視野の欠損が起こる疾患で、加齢とともに発症率が高まります。現在のところ、視神経を回復させる根本的な治療法はなく、この臨床試験の成果に期待したいところです。
老化研究では、単に寿命を延ばすだけではなく、より健康で質の高い長寿が求められています。実際に、健康寿命を延ばすためには、栄養、運動、サプリメントや薬物などの化合物といったさまざまなアプローチを適切に正しく取り入れることが必要です。特に生体への影響が大きいと考えられる化合物の摂取は注意すべきです。例えば、前述のNAD+によるサーチュイン遺伝子の活性化では、NAD+を増やすニコチンアミド・モノヌクレオチドのサプリメントが開発されていますが、朝に服用することで効果を発揮し、夜の服用では老化が促進される可能性があります。これは体内では夜間にNAD+の量が低下するという概日リズム(24時間周期で変動する生物の体内時計)があり、このリズムを乱してしまうと、代謝異常を引き起こすためです。
加えて、暦年齢ではなく、実際にどれだけ老化が進んでいるかを把握することも非常に重要です。それは、老化を実感する年代に限ったことではありません。外見や体に老化現象が現れるずっと前から、分子レベルでは何らかの異常が起きているのです。そんな目には見えない老化を可視化する指標として、生物学的年齢(エイジング・クロック)があります。
代表的なのは、血液から加齢に伴って増加するメチル化などエピジェネティックな変化を測定する方法で、エピジェネティック・クロックと呼ばれ、老化研究で活用されてきました。前述のICEマウスの研究でも、エピジェネティック・クロックを用いています。さらには、タンパク質、代謝物、ホルモン、免疫機能などのさまざまなバイオマーカーを組み合わせたエイジング・クロックも開発され、老化研究のみならず、海外を中心に検査サービスの提供も進んでいます。
エイジング・クロックが分かれば、「あなたの実年齢は30歳ですが、脳や心臓の生物学的年齢は50歳なので、○○の運動を○分行い、たんぱく質を1日○○g摂りましょう。効果的なサプリメントは○○です」など、画一的な介入方法ではなく、個人のみならず個人の臓器や細胞に合ったアプローチを提供できるようになります。そして、もう一つ、重要視しているのが、個人の物語(ナラティブ)を起点とした人生設計です。誰もが健康のためには生活習慣の改善が重要だと分かっているはずなのに、なかなか実践には踏み込めない。しかし、「40歳になったら起業したい」「来年は孫と旅行に行きたい」といった人生における目標は、数値の上下よりも行動を変えるための強い動機になります。こうした個々の人生設計に応じて、生物学的年齢をデザインし、健康寿命の延伸を実現するために、基礎研究を行う財団法人と事業化を推進する企業として「ASAGI Labs」を立ち上げました。
健康寿命を延伸する可能性のある薬
同ラボでは、エピゲノム変化を含むバイオマーカー、デジタルデバイスを介した血圧や心拍数などのデータ、臨床での診療データなどをAIで解析し、精度の高い生物学的年齢の測定の開発を目指しています。加えて、健康寿命を延伸する食品や医薬品の開発・研究では、すでに有効性や安全性が示されている既存の治療薬で、健康寿命を延伸する可能性のある薬のリストを構築しています。中でも、去痰薬の主成分であるアンブロキソールは、抗酸化作用、抗炎症作用、オートファジー促進作用があり、エビゲノムの変化に影響を及ぼすことが分かっています。
現在、健康な50歳以上の成人を対象に、アンブロキソールを投与し、認知や筋力、免疫機能などの改善を評価する臨床試験を実施予定です。この臨床試験は、50~80歳の人を対象に10年以上の老化の抑制や改善を目指す世界的なコンペティション「XPRIZE Healthspan」に参加しています。また、特定のエピゲノム変化を制御することで、糖尿病や肥満症の治療薬であるGLP-1受容体作動薬に伴うサルコペニア(筋力低下)を改善する薬を開発中です。
これからもエピジェネティクスを中心とした老化研究と社会実装化は、世界的に発展していくことが予想されます。現在、老化制御の研究やビジネスはアメリカが最先端を走っていますが、世界で最も高齢化が進んでいる日本にこそ強みがあると考えています。私たちのASAGI Labsでも、静岡市や富士宮市、藤枝市といった自治体との共同研究により、健康長寿のための商品やサービスの創出、市民の健康増進に取り組んでいます。
生物界を見れば、400歳近いにもかかわらず老化が見られないニシオンデンザメや100歳を超えても活動性や繁殖能力を保つガラパゴスゾウガメが発見されています。生物は必ずしも加齢に伴って老化するわけではなく、生物学者としては興味が尽きないところです。こうした長寿生物におけるゲノムやエピゲノムの研究も進められており、いずれはヒトの寿命も250年になる時代が来るかもしれません。







