1954年に小割式網生け簀の試験を先駆けた近畿大学水産研究所は、1970年からクロマグロ完全養殖の研究に着手し、32年の歳月を経て2002年に世界初の完全養殖サイクルを確立した。2026年には、深海に棲む高級魚ノドグロの世界初となる完全養殖も発表し、完全養殖魚種は今では30種に上る。一方、富栄養化や陸上養殖のエネルギーコストなど環境負荷の課題は残る。選抜育種やゲノム編集を組み合わせた品種改良を通じ、卵から食卓まで一貫して管理する日本の養殖技術の最前線。
特集 進化する日本の養殖 〈巻頭インタビュー〉
近大水産研究所が挑む完全養殖の最前線
構成/飯塚りえ
養殖と聞いて思い浮かぶのは、海に浮かんだ生け簀でしょう。正式には「小割式網生け簀」といい、産業に使える形で最初に試験をしたのが、近畿大学水産研究所です。1954年のことでした。今、国内の海水魚養殖はほとんどがこの方式です。
魚介類や海藻などの水生生物を、人工的な環境下で飼育して出荷することを養殖としていますが、一口に養殖と言っても、その方法は魚種によって大きく異なります。クロマグロで知られるようになった「完全養殖」とは、天然由来の魚から採った卵を育て、その魚が親になって卵を産むまでのサイクルを、すべて人間が管理することをいいます。マダイは1960年代から完全養殖が確立していますが、マグロやハマチ(ブリ)は、現在でも天然の稚魚を生け簀に移して出荷まで飼育する割合が多いのが実情です(表)。
養殖は飼育手法と飼育環境の2つの軸で分類される。
世界の養殖生産量は漁獲量を上回る
現在、世界的に養殖技術が注目される背景には、漁船漁業(漁船を使用して天然の水産物を捕獲・採取する)の漁獲量が1990年代から伸び悩んでいることがあるでしょう。世界人口の増加によるたんぱく源の確保に加えて、世界的に魚食が増えている状況で、養殖を増やす傾向にあります。実際、世界の養殖生産量は1990年代から増え続け、今では漁獲量を上回っています。
養殖生産量の伸びというとノルウェーのサーモンを思い出しますが、増加分の主役は、中国の淡水魚です。ソウギョやハクレンといった雑食性のコイ科の魚を池に放ち、肥料を与えて増えたプランクトンなどを食べさせるというシンプルな方法で養殖していると思われます。ノルウェーのサーモンも増えてはいますが、全体の割合でいえばまだ小さいはずです。
他方、多くの種類の魚を食べる日本の食文化において、養殖は海外とは異なる進化をしています。
弊所では、1970年にクロマグロ完全養殖の研究を始めました。最初は、成長したマグロを、生きたまま研究所に運ぶことすら難しかったそうです。漁師さんに20㎝ほどの天然の稚魚を釣ってきてもらうところから始めましたが、その魚を研究所の生け簀で飼育するまでに、まず壁がありました。マグロは鱗が非常に細かく、皮膚が弱いので、捕獲のときに使った釣り針を外すために手を触れるだけで、そこから皮膚がただれて死んでしまったのです。これは釣り針の一部を変えてマグロに触らずに外れるように工夫して解決しました。
また、釣り上げた直後のマグロは興奮しているので、水槽の壁にぶつかって死んでしまうことも少なからずありました。一度小さなバケツに移して落ち着かせてから水槽に移すようにするなど、一つひとつのステップが手探りでした。釣ったマグロが大きく育ったのは1974年、稚魚を生きたまま連れて戻り、生け簀で飼育するだけで、実に4年かかったことになります。
観察を続けて原因を1つずつ突き止める
このときのマグロは1979年、5歳で初めて卵を産みました。難しかったのは、その卵から魚を育てることでした。1982年まで産卵は続きましたが、そこから11年、卵が採れない時期が続きます。1994年に産卵が再開し、数百万粒もの卵を回収しましたが、育たず、ほぼ全滅してしまったのです。観察を続け、原因を1つずつ突き止めていきました。
まず、孵化した直後のマグロはあまり泳げません。体の比重が海水より大きいので、夜になって遊泳が緩やかになると沈んでいきます。自然界なら水深も潮の流れもあるので底には行き着きませんが、水深1mほどの飼育水槽では、夜中に底まで沈んで死んでいたのです。水流を強くして沈んだ魚を上昇させることで、最初の10日間で9割だった死亡を、8割、7割と減らしました。
孵化から12日ほど経つと、今度は本来の魚食性が出てきて激しく共食いを始めます。他の魚にはあまりない性質ですが、マグロの棲む外洋は餌となるプランクトンが少なく、その環境における生存戦略です。そこで、マグロと産卵期が近いイシダイを使い、孵化した仔魚を水槽に撒き、共食いを防ぎました。
次に25日から30日を過ぎると、水槽の壁や生け簀の網にぶつかる衝突死が起こります。対策として、まだ5㎝ほどの魚を直径30mほどの大きな生け簀に入れました。狭い所ほどぶつかって死ぬからです。それでも衝突死は収まりません。事故が夜と薄明時に集中していたため、当初は車や漁船のライトに驚いているのではないかと考えましたが、後に、稚魚が暗がりでものを見る力が弱く、網そのものが見えていなかったらしいことが分かりました。夜間、生け簀を照らし続けると、魚は明るい所の周りをゆっくり泳ぐようになり、衝突は激減しました。
このような試行錯誤を経て、1995年、1996年に育った魚を1つの生け簀にまとめて飼い続け、2002年、6歳と7歳になったその集団が卵を産みました。完全養殖のサイクルが回り始めた瞬間です(図1)。振り返るとクロマグロの完全養殖には32年を要しました。魚が死んでしまうという事実は、うれしいことではありませんが、どうしたら次に進めるのかを考える作業は、決して苦ではありませんでした。
図1 世界初完全養殖のクロマグロ❶クロマグロは1回当たり数百万〜5000万粒を産卵。遠洋では餌となるプランクトンが少なく、孵化しても成魚になるまでの生存競争は非常に激しい。❷海上の生け簀で悠々と泳ぐ養殖マグロ。❸和歌山県・紀伊大島にある生け簀。
深い海に棲むノドグロの完全養殖に着手
2015年に着手したのは、水深100m前後の深海に棲む魚、ノドグロ、正式にはアカムツの完全養殖です。最初は成魚を釣ってきて飼い、採卵を試みました。しかし深海にいる魚が海面近くに釣り上げられると、血液に溶けていたガスが気化して、目が飛び出たり腹が膨らんだりするので、採卵できる状態にありませんでした。そこで、産卵期に捕れた魚から卵を採ることにしました。こちらも紆余曲折ありましたが、最終的に新潟県の上越漁業協同組合に協力してもらって卵を確保することができました。
次は、卵から育てるところでつまずきました。孵化して25日ほど経つと、稚魚が水面に浮いて横を向き、くるくる回って死んでしまうのです。症状からウイルス性神経壊死症を疑いましたが、何度検査してもウイルスは出てきません。観察すると、浮き袋にガスがたまっていました。一般に魚は、酸素が過飽和になっても死ぬことはほとんどありませんが、窒素などには弱いことが分かっています。水槽の酸素濃度を上げてはどうかと考え試してみると、これが見事に当たり、それまでほぼ全滅だったものが1万匹残って、翌年には4万匹にまで増えました。海の表層と深海を行き来する種類とは異なり、深海で暮らす魚はガスの調節が得意ではないのだと分かりました。
2024年、ノドグロの完全養殖研究は別の困難に遭遇しました。研究は富山の施設で行っており、能登半島地震で大きな被害を受けたのです(図2)。幸い、お正月を控えて限られた人数で施設を維持できるように、と体制を整えていたので、被害を免れた魚も多くいましたが、やはり研究の中断を余儀なくされました。ここで生き残った魚が3歳となった2025年10月に、ホルモン投与をして産卵を促し、採卵、人工授精し、その卵からかえった魚を稚魚まで育てることに成功したことで、2026年2月、世界初のノドグロの完全養殖を発表することができました。弊所が完全養殖のサイクルを回した魚種としては、30種めに当たります。
図2 ノドグロの完全養殖❶富山県射水市で飼育されていたノドグロ。能登半島地震の被害に遭う。❷生け簀でかえったノドグロ。
ノドグロには課題も残っています。人工的に孵化させると、9割以上がオスになってしまうのです。ヒトの場合、Y染色体を持てば男性、XXなら女性という基本的な仕組みがありますが、魚の性決定のメカニズムは、魚種によってバラツキがあります。オスがホモ型(ZZ)でメスがヘテロ型(ZW)という、ヒトとは逆のパターンを持つ魚も多くいます。マダイの場合、孵化してから7カ月前後までは全個体が卵巣を持ち、そこから半分の魚の卵巣が精巣に変わり、最終的に雌雄がほぼ1対1になります。私はゲノムの解読を含めて長くマダイの研究を続けていますが、そのメカニズムはまだ解明されていません。ヒラメは水温が高いとオスが増えますし、養殖のウナギは普通に飼うとほとんどがオスになります。いずれもはっきりとした理由は分かっていません。ウナギは、メスのほうが大きく成長することもあって販売業者に好まれます。そのためウナギ養殖の現場では、餌に大豆イソフラボンを混ぜてメスにするという方法が一部で行われています。食品にホルモン剤を投与することは禁じられていますが、大豆イソフラボンは食品由来の成分ですので、飼料添加物としても認められています。
ここまで、ある魚種を卵から育て完全養殖を実現した私たちの研究を話してきましたが、そもそもなぜ、完全養殖が必要とされるのでしょうか。
まず、現在の社会的要請として、将来の世界的なたんぱく質不足への備えが指摘されています。しかし、それを水産物で補うべく生産量を高めようとしても、天然の魚介類を捕り続ければ資源が枯渇する可能性があります。さらに近年の気候変動は、魚の漁獲量に影響を与えており、今後も不安が伴います。そこで養殖に期待が集まるのですが、従来の養殖の多くは、天然の稚魚を捕ってきて育てる方法で、資源の枯渇という課題の解決にはなりません。
もっとも、私たちの研究所がマダイの種苗生産の研究に着手した当時は、資源保護というよりも、安定的に魚を供給するという現実的な問題がありました。人工種苗の場合、採卵から人の手で行われるので、収穫もコントロールすることができます。そして最大の利点は、品種改良が容易ということです。近畿大学は1964年からマダイの「選抜育種」を続け、今では天然種苗の倍の速さで成長するようになりました。成長の速い個体を選んで交配する選抜育種の結果、天然の稚魚なら1㎏になるまで3年以上かかるところが、近大の種苗は1年半です。
配合飼料により水質はかなり改善している
私はゲノム編集を使った研究もしています。ミオスタチンという、筋肉が増えすぎるのを抑える遺伝子の働きを止めて、可食部を増やしたマダイをつくりました。ただ、ゲノム編集を万能の技術と考えるべきではありません。品種改良があまり進んでいない魚種であれば、食欲を抑える働きをする遺伝子を壊すと、確かに成長は速くなりますが、すでに何世代も選抜育種を重ねてきたマダイでは当該の遺伝子を編集してもほとんど効果が出ません。選抜によって「たくさん食べて大きくなる」性質がすでに達成されているからです。特に、成長のように複数の遺伝子が総合的に関与する形質を、すべてゲノム編集することは現実的ではありません。水産物の養殖において大切なのは、従来の選抜育種にゲノム解析の情報を活用して、より良い方法を模索することです。
また、養殖の環境負荷に関して触れておかなくてはなりません。
海外では、「養殖は海を汚す」という認識が強くあります。アメリカでは、養殖による水質汚染や養殖魚の脱走といった環境リスクを理由に、沖合の連邦水域では産業養殖を認める枠組みがなく、西海岸の各州も網生け簀養殖を禁止しています。日本にはそうした制限はほとんどありませんが、では日本の海は、何十年も養殖を続けて汚染がされているのかといえば、そんなことはありません。
確かに50〜60年近く前は、海が富栄養化して赤潮が発生し、ハマチが大量に死んだといったニュースがありました。養殖している稚魚の餌にイワシのミンチを配合飼料と混ぜて与えていた頃は、水中に溶けていく有機物も多かったでしょう。しかし今は、配合飼料に切り替わって数十年経過し、海の水質はかなり改善しています。
そもそも海には自浄作用があります。有機物が沈んでも、海水中のバクテリアや泥の中の微生物が分解して無機化します。能力の範囲を超えると酸欠や赤潮が起こりますが、超えない限り、海は汚れていかないはずなのです。
今、沿岸漁業の漁獲量が減っている要因の一つには、栄養塩(窒素やリンなどの無機物)の減少が挙げられています。瀬戸内海では下水処理によって栄養塩が減り、養殖ノリの色がつかないといった問題が起きて、秋から冬にかけて処理のレベルを落とす試みも行われています。むしろ、海の栄養が不足して生物がいなくなってしまうのではないか、という議論も始まっています。
陸上養殖でも環境についての課題は残ります。閉鎖型では常に水処理が必要で、廃棄物として大量の有機物が発生します。サケ・マスは、水温を低く保つ必要があるため、陸上養殖は特に水の冷却に膨大な電力を使いますし、コストを回収するために高密度で飼わなければなりません。魚の味にも影響があるように思います。その点、日本の海面の網生け簀養殖は、陸上養殖に比べて費用対効果が非常に優れているのです。
日本の海水魚養殖において、卵から種苗をつくる技術は世界一でしょう。魚種の多様性も他国の追随を許しません。海外では、食べる種類が限られているので理解されにくいのですが、日本の寿司をぜひ試してもらいたいと思います。魚の鮮度が良く、脂ののった赤身以外の魚のおいしさも分かってもらえるはずです。海の環境と折り合いをつけながら、卵から魚をつくって食卓に届ける。その技術を積み上げてきたのが、日本の養殖なのです。






