
遺伝情報を保存・伝達する核酸はすべての細胞に存在する。核酸の遺伝子を対象とする核酸医薬の開発が進んでいる。核酸医薬はmRNAに結合することで病気の原因となるタンパク質をつくらせない。一方mRNA医薬は必要なタンパク質をつくらせることで効果を発揮する。どちらも狙う遺伝子の情報を制御することで、より安全な効果が得られるとされ、COVID-19のmRNAワクチン普及もあり注目される。mRNAの免疫反応への対処が今後の課題なのだという。
イラストレーション/北澤平祐

遺伝情報を保存・伝達する核酸はすべての細胞に存在する。核酸の遺伝子を対象とする核酸医薬の開発が進んでいる。核酸医薬はmRNAに結合することで病気の原因となるタンパク質をつくらせない。一方mRNA医薬は必要なタンパク質をつくらせることで効果を発揮する。どちらも狙う遺伝子の情報を制御することで、より安全な効果が得られるとされ、COVID-19のmRNAワクチン普及もあり注目される。mRNAの免疫反応への対処が今後の課題なのだという。
毒にも薬にもなる、という言葉があるように、強い薬効には副作用が伴いがちだ。従来の抗がん剤は、がん細胞を直接強くたたく一方で、正常細胞も傷つけ、吐き気や脱毛、免疫低下など全身的な副作用が課題であった。
では、副作用のない薬は作れないのか。東京科学大学生命理工学院の山吉麻子教授は、がん細胞が自ら放出するエクソソームという粒子が“運び屋”に使う抗体結合型核酸医薬を開発することで、この難題に挑む。根底にあるのは、「薬は体を攻撃する異物ではなく、細胞と対話するパートナーであるべき」という「物質共生(Material Symbiosis)」の哲学である。
原点は10代の頃の体験にある。
「母は製薬企業の研究者で、幼い頃は、第二の母のように慕っていた伯母に面倒を見てもらいました。その伯母が30代で大腸がんになり、抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け落ち、痩せ細っていく姿を見て、副作用のない薬を作りたいと思ったのです」
医師を目指して医学部を受験するもかなわず、京都工芸繊維大学に進学した。「それでも医学部への夢を諦めきれず、当時は心が荒れていました」
京都工芸繊維大学は、医学とは無関係に思える繊維や工学の研究が盛んな大学だったが、その中では異色とも思える核酸を扱う研究室があった。それが、ノーベル化学賞を受賞した福井謙一博士の研究室出身の村上章教授の研究室である。村上教授は、日本における核酸医薬開発研究のパイオニアだった。
「ここで私の人生が変わりました。希望者が多くじゃんけんでの選抜でしたが、勝ち抜いて研究室に入ることができました」
DNAの情報はRNAに写し取られ、そこからタンパク質が作られる —— いわゆるセントラルドグマの話から、村上教授はこうつなげたという。
「『核酸の相補的塩基対形成のルールに従って、狙う遺伝子に結合する配列を設計すれば、それは薬になるんだよ』とおっしゃったのです」
アデニン(A)はチミン(T)と、グアニン(G)はシトシン(C)と結合する —— この厳密な塩基対形成の原理こそ、核酸医薬の根幹である。
「配列を慎重に設計すれば、狙った遺伝子以外には触れない薬を作れる。その発想にすごく感動しました。核酸はなんて美しくて賢いのだろうと。そこから核酸医薬一筋で研究してきました」
今でこそ核酸医薬は、小児疾患や希少・難治性疾患の治療薬として注目されたり、新型コロナウイルスのパンデミックでmRNAワクチンが普及したことにより、大きな注目を集めている。だが、山吉教授が研究を始めた当時はあまり見向きもされなかったという。
「ほんの数年前まで、『核酸なんて薬になるわけがない』と相手にされていませんでした。核酸は細胞に入りにくく、壊れやすい。なかなか創薬も進みませんでした」
核酸医薬の魅力は、どの遺伝子を狙うかを自由に設計できることにある。山吉教授が早くから注目した標的は、タンパク質を作らない非コードRNAの中のマイクロRNA(miRNA)というものである。
「ヒトとチンパンジーの遺伝子の違いはわずかですが、種の知的機能や発達を決めているのは、タンパク質を作らない領域だといわれています。その中にmiRNAという小さなRNAがあって、私は、これを狙い打つ薬を作りたいのです」
miRNAは、細胞内で遺伝子の発現量を微調整する「遺伝子スイッチ」のような存在だ。異常が起きると、がんや難病の引き金にもなる。
がんの診断は、従来は細胞の形を顕微鏡で観察する形態学診断が中心だった。
「最近は、前がん状態でも特定のタンパク質を抗体で検出できます。でもRNAは、タンパク質よりさらに早い段階で変化します。RNAレベルでの検出ができれば、超早期の診断と治療が同時に実現できると考えています」
一方、実用化には壁もあった。人工的な核酸分子は、人体にとっては異物であるため、免疫系によってすぐ生体から排除されてしまう。世界初の全身投与可能な核酸医薬「ミポメルセン」が、投与患者の65%で抗人工核酸抗体と呼ばれる薬に対する抗体の産生を引き起こす副作用が報告された。
この生体からの排除を回避し、薬効成分を病気の患部にピンポイントで送達するためにはどうすればいいのか。山吉教授が着目したのが、細胞外小胞エクソソームだ。これは細胞自身が分泌する直径約40〜100nmの小さな粒子である。
「以前は『細胞のゴミ』と思われていましたが、2007年にこの中にmiRNAが含まれていることが報告されました。がん細胞は、転移や増殖を促すmiRNAをエクソソームで他の細胞に送りつけて、転移の足場を形成するなど自らの勢力を広げているんです」
山吉教授らはこのがん細胞の通信網を逆手に取った。それが抗体結合型核酸医薬ExHijack-Oligoである。CD63などエクソソーム表面抗原を認識する抗体に、がんの増殖に関わる特定の遺伝子の働きを抑える核酸医薬を結合させる。そして体内で分泌される天然のエクソソームをその場で借りる発想だ。
「まるでトロイの木馬のように、がん細胞自身の通信経路を利用して薬を送り込むのです」
エクソソームを“ハイジャック”したExHijack-Oligoは、エクソソームが本来持つ標的細胞への自然な取り込み経路を利用して、薬剤を細胞内部へと送り込む(図1)。
Yamayoshi, et al ., 2020, Pharmaceutics, 12 , 545. 特許第7193083号
図1 エクソソームをハイジャックする核酸医薬 〜ExHijack-Oligo〜(想定される作用機序含む)血管から投与された核酸医薬(ExHijack-Oligo)がエクソソームに結合し、細胞内に取り込まれ、受容細胞内遺伝子やエクソソーム由来miRNAの機能を阻害する。
腫瘍を作ったマウスモデルでは増殖抑制を確認した。現在、創薬に向けて企業との共同開発が進行している。
「どこへ薬を届けるか」に加え、「いつ、どこで薬を働かせるか」を制御するのが光制御型核酸医薬である。
そこで要となるのが、天然由来化合物ソラレンである。これはオレンジやキュウリにも含まれる分子で、光を当てるとDNAの二重鎖を一時的に架橋させる(つなぎ合わせる)性質を持つ。山吉研究室は、市販の試薬では難しかったこの光架橋反応を、独自設計したソラレン結合型分子で高効率に実現した(図2)。
図2 新規光ゲノム編集技術の開発宿主細胞のDNAに組み込まれたプロウイルスゲノムに、光架橋性分子(ソラレン)とUV光を使い、標的DNAの複製を一時的に停止(ストーリング)させるゲノム編集技術 。患部にピンポイントで作用させ、オフターゲット効果のリスクを低く抑えるため、全身への影響を最小限にできる。
酵素でDNAを切断する従来のゲノム編集(CRISPR)と異なり、光架橋は意図しない部位を切ってしまう「オフターゲット効果」のリスクが低い。また、薬を投与した後、必要なタイミングで光を当てるまで薬効を眠らせておくことができ、患部にピンポイントで光を当てることで全身への影響を最小限に抑えることを狙う。
この成果は国際学術誌の表紙特集になり、カバーアートには、妖精がブーメランでDNAをつなぐイラストが描かれた。
山吉教授の「副作用のない薬」への探求の背後には、彼女が掲げる独自の哲学、物質共生がある。
「薬が副作用を起こすのは、体がそれを『異物』だと認識し、排除しようとするからです。それならば、体が受け入れたいと思う薬を設計すればよいと考えました」
物質共生とは、人工物質である薬剤と生体システムが、敵対するのではなく、協調関係を築くことを目指す学理である。この哲学のヒントは、山吉教授が妊娠中に考えついたのだという。
「胎児は、自分でも夫でもないし、血液型が違ったりもする。それなのに、どうして体内で共生できるのだろうと思いました」
胎児は半分が父親由来の遺伝子を持つため、本来は母体免疫から「異物」として攻撃されうる存在である。しかし、胎児を守る胎盤の細胞は、HLA-Gという特殊な分子を発現し、母体の免疫細胞に対して攻撃しないような信号を送り、胎児が拒絶されないように守っている。
「このHLA-Gはエクソソームの膜表面にも多く発現していて、このエクソソームを利用すると生体からの排除を回避できるのではないかと思いつきました。実際にやってみると、普通の遺伝子導入試薬では炎症性サイトカインの量が増えるけれど、エクソソームを介するとこういう反応が起こらない。なぜか知りたいと思って、今、新しい研究領域を立ち上げて、さまざまな分野の研究者と研究を進めています」
このような共生は腸内にも存在するという。
「食べ物は私たちにとって異物ですが、それを拒絶しないのは腸内細菌が腸管の免疫細胞に働きかけて共生という寛容な環境ができるからです。一方で、mRNAワクチンにはポリエチレングリコールという高分子が入っていて、アナフィラキシーの原因になっているなど、外来性の物質となかなかうまく共生できないと考えていました。これからは外来性の物質に対しても共生という概念を取り入れて、共に生きていく時代が来たのではないかと思います」と山吉教授は強調する。
山吉教授の研究哲学は、分子の世界だけでなく、科学を支える社会構造そのものにも向けられている。
「科学の発展には、多様な才能と、その研究を継続できる環境が不可欠です。しかし、特に女性研究者がキャリアを継続しにくい現実があります。私が妊娠したときには、産休・育休中は科学研究助成事業の助成金(科研費)が使えなかったため、とても困りました。休んでいるからいらないでしょうと不思議がられましたが、人を雇っている場合はその人の給料はどうなるのでしょう。また、実験動物はどうなるのでしょう。マウスは待ってくれないのです」
この産休・育休中に科研費が使えないというのは、大学ごとのローカルルールだった。山吉教授は自身が役職に就いた大学では、このルールを撤廃したという。だが、今もなお、このルールが適応されている大学が少なくない。
「女性支援というより、研究を続けたい人を止めない仕組みをつくりたかったんです」
山吉教授は妊娠をきっかけに夫婦で話し合い、夫が専業主夫になり、家庭に入る決断をした。
「夫は数学が専門で、数学は紙と鉛筆があればできるって言って(笑)。最初はそんなに続くとは思わなかったのですが、でも彼は本気だった」
以来十数年、夫が家事も育児もすべて担ってきた。
「最初は専業主夫について、『えっ』と周りから驚かれましたが、今は最先端ですねと言われる。私たちは何も変わっていないのに。家族の形もキャリアの形も最適解は人の数だけある。だから他人の解に合わせる必要はないと思います」
山吉教授はとにかく研究が好きだという。子どもも家族も大切だが、研究に没頭しているときも幸せで、楽しいと感じる。
研究を続けたい人が安心して出産や育児を選べる社会、そして多様な生き方を認める社会の必要性を強く訴える。彼女の「共生」という理念は、分子と物質の協調だけでなく、科学を取り巻く社会構造そのものをも意味しているのだろう。
「核酸医薬なんてと言われていたのに、今は最先端と言われる。これからだって、それは変わるでしょう。最終的に思い描いていた未来が必ずしも一番とは限りません。私も『医学部でなければがんの研究ができないよ』と父から言われていたけれど、実際はそんなことはなかった。その時その時の、人や事柄との出会いこそが、最も重要な道を決定するのだと思います」
最近は、地球の気候変動から植物に関する研究にも目を向けていると山吉教授は言う。
「研究者として副作用のない薬を作りたいと思う気持ちは変わらない一方で、基礎研究をして真理の探究をしたい思いもあります」
「応用をやるには、基礎をやれ」という福井謙一博士の言葉が心を照らし続けてきた。
「ずっと人の病気を研究してきましたが、やっぱり最近は暑すぎますよね。野菜など農作物にも影響が出てきています。このまま暑くなったら、がんよりも新型コロナウイルスよりも、暑さで人類は滅亡するかもしれないですから」
人と自然、地球が共存するためにはどうすべきか。これから植物を含めた生物の共生を探っていく。